肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

罪悪感の幻肢痛、ウソでした

前に書いた記事。

罪悪感の幻肢痛 - 肝っ玉オカン道

 

子供を人に預ける罪悪感は、とっくの昔に解消してました〜!幻肢痛でした!

的なことを書いたのですが。
それが。

 

ぜーーーんぜん、幻ではありませんでしたっ!イキってました、すいません。

 

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先日。
ファミリーサポートを利用してみようと思ってセンターに連絡したんです。
(ファミリーサポートとは、地域の中で子供を「預かりたい人」と「預けたい人」が互いに登録してマッチングを行うサービスです。有償です。)

登録だけはしてたけど利用はしてなくて、ふと思い立ったんです。

 

条件とかをいろいろ聞かれた後、「お母さん、お仕事始められるんですか?それか、通院とか何かですか?」と聞かれました。

 

センターの人はただの状況確認で聞いただけやと思います。

でもここで私の脳内変換。

「仕事もしてない専業主婦が子供預けたいってワガママが許されるわけないでしょ?病気ならしゃあないけど、大事な子供を預けるだけの大義があるんでしょうねー?」

と、言われている気がしたわけです。
と同時に、甘えた人間だ!と、責められている気がした私。


後日、センターに紙をもらいに行く用事があって向かったんですが、その道中が苦痛で苦痛で仕方ない。はなから、責められてるような気がしてるわけやから。


大義なく、子供を預けて自分の時間が欲しいだけ。ただ1人っきりで昼間ゴロゴロしたいだけなんて、やっぱりワガママなんだろうか。
これは、健康な専業主婦がやるべき仕事を放棄してるってことなのだろうか。
でも、少しの自分の時間が欲しいという、ただそれだけの願いが叶わない、こんな世の中じゃ poison ♪


状態で。

世を憂うモード全開の、被害者意識丸出しで胸をざわつかせながら向かいました。おかげで2回も道を間違えました。


で。センターに着いたらまた聞かれました。

「利用する理由はどんなことですか?」

 

「いや、ちょっと。。。仕事を探したり、その為の勉強をする時間がほしくて、、、」

 

ズバリごまかしました!!!
理由ありません、ただ1人の時間が欲しくて。とは怖くて言えなかった。

 

そしたら、
「あー!そうですか!それなら良かったです。言いにくそうにされていたので、もし通院とかなら、何名か探してしっかりとした体制でサポートできるようにしたいなぁと思ってたんですよ〜」って。

 

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(やっぱりやけど)全然責められてなんかいなくて。
こんな事なら、1人の時間が欲しいと正直に言えば良かったかなぁって思いました。
そしたら何かしら、私の中に新しい風が吹いたかも知れないのに。

 

こうやって書くとよく分かるんやけど、完全に私の、一人劇場なんですよね。

 

私なんて。私なんて。私なんて。
結局、そのままの私をオッケーに出来てないだけの話。
罪悪感、劣等感。

 

自分の仕事をしてない人間は他人に甘えてはいけない。

、、、って思ってるのは何を隠そう私です。

 

ツッコミどころが山盛りやけど、怖いながら行動して、「大丈夫」を確認していくしかないのかも知れない。

 

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最近日課にしてる、労宮おむすび🍙海苔バージョン。

 

 

肝っ玉オカン道は続く

超絶頑張ってる私に②

超絶頑張ってる私に① - 肝っ玉オカン道

 

を書いて翌朝。

とんでもない自分の中のただのモヤモヤを吐き出しただけの、いわゆるう○こ状態。

別にわざわざ言うほどのもんでもないような、私頑張ってるなぁって話を書いただけで、そんなものをブログに書いてる恥ずかしさにさいなまれたりもしています。

しかし、朝起きたら久しぶりのスッキリ感があって。書くことである意味、私が私を少し救ってあげられた気がしてて。とっても清々しかったりもしているわけで。

 

そして、ここのとこ鬼のようにグズってるコボちゃんが、今日は素晴らしくご機嫌&長時間のお昼寝をしてくれました。ビバ。

 

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①ね。

多少自嘲気味に書いたとは言え、また正体不明の「完璧」のお化けにやられてるなぁと思いましたよ。

 

「やらやあかんこと」を「できてない」から、私は頑張ってるとはいえない。

ってさ、、、

それ、ホンマか?

 

じゃあどこまですれば、私の思う「完璧」で「頑張ってると言っていい」お母さん・主婦になれるのだろうか。そんなもの、あるのかな?

 

毎食手作りして、一汁三菜。野菜を中心にバランスの良いメニューを心がけて。子どもの食べないおかずはメモして、食べられるように工夫を凝らし。

掃除は毎日拭き掃除のち掃き掃除のち掃除機を朝晩。

洗濯は白物黒物を分けて、子供の体操服は丁寧に下洗い。夫のシャツ・スーツは自分で丁寧にアイロンをかけ、新しいハンカチをポケットに入れておく。季節の衣替えは少し早めに。

子どもの話にはしっかりと目を合わせ、子どもの心を受けとめ。朝夕2回の外遊び、起きてる時間はテレビに子守はさせずに、子どもの自立心を育てる道具と遊びを工夫する。

昼寝の時間は家事に勤しみ、子供のため、夫のために。自分の買い物より、家族の買い物を優先。

 

とかが、「完璧」で「頑張ってる」として認めていいラインかな?(あ!あと、嫁としての務めとか入れたらまだまだあと1000字は必要です。)

 

 

そら、すごいよ?これ出来たら。

やけど私、こんな生活到底出来ひんし、そもそもやりたいと思ってないやん!!!!

 

外食もしたいし、ゴロゴロ昼寝したいし。子どもにiPad預けて横で映画観てたい。散らかった部屋は嫌いやけど、毎日そんな丁寧に掃除せんでもええねん。

外遊びは私の気分次第でよろしく。

 

やからさ、私よ、よく聞きなさい。

そもそもやりたいと思ってないこと、頑張りたいと思ってることでもないものをゴールにして、自分は「頑張ってる」なんて言えない。。。って言うてるんやで。

論理が破綻してるの、気がつかへん?

 

いつか目や耳にした、世間や誰かの正義に振り回されて、やりたい事でもない事に自分が振り回されてるんやで。

 

 

自分の求めてるわけでもない、得体の知れない「完璧」ってやつじゃないと、自分にオッケーを出せないのなら、

私は一生私にオッケーを出せないことになってしまうじゃないかっっっっっ!!

 

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しかしながら。

私はこんなにも私にオッケー出してないってのに、
夫は、子供達は、とてつもない大きいオッケーを私に出してくれてる。

 

夫は私に「完璧」であることを求めていないどころか、何かをすること、できることを私に全くと言っていいほど求めていない。(やりたいと思ってることは応援してくれる)

 

ゴロゴロしてても、自分の事ばっかりしてても、自分の服ばっかり買ってても、自分のテレビばっかり観てても、明らかに子供の世話を押しつけてても。

 

なんでもいいよ、やっちゃんが嬉しいならそれでいいよ、居てくれるだけで嬉しいよ、僕ができることでやっちゃんが喜んでくれるなら幸せなんだよと伝えてくれる。(結局、のろけているのか〜)

 

何というか、いわゆる私が親にずっと欲しいと思ってた「無条件の愛」ってやつをくれてるわけですよね。


しかしいざ与えてもらったとなったら。
私なんて受け取る資格あらへんと卑屈になって、こんな私がって罪悪感にかられて、終いには攻撃的になって破壊したくなる。

 

あーぁ、こじらせまくってる〜。

 

この、私の中にずっとある「資格」のあるなしってなんなんやろか。
これがめっちゃ私を私で居られなくしてくるねんなぁ。

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んなわけで(どんなわけ?)

 

普通の日常に生きてる私に私が大きなオッケーを出せるようになれば、
私はどうしたって生きていけるようになるよな、それって地味やけどって凄くないか。

 

毎日なんやかんや言うても自分以外の人間の世話に追われて、自分のこと後回しにして。もっと優しい言葉かけができたんじゃないか?上手に遊べるようになれればいいのにな。丁寧なご飯で家族の身体を守りたいんやけど手抜きしてもたな。外で頑張る夫をもっと支えられるようにありたい。

そんな。もっとこうあれば良かったのかも知れないって気持ちはあるけれども。

 

だけど、私は充分に頑張ってるよ。
それでも何でも今日1日フルに生きた自分に大きなオッケーを出して、今日は寝ようと思います。

 

大丈夫、大丈夫。

  

しかし、そもそもさ、なんで知らない間に我慢がチリのように積もってしまってるのか。そもそも私がしてる我慢って何なのか?に関する考察は続きます。(多分)

  

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宮古島のサトウキビ畑。

 

 

※結局のろけかよ!的な感じやん。

私って何をそんなに我慢してるのか - 肝っ玉オカン道

でも書いたけど、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇だ」byチャップリン

状態やない、私?

同じところぐるぐるしとるな。

 

 

肝っ玉オカン道は続く。

超絶頑張ってる私に①

ものすごい閉塞感にさいなまれておりました。(いや、まだ進行形か) 

ブログに書きたいけど、もうちょいスッキリしてからに。いつかに。と思ってたんですが。

 

ここ1週間位、コボちゃん(下の子)がグズって仕方ない。体調が悪い訳でもない。

普段それはそれはとてつもなく機嫌&切り替えのイイ彼が、私にくっついて離れなくて泣きじゃくるのはナンカおかしいよなぁ。

2才のややこしさと言えばそれまでやけど、なんとなく、あーこれは私に何かしらのお達しなのではないか、、、と思ったわけです。

だから、とりあえず書くことにしました。

 

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こないだね。

「お願いやから、このクソ退屈な日常から誰か救って。お願い!」
っていうドロドロとした叫びが、肚から湧いて出てきて、本当に本当に焦りました。

 

もぅやめてよ!それは、無いことにしてたんやんか!

って、それからしばらく落ち込んでました。

 

その間、「ダンケルク」「アルゴ」「インターステラー

観る映画、観る映画、人を救う話を描いていて、私どんだけ救われたいんだか。。。と思ってまたちょっと凹みました。

(どの映画も秀作やけど、特にアルゴ!なんで今まで観てなかったのだー?と後悔したわ。めっちゃ良かった)

 

鬱屈とした気持ちをズルズル引きずっていて。

なんとなく引きこもって家で映画ばっかり観る日々でした。(他にもいろいろ観てたけど記憶なし)

 

なんか思うことあるかなと待ってたけど、特になく。

 

今朝もいつもの朝を迎えました。

(なんのナレーションや!)

 

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今朝ふと、あぁ、ひっどい虐待しちゃう気持ち分かるなぁって思いました。

それと同時に、私、充分に頑張ってるんやなぁと思いました。

 

 

グズグズ抱っこをせがむ下の子。

幼稚園の用意をなかなかしない上の子。

口が達者で理解力はまだまだな上の子とのめんどくさいやりとり。迫る幼稚園の時間。

スッピン&部屋着のまま自分の用意をする間のない私。

いよいよ自分の用意に取り掛かるタイミングでウ○チする下の子。

眉毛書くという非常に神経使う作業をしてる身体を揺らす泣いてる下の子。

まだ着替えもしてない上の子。

その上今日返さないといけない絵本を出してきて読んでとせがむ上の子。

出かける段で、うっかり靴を履かせようとしてしまい、自分で履く!とわめきだす下の子。

エレベーター乗った後にハンカチを忘れたことを思い出して、もう今日はええんちゃう?という言葉に逆上する上の子。エレベーターでまた上がる我々。

なかなか自転車乗らず、幼稚園行きたくないの〜と言い出す上の子。

相変わらず抱っこして〜と泣きじゃくる下の子。

 そんな毎朝。

 

やっと自転車に乗ってゴールが見えた時ふと。

 

あぁ、ひっどい虐待しちゃう気持ち分かるなぁって 思ったんですよね。

 

なんと言うか、書き出したらとってもくだらないことばかりで。子供やしそんなもんと言えばそうなんやけど。

 

それが毎朝毎日、いろんな細かい事が積み重なってて、自分で思っているよりずーーーっとずーーーっと背負ってしまってる時がある。

毎日にゴールがなくて永遠にも思えて耐えきれなくなる。

 

そんな自覚のない我慢が溜まってて、なんてことないつまらない事で自分が暴発してしまう。

そんな危うい自分をいつも見張ってる感覚がある。

 

 

んで思った。

なーんかさ、私、めーーーっちゃ頑張ってない?!

それでよくないかな?

 

 

夫がめちゃくちゃ優しくてハイスペックで、洗い物も洗濯も朝一番に起きてご飯炊いててくれたりもして、仕事切り上げてなるべく早く帰ってきて子供達のお風呂入れて寝かしつけも一緒にしてくれて。

休みの日はフルで預けてても文句1つなくて、好きなもの買っていいよーと言ってくれて、その分稼いで来てくれて。

申し分ない環境に住まわせてもらって、私が映画行く時間、鍼に行く時間を作るために仕事の調整もしてくれて。

その上、可愛い可愛い言うてくれて♡

 

 

そんな、恵まれまくってる状況だから、専業主婦なのに大して家事もしてないし、子供の世話はしてるけど一緒に遊ぶのとか出来てないし。仕事してるわけでもないし。

 

ホンマはやるべき(と思ってる)主婦・お母さんの仕事を半人前以下しか出来てない私がよ?

そんな私が頑張ってるなんて言うたらバチ当たるんちゃうかって。

 

 

その上、子供の世話と相手してるだけの日々がクソ退屈で頭おかしくなりそう、なんて。。。

この可愛い可愛い宝物達を否定してしまうようで、怖くて怖くて。

この子達のおかげで、私は人間で在れてるようなものなのに。

 

そう思って、自分の気持ちをなき事にしてたけど。

 

 

でもさぁ、この私が。

 

頼れる親族の居ない土地で(まぁ近くに実母が居たとしてもどこまで頼るのかは不明やけどな)、

それでも夫に何度も何度も向き合ってお互い嫌な思いしながらも協力協働できる関係を作ってきてること。

まだ小さい子供を2人を無事生かしてること。

いや、いい子に育ってくれてるよ。

とにかく、私が妻もお母さんもやってるってことだけで、実はめーーっちゃすごいんやないか。

 

自分史上最高の偉業を、只今、成してるんやないか。

 

て思ってさ。

 

もうさ、私充分に充分過ぎる以上に頑張ってること、認めていいよ。

 

私、よくやってる!

ビバだよ、私。

すーんばらしぃよ、私。(カホコね)

 

そんな想いに胸がいっぱいになりました。

 

そして、もうちょい他人に頼れるようになりたい、もっと甘えながら子育てしたいって思いました。

 

 

それと同時に、

ホンマは外に出て他人に会って刺激的な時間も過ごしたいし、仕事して他人に価値を提供できる喜びも味わいたい、

なんて大それたこと。私なんて。

 

って思ってなき事にしてた、

ずーーーっとずーーーっと引っかかってる、「専業主婦コンプレックス」ってやつを認めてやる事にしました。

 

いんや、専業主婦って価値あるし!とか強がるのやめよ。

私、専業主婦で居ることに無価値観くっつけてて、すんごい拗らせてます。

(まだまだ拗れっぱなし)

 

「いつか」「いつか」って思いながらいろんな起業してる人のブログ見たり。自由に(みえる)人のこと嫉妬したり。そんなことしてる私。

 

あーぁ、ここにとんでもない「どうせな私」が居るなぁという自覚だけで、今日は失礼しまーす。

 

お目直しに、宮古島の写真貼っとこ!

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新城海岸♡ 

 

 

肝っ玉オカン道は続く。 

脳を疑え

こんにちは〜。

急にめちゃくちゃ寒いやん!こんなにいきなり夏が終わるのやめて〜!
夏大好き人間としては、「悲しくてやりきれない」

  

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地元の人しか来ない海を教えてもらって行きましたらば、誰も居なくてプライベートビーチでしたよ。

 

宮古島の海にたゆたふ中で気がついてんけど。

風が強い時って、波の進行方向に向かって自力で泳いだとしても、

ただぷかぷか浮いてるのと進む速度、変わらんのなー!

 

なら、力抜いて浮いときゃええのな。

 

ちょうどその時ウダウダ考えてることがあってんけど、「無理に解を求めるな!」と言われている気がしましたわ。

ほっときゃそのうち分かるわぃ。

 

〈名言〉
大人になるということは、あいまいさを受け入れる能力をもつということ 

ジークムント・フロイト 

(今までこんなコーナーなかったやん!)

 

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さて、太ってる私の続編です。続編あったとはね。

女性としての命を生きているのに 美しくないわけがない んやわ。 - 肝っ玉オカン道

 

 

あのさ、あのさ。あのさ。

 

 

私。太ってないかも。

 

 「ふつう」

 

やったんかも。

それでいいんかも。

 

ドキドキ。

 

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こないだ、お世話になってる心理学の先生とこで一緒に学ぶ方々と話す機会がありまして。

 

そん時に分かったのが、

私のバロメーターに「ふつう」がナイってことで。

 

太ってるか、痩せてるか。

んで、私が私を測るバロメーターってこんな感じ↓ 

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はい。めっちゃ偏ってるやん!

しかもこの痩せているとか、長谷川潤くらいにならなあかんねんで!(はせじゅんスキ♡)

 

そして多分だけど、

私がもし、はせじゅんくらいになったとしても、多分私を「痩せてる」カテゴリーに入れることは無かったのではないか。

 

要は私、自分を太ってることにしときたかったのよねー。潜在的にそれを望んでたのよな。

 

しかし、そもそも太ってることをなんでそこまで悪いことに仕立てたのかなぁ。

それは不明。

 

というわけで、 私、ふつうで。

(ナンノコッチャ)

 

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こんなくらいやったら生きやすくない?

 

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こないだ、どうあっても私は美しいんだと。

その覚悟で生きていくんだと宣言しましたけどね。

女性としての命を生きているのに 美しくないわけがない んやわ。 - 肝っ玉オカン道

 

まぁ長年染み付いた癖は、そんなにすぐは消えませんよねぇ。

 

ビルに写る私、消えたテレビに写る私、写真に写る私。

この、「写る私」を見た時に、相変わらずデブで居た堪れない感じを引きずっておりました。

 

それを心理学の先生に話したらば、なんと。

写る私は、脳が楽チン処理してる映像を見てるんやと!!

 

 

というのは、私たちは普段、目で見たものを脳が処理して、認知してる訳で。

 

私は、今までずっと、「太ってる私」を見てきてたやん?ある意味望んでた姿を。

だから、脳は私を認知する時に、「太ってる私」として処理する回路がスムーズなわけですよ(繰り返し同じ処理をしてきたから)。

 

だから「ただそのまま見る」っていう、その回路はまだまだ未開拓なんですよね。 

 

つまり私は、私という実態をそのまま認知していなくて、あくまで「太ってる私」という望む私を見てただけという可能性が高いとのこと。(あれ?説明回りくどい?)

 

 

そうなるとこれからは、

何かに写る私を見た時に、毎度お馴染み居た堪れない感じがしたら、

私はやっぱり。。。と目を逸らすのではなくて。

まず、目と脳を疑ってみる。

 

んで、もう一度戻って、写る私をしーーーーっかり直視、し直す。

 

そして、私ってこれだよ、これだよ。ね、分かる?

 

と、脳に、ただ目に写る物を見るという回路を強化させてやるのが、いいみたいなんですよね。

 

これってほら、おばあちゃんとかがいつまで経っても「やっちゃん大きくなったねぇ〜」って言ってくるやつ。

いやいや、いつのやっちゃんから更新されて無いねん!!ってやつ。

 

それと同じなわけですよ。

 

いやはや、毎日毎日見てるはずやのにねぇ。いかに「見てない」か。

人間って面白いねー。

 

 

というわけで、地味にもう一度直視し直すってやつ、始めました。

 

そしたら自分の身体のシルエットで、なぜ太ってるように見えるのかとか、ちょっと特徴が見えるようになってきて。

 

パーツではこうしたいなーとかありますよ。二の腕とか太ももとか、もっとスッキリしたいし。お尻プリッとあげたいし。あと、お胸様に重鎮感あるから、全体的にボリュームあって見えるな。
つか、そもそも身長171センチもあるしさ。女性の界隈ではかなり大きいよねぇ。

でもま、「グラマラス」とかいう言い方もあるんではないか!!

 

 

そんな訳で、ある程度服のシルエットに依存できる点もありそうですわ。

その辺、その道のプロに聞いてみたいわー!

骨格診断とか、買い物同行とか一回受けてみよかな。

 

ええ人おんで!とか、こんなん受けてみたら?とか、情報ある人おったらください。

そんな感じです。るるるんっ♡

 

 

肝っ玉オカン道は続く

揺らいで揺らいで生きていく

こんにちは。

 

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海の神様ポセイドン の図。

 

今回の宮古島旅では、東京から移住したご夫婦がやってるペンションに泊まったんですよ。

 

小腹空かせた子供におにぎり食べさせるとか、そういうちょっと調理が出来る設備があると、断然豊かな旅になるわ〜。

 

その上、あちらの食材であちらの料理を作って食べる楽しさが盛りだくさんでした。

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(なぜかモノクロ)

ミニキッチンやけど、調理機材・器具一式揃ってるから便利でしたわ。

 

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地元のスーパーでパパイヤが買えたので、パパイヤちゃんぷるー作ってんけど、私の「炒めもの史上、一位の出来でした!(炒めものって意外と奥深いやん?)

ちゃんぷるーの神様が味方してくれたわ〜♡ 

 

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先日、とある出来事があり。

胸が小さくなったり、胸が暴れたりしてました。

平たく言うと、人を傷つけてしまった。そして私も傷ついた。

って話です。

 

まだまだ生傷だけど、あとは時間ぐすりという所までは来たので、書いてみます。

 

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ウルフルズの「暴れだす」好きなんですよね。

 ウルフルズ - 暴れだす - YouTube

 

あぁ 神様オレは 何様ですか
どうしていつも まちがえるのか
悩みはたえず オトナになれず
眠れぬ夜を 今夜もまた
あぁ 笑ってごまかす 声もむなしく
飛び出すことも できないままに

あぁ 胸が
暴れだす 暴れだす
誰かそばにいて

 

鼻血出るわ。

私のための歌かいっ!(んなわけない)

 


ヤバイ、ヤバイ。この状況を私が何とかしなくちゃ!とか。
相手の機嫌を、私がどうにかしなきゃ!とかさ。

それ、あくまで幼い頃の私が考えたことやん?

 

ねぇ、お母さん笑って?
私がお母さんを喜ばせるから、だから笑って?
私がここに居るから、だから笑って、ねぇ。ってさ。

幼い頃のやっちゃん。
大事なみんなに笑って欲しかったよね。

いつもニコニコしてたらきっとみんな笑ってくれるって信じて、悲しくても寂しくてもいつもニコニコして。

役に立てたら喜んでくれるって。

 

本当によくやった。それは私がよ〜く分かってるからね。もう大丈夫だよ。

 

 

悲しい時は悲しんで、腹立つ時は怒って、笑いたい時に笑えばいい。

役に立たなくても、ここにただ居てもいい。

 

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いやさ、分かってたんですよねぇ。大人の私は。

「今は触れちゃいけない」って。

その心の声に耳を傾ければ良かったんよねぇ〜。

それを聴いてあげていたら、承認欲求の大暴走も起こらなかったよねぇ。

 

だけどさ、何とかして役に立ちたいっていう根っこの想いはそのまま認めてあげたい。

それがいくら幼い私が身につけた未熟な方法だったとしても、気持ちはあった。

 

とはいえさ。
あくまで「反応」やから。

大人の私は、それに気がついて、それも受け容れて、でも今の私はどうしたいのかを選べるようになりたいなぁ。

 

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こないだ、東洋哲学の勉強会に行ったんやけどさ。

 

ほら「中庸」って言うでしょ?
中庸を目指しましょう!とか。

 

中庸って「無」で、動じない。
ぶれがなくて、凪で、シーンとしてて。とても静かで穏やか。
そんな「静的」なイメージでした。

 

やけど実は中庸って、
「興奮」↑の後の「沈静」↓
このワンセットの事を言うらしい。

つまり、興奮がないと沈静もない。

 

そうならばね、中庸ってめちゃくちゃ「動的」な事なんよね。

何もない事じゃないの。


それを聞いて、生きる希望のようなものが湧いてくる気がしました。

 

さざ波立たせたくなくて動かなければ、中庸で居れるわけやない。

たくさん感じて、心の大波小波を揺らしてこその「中庸」なんよな。

 

だったら、心が揺れるたびに、きっと中庸に向かってる。
混沌の中で揺らいで揺らいで、「生きる私」がはっきりしてくる。

 

だから成長するって、揺らがなくなることじゃないのね。
むしろ、揺らいでいるその感覚の精度を上げていくこと(↑)。
感じたことを認めて受け容れていくこと(↓)
の、地味な繰り返しなんやろう。

 

宇宙の隅々までに「生きる私」を沁み渡らせるように。

 

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改めて心したのは。

 

私が、誰かに何か出来るなんてそんな事はトンデモなくて。
私はいつだって私のことしかどうにかできなくて。

 

私がやるべくは、周りや状況を私がどうにかしなくちゃっていう、

その幼い頃の反応に気がついて、

なだめ受け容れ落ち着かせ、

そして今の私の心の声を聴くこと。

 

 

もしも あの時 もっと心に余裕があればなぁ
今まで こんなに人を悲しませずにすんだなぁ

人のために出来ることはあっても
人のために生きることができない

あぁ 神様オレは これでいいですか

本当に何も わからないままで
オトナになって やることやって
ケガの数だけ 小さくなって

あぁ 胸が
暴れだす 暴れだす
誰かそばにいて

ウルフルズ「暴れだす」)

 


肝っ玉オカン道は続く

女性としての命を生きているのに 美しくないわけがない んやわ。

こんにちは。

 

宮古島におりました。

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新城海岸は遠浅で、 サンゴがすぐそこに。ニモも居るよ。

ちびっ子連れにはちょうど良い海でした。

 

そして海の果てに地平線が見えて、砂浜の先には丘があり、モアナそのもの。

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宮古島の件はまた追って。(つーか、しばらく宮古島の写真ばっかりになる予感。ふふふふふふ)

 

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太ってるからといって、私が美しくない という理由には、決してならない。

 

日焼けした自分を鏡で見ながら、衝撃的に気がついてしまった。

頭に電気が突き抜けたよ。

 

こんなの初めて!(「過保護のカホコ」の決め台詞。←きっと流行らんけど)

 

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私ね、もう生まれてこのかたずーっと、太ってる感覚で生きてる人間でして。

 

あの時痩せてたなーっていうのは、ハンドボール部やった中学の3年間位かな。

 

思春期はもちろん、その前もその後も、ずーっと太ってる劣等感を身にまとって生きてきました。

 

細い人を見れば劣等感を抱き、自分より太ってる人を見れば優越感を抱き。

 

自分より痩せてる人が「痩せたいわー」と言ってるのは私に劣等感を持たせるためなんやと思い込み。

 

太ってるくせにこんな服着ていいのか悩み、試着室に入るのはコソコソと。

 

道を歩きながらビルに写る自分を見るたびに、居たたまれなさを感じ。

 

外食に行くと、「太ってるのにそんなに(それを)食べるの?」逆に「太ってるのにそんなに食べないの?」と思われると思い、いつもちょうどいい加減を探してる。

 

一時頑張って痩せても、すぐ戻る。もうこれって産まれ持った体質やなぁ。スカくじ引いたなぁと、自分の体質を恨んで、痩せてる人の体質を妬んで。

 

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

とてつもなく自意識過剰な、ブタでした。

 

その上、「太ってる事を気にしている」ことが人にバレるのはタブーでタブーで、太ってる事を気にしてる事をひた隠しにして生きてきましたわ。

 

だってさ、太ってるのに痩せる努力しないの?それってダメやん!と思われたくなかったから。

痩せてる人はみんな努力してる!というのは私の急所を一撃するワード。やから、雑誌のダイエット特集とか絶対読めなかった。

 

せやからね、

太ってるかも知れへんけど、オシャレにしてます。 とか、

太ってるかも知れへんけど、朗らかに生きてます。

だからどうか皆さん!私が「太ってること」をとりたてないでね。

と、守りを固めることに心血注いで生きてきました。

 

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コボちゃんを産んで以来、妊娠中の長引いた悪阻や、授乳のおかげで去年や一昨年は私の人生の中ではとても身軽だったんですよね〜。

 

ずーっと身にまとっていた「太ってる劣等感」から解放されて生きれていた感がありました。

それが、年明けくらいから、授乳量が減るに従ってまた少しづつ肥えてきて。

 

そしたら、解放された気でいてた劣等感がアゲインしてきて。

 

ある日、試着した服が小さくてまた劣等感。
それがあまりに慣れ親しんだ感覚でね、

あれ?私一生これ持って生きたいんかいな?もうええんちゃうか!と思ったんです。

 

それから、心理学のオンラインサロンでこの件を相談してみたり、

診てくれてる鍼灸師さんに相談してみたり。

今までやったら絶対でけへんかった、タブー中のタブーである、「太ってることを気にしてる」という自己開示をしてみた、この夏でした。

 

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この旅の終わり、ホテルでね。

すっかり日焼けした自分を鏡で見ながら、ふと。

 

私、色黒いの似合わへんなぁ〜。と思ったんですよね。

 

私ね、地が色白で。日焼けせーへんのよね。

多分、これって一般的には羨ましがられるポイントやん?やけど、これがちょっとしたコンプレックスでした。

 

だってさ、太ってる私が白かったら、まさに白ブタやん。🐖ブー。

 

色黒やったら少しは締まって見えるんかなと思ったけど、

鏡に写る黒く焼けた腕を見て、

やっぱり私、色白が似合うのなぁ〜。ってか、ずっと色白やったのに、似合ってるのを認めて無かっただけか。

 

と思った時にさ。

先の電気が突き抜ける衝撃がありました。

 

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太ってるからといって、私が美しくない という理由には、決してならない。

 

私は、もう既に充分に美しかったんや。

色白でも、太ってても、目が離れ気味でも、誰に何と言われようとも。

それは、女性として生きてる私の「命への畏れ」みたいなものでした。

 

女性として生きてる私が、美しくないわけがない。

 

 

そう思えたら、私は私が太ってるという事は決して認めて無かったという事実が追いかけて突きつけられました。

私はずっと、太ってる私は、私でないと切り離していたんや。

 

生まれてこのかた、あれだけ私にまとわりついて離れなかったはずの、「太ってる劣等感」。
だけど、太ってる私を私は見てなかった。じゃあ一体今まで何を見てたのやろうかと、愕然としたよ。

 

太ってるなんて、そんなごときの理由で私を切り離しててごめん。
今までこんなに美しく生きてる私を見てなくてごめんね、私。
と、涙が溢れかえりました。

 

 

と同時に、太ってる私を冷静に直視して、絶望的な気持ちにもなりました。

それは、鏡に写る太ってる私を見たくないーという気持ちではなく、

太ってる私を真剣に見つめた、ある意味絶望で、そしてある意味希望。

 

あまりに怒涛の間(なんか知らんけど号泣してるし)だったので、後から言語化するの苦慮したけど。

 

あの、心の澄んだ空気感ってなんなんやろうか。

 

それは、どうあっても、既に私は美しいんだと認める。

その覚悟なのかもな と思いました。

 

なんやよー分からんけど、

私、ようやくここからスタートという気がしてます。

 

私は美しい。
ほんで、どうしよっか?

 

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美しさって、

顔の造形とか、身体のラインとか、そんな目先の事やないねん。

誰か(や社会)が決めた、基準やないねん。

 

「女性として産まれた命を生きる美しさ」

なんやないかな。

だから、女性はみんな美しい。(資生堂のコピーみたいやろ?)

 

 

ここでもやっぱり、「何か」じゃなくて、「どう」在るかなんやな。

私の幸せは、状況に依存しなくてもいい - 肝っ玉オカン道

 

 

そう分かったら、目先の美しさも素直に求められるようになったよ。

取り急ぎ、メイク習いに行ってきまーす♡

 

んで、やっぱりスッキリ痩せて身軽にもなりたいし♡

 

これからは、美しさを認めて、私らしい美しさを身にまとって生きていこうと思います。

 

久しぶりにワクワクしてるわ。るるるんっ♡

もしかしたら世界は私が思っているより優しいのかも知れない のかも知れない のかも知れない

こんにちは。

 

先日コレに行ってきました〜!

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 ウルフルズ25周年ライブ。

いやぁ、良かった!良かった!

 

ウルフルズって、やっぱりいいなぁ〜♡大事なことをシンプルでストレートな言葉で言いきれる強さ。

「ええねん」の一言で、全て受け容れてしまえるんやもんなぁ。

 

こねくりかえしちゃう星の住人としては、敵わへん感じあります。

 

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先日、ヌメロロジーの鑑定を2回も連続で受ける機会がありましてね。

どうやら私は、今年は「終わらせて」来年は「始める」年らしいです。
そしてそれを聞く前からそんな気がして準備してる感があったので、きっとそうなんでしょう。

 

自分の中では言語化する程でもなくぼやっと感じてる「何か」を、言語化して捉えていくという意味で、とてもいい機会でした。

 

 

じゃあ、何を終わらせるのか?
それは35年間慣れ親しんできた「どうせこんなもんな私」の終了(完了かも?)です。
そう決めたら、いろんな「どうせこんなもんな私」が出てきています。なんだか最近怒涛やわ。

 

というわけで、「我慢が暴発してる」シリーズの続編「どうせ私なんてこんなもんを終わらせる」シリーズで、しばらく書いてみます。(しかし、シリーズにします〜と言ったものの、前編は大したシリーズにならなかった!)

 

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先月から、車の運転始めたんですよねー。もう、8年程ペーパードライバーなんですわ。

 

福岡に来たらそこそこ乗れないと不便かなぁと思いつつ、結局自転車での移動を重ねてきました。

 

昨年秋にふと思い立って、ペーパードライバー講習を受けたのですが、
車の世界がそれはそれは怖くて怖くて、翌日、熱出した程。微熱やけどね。

もう車なんて一生乗らなくていいよ。私はいつまでも乗せてくれる「誰か」の側に居てればいい。。。と、ヤケクソに思いました。

 

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でもやっぱり乗りたくてウズウズして来て、ペーパードライバー講習を再度受けて、そして夫を横に乗せて走りはじめました。

 

最初にペーパードライバー講習受けた時に思ったのは、

 

周りの空気を読みすぎてると、逆に危ないのなぁ。
周りの空気は読みつつ、自分の進む意思はちゃんと表現しないと。


そして、これって私が人間関係でもよく陥るアレやなぁと思ったわけです。

 

うちの父がよく、車の運転を見ると仕事の出来が分かるというような話をしてましたが、ある意味そうなのかな。

(けどその考え方は、人のことジャッジする気満々で、好きちゃうかったわ)

 

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夫に助手席に乗ってもらいながら運転してた時に、夫がこんな事言いました。

 

「でもさ、意外と相手も避けてくれるもんだよ。だって相手もぶつかったら嫌でしょ?だからみんな理性的な運転するよ。
怖いけど、そんな遠慮がちじゃなくても、もうちょっと勇気だして進んでも大丈夫だよ」と。


そっか。。。

私ってば、周りの運転手達は基本的に危険な運転していて、その上私の運転を批判してくる、怖くて恐ろしいジャッジメント達のように錯覚してました。

 

んなわけねーやん!

みんな、自分が安全に運転できるように配慮してるに決まってるやんか〜!!!自意識過剰発動か!

 

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しかし、それは私が世界に感じていることのような気がしました。


周りの人間は全て私を批判してくるジャッジメントである気がしてるかも。
気を抜いたらぶつかられる、怖くて恐ろしいものと思ってるかも。


でもさ、もしかしたら世界は私が思ってるより優しくて温かいのかも知れない。

最近は、それを知りたくて運転しているような気さえして来ました。

 

そしたらね。

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とある日、初めて1人で運転していた時なんですけど。

信号機のない、でもそこそこ通行量のある曲がり道で。
私は左折で入ったんですよ。
そしたら直進で後ろに来ていた車のに、クラクションをビビビビビーーーーと鳴らされまして。

 

え?めっちゃ離れてたやん?と思ったけど、振り返ったらすぐ後ろに居たんです。

うわぁ、怖っ!
と思ってとりあえず「すいません、すいません」と唱えながら進んでたら、次の赤信号で後ろの車の人が降りて来ました。

 

コンコンと運転席をノックされて、50代くらいのおっちゃんに、
「あんな運転したら危ないやろ!」
と怒られました。
かなり怒っている様子で。

 

少し開けた窓から平身低頭謝りましたが、ここから殴られたらヤバイなとか思いつつ、とにかくとにかくめちゃくちゃ怖かった訳です。。。

しかも青信号になってもしばらく後ろに着いてくる!(いや、進路が同じやっただけ)


ひぇー!!怖ぇぇぇぇー!
と思いながら走っている中で、ふと。

 

(私は自覚無かったけど)、ホンマにそんな危なかったのかな?
と思いまして。
確かに振り返ったらすぐ後ろに居てた訳で。

 

おっちゃんが怒って来たからとにかく怖いだけで早く時よ去れ!!と思ってたんやけど、
もしかしたら、私の運転はホンマに危なくて、たまたまおっちゃんが運転上手かったから、私、命拾いしたんやないの?

と思ったわけです。

 

ほら、下手な運転手が2人揃ったら事故が起こるっていうじゃないですか。

そう思ったら、
おっちゃんが運転上手くて良かった〜!!ありがとー!

と思った訳で。

 

ちょうどそしたら進路が変わったようで、背後のおっちゃんの車はどこかへ行きました。

 

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後から考えたら、

確かに私の運転危なかったのかもしれないけど、あのおっちゃんもかなり詰めてきてたよな。とも思えるので、

 

まぁ左折(右折)する時は、焦らず行きましょう!!!

 

というだけの話です。

 

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この出来事って、私が感じてること復習した出来事やったなぁと思うわけです。


周りの人間(怒ってきたおっちゃん)は、私を批判してくるジャッジメントで、怖くて恐ろしいもの。

 

やったけど、もしかしたらおっちゃんのおかげで命拾いしたのかも。
ほな、おっちゃんってめっちゃ優しいんちゃうのん?!


少しだけ、「もしかしたら世界は私が思ってるより優しいのかも知れない」な経験だったことにしよう。

少し無理矢理な気もするけど。

 

怖い怖いとビクビクだけしてた私から、

おっちゃんのおかげで命拾いしたのかも〜♡

と思えた事が、私は嬉しかったのです。

 

だから、結果オーライな出来事でした。

 

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こうやって、すこしづつ肝っ玉を育てて行くのだ〜!

 

 

肝っ玉オカン道は続く。