肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

ブログをもっとたくさんの人に見て欲しい(?)

こんにちは。

めちゃくちゃ「インスタ映え」するスポットへ行ってきましたよ。

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ザ・スイーツバイキングぅ(苺フェア🍓)  

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めちゃくちゃ楽しみにしていたので、この日のために、ファスティングまでして備えていたのですよ!うふふ。

山ほど並んだ、どれ食べてもええよ〜という状況に、小躍りする気分になりますねぇ。

「どれもこれも可愛くてペロリと食べてしまいました〜❤️」

・・・な事にはならずで。なんやなんやで甘いものばかり食べ続けるのはキツくなってくる。

というわけで、この日のベストは「カレー」でした。スイーツバイキングにカレーをラインナップさせるってセンスええわぁ〜。

 

バイキングで元を取る思想ってナンセンスよなぁ。って毎回思います。普通に食べたいものを食べたいだけ注文する方がずっと「お得」。

でも、あの色とりどりに並んだ可愛いスイーツを見ると、ついついそんなに惹かれてないものまで皿に乗せてしまう。バイキングってそれも含めた「イベント感」がメインディッシュやねんなぁ。

んなわけで、しっかり堪能してきました!

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一緒に行ったのは、拙ブログでもたびたび登場してる、お友達の川澄さや花ちゃん(a life with the tarot)。

最近、このブログをどうしたらええんやろ?と思っていたので、さや花ちゃんに付き合ってもらって、タロットを用いて向き合うことにしました。

 

「ブログをもっとたくさんの人に見てもらうにはどうしたらいいですか?」

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①過去(右の上)⇨ペンタクル7(逆)

今まで育ててきたものに、手をかけただけの結果が出ていない、もしくは異なる結果が出ているように思っていた。

②現在(右の右)⇨ワンド ペイジ(逆)

ひらめきや情熱が湧いてこないように思っている。

③未来(右の左)⇨ソード エース(逆)

このままいくと、理想の方向性にブレが出てくるよ。

④顕在意識(左下の左)⇨隠者

ブログを自分を見つめるためのツールとして位置付けているやん?

⑤潜在意識(左下の右)⇨ペンタクル10

身近な人に囲まれて、幸せ感じて満足してるやん!

⑥アドバイス(右の下)⇨ソード ナイト(逆)

それってさ、本当にあなたの進みたい方向なの?

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このブログ、過去の自分への答辞であり、未来の自分への送辞のようなつもりで書いているところがあって。「誰がキョーミあるねん?」な、猛烈に独りよがりな内容、だけどあくまで私の気持ちを整理するために書いてるから、と。

それなら日記でええやん?と思うけど、「人様に見てもらえるかも知れない」というエッセンスがモチベーションにも繋がるし、思考を整理する時の緊張感にもなるからいいよね〜と思ってました。

なんだけど。たまにこれを読んで強く共感してコメントもらったり、メールで感想をもらったり、そんな深い所のコミュニケーションが産まれることに、猛烈な喜びを感じていました。でもあくまでそれは副次的なものと捉えていたんですが。

 

最近、もっと反響欲しいなぁとか、もっと閲覧数増やしたいなぁとか、このブログを私の名刺代わりにして、多くの人と繋がるってのはできないのか?とか。そんな、ブログを通したコミュニケーションをもっと欲しいと思うようになってたんです。

 

んでこの結果。この逆位置だらけのカードに、まさにこの問題の本質が見えてるような気がしました。なぁ、それってさ、本音なん?って、しれっとタロット様に言われた感じです。

特に、④顕在意識と⑤潜在意識の2枚が効いてますねぇ。

自分を見つめるためのツールでしょ?分かってるよね? 顔の分かる身近な人に読んでもらって、共感し合えること、そして私を少しでも知ってもらえることに、充分以上に満足してるやん?

いずれにしても今は、たくさんの顔の知らない人に読んでもらって繋がりたいなんて、ほんまは思ってないよねぇ。

 

んなわけで、相変わらず淡々と綴っていこうと思います。たくさんの人に読んでもらうことより、どれだけ自分に正直に書けるかの方が今は大事やな。それがむっつかしーけどな〜。

 

さや花ちゃん曰く、タロットリーディングは、ミステリーを読んでる感覚だそうです。

相変わらず八代亜紀のように淡々とカードの意味を説明してくれて、それを聞くうちに自分の中のものが引き出されて。確かに、一緒に謎解きしていく過程がめっちゃ楽しすぎます。

自分や他者の人生に触れていくコミュニケーションがたまらないのなぁ〜。

 

肝っ玉オカン道は続く。

怖くて吠える鬼


こんにちは。
節分でしたね。いよいよ、新年あけましておめでとうございます。

私は厄年年女なので、神社で厄払いしてもらってきました。

そしたら、高台から豆まきできる権利(?)まで付いてきて、めちゃくちゃええ経験でした。

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こちらの記事で書いたように、

kimottamamama.hatenablog.com

「鬼も内、福も内」と(心の中で)唱えながら豆まきしました。

厄年は、“お役目をもらう年”らしいです。人生の節目であることには変わりないようなので、心して、健やかに過ごす所存でございます。

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ピノ子が「豆まきの歌」を歌っていて。

おにはそと
ふくはうち
ぱらっ ぱらっ
ぱらっ ぱらっ
まめのおと
おには こっそり
にげていく

これ、聴くたびにちょっと引っかかるんですよね。

別に「こっそり」逃げんでええやん!脅かしてるのに。鬼は強いのに。

 

でも。

もしかしたら退治されるのが怖いのかなぁ。怖いのを精一杯隠して、虚勢を張って脅かしに来てるのかも。
それなら鬼って、なんて人間くさいのだろうか。

そんな話をして、幼稚園に来る鬼には優しく豆投げてあげや〜と送りました。(とはいえ、いざ鬼が来たら怖くてたまらなくて、そんな余裕なかったそうです。)

 

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私も、夫や子供に鬼みたいになってる時って、不安や恐怖のある時やわ。
怖いから精一杯脅かしてコントロールしようとして、相手も恐怖で豆を強く投げてくる、あるある。
(これからこの現象を、節分現象と呼ぶことにします。)

 

鬼みたいに、「こっそり」逃げる可愛げを忘れないようにしよう。
それと、相手を脅かしてしまう前に、私怖いんやなぁと気がつけたらええよなぁ。

 

そんな節分です。本年もよろしくお願いいたします。

 

肝っ玉オカン道は続く。 

表現したい熱烈な想いと、表現してはいけないという強固な恐怖

こんにちは。

 

最近は、パンを捏ねてます。

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クリームパンとウィンナーロール。

今はホシノ天然酵母を使ったパンをよく捏ねてますが、自家製天然酵母を使ったパン作りへの野望がふつふつと湧いてきました。 

あとは、イケオー(イケテル オーブン)が欲しいなぁ。。。 

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今年から歌のレッスンに通い始めたんですよ。

歌うことが好きで、以前も歌のレッスンに通って大好きな先生に出会えたり、気の合う友達とゴスペルのクワイアを組んだり、歌うことを楽しんでいたのですが。

 

練習すればある程度上手くはなるけど、いつもつまずく一つのことがありました。
それは、「気持ちよく歌えない」です。

音程も声量も、そこそこまでは大丈夫なんですよ。カラオケ行ったら、周りの人にちょい驚かれる程度は歌える。
でも、この体格活かしたらもっと響きや伸びをだせるんじゃないか?スムーズにパワフルボイスが出せるんじゃないか?と思うんです。
その実、肩凝るほどに全身に力が入ってて、歌うほどに苦しい感覚がありました。

福岡に来てからは、レッスンに通うことまでのことはなく、カラオケや家で細々歌うくらいの生活やったんですよ。

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でね、身体のプロである鍼灸師さんが感心するくらい、身体の構造や使い方を熟知してるボイストレーナーさんが居るよ!と紹介してもらい体験レッスンに行ったのが始まりです。

最初に歌った後、
「とてもお上手ですね。ただ一つ。歌いながらとても強いストレスがありますね?」と言われまして。
「なんで分かるの?!」と目からウロコポロリでした。

 

先生曰く。

本来の声の響きを産もうと、程よく緩んだその途端、強い緊張で喉を締め付けるクセがある。
それでも歌えているのは、歌うことへの強い強い意志や希望があるから。その意志や希望のようなもので、ストレスにも耐えうる喉を自然と育ててきている。
そして、今までのボイストレーニングや日常の練習で腹式呼吸の基礎、つまり歌うためのエンジンは備えてる。
あとは、喉・身体が、適切な“緩み”を覚えると自然と「気持ちよく」歌えるようになりますよー。

というご指摘でした。

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先生の言葉が、帰りの電車でしみじみ沁みてきて涙出ましたよ。

あぁ、それって私のことやなぁ。私の生きにくさそのものやんかって思いました。
自分の思ってることを、喉で押さえつけて飲み込んで出さないクセ。愛想笑い。でも人一倍表現したい欲求はあるんよねぇ。

でもきっと、もうこの生き方は終わりなんや。恐怖にとらわれて、制限して、抑圧して、自分を表現しないように頑張るのはもう終わりなんや。とも思いました。

 

とはいえ、「喉に出かかった思いを押さえつけて出さない生活=年齢」 なんでね。
自分の中に渦巻く「歌いたい意志」、言い換えるなら「表現したい欲求」をどうやってスムーズに喉を使って出したらええんやろか皆目不明です。産まれてこのかたそんな生き方したことないもんな。


ただその日、この歌の先生の摩訶不思議なレッスンで、ちょっとだけその片鱗を感じることができたのです。ほんの一瞬、「気持ちよく」声を出せたんですよ。
それでね、身体が変われば頭も心も変わるだろう。というわけでレッスンに通いはじめることになりました。

そして先月の集中レッスンでは、とても面白い体験ができたのです。
長くなったので、次回以降に続きます。

 

肝っ玉オカン道は続く。 

そんなに余裕をなくして

こんにちは。

年明けてとっくに経ってますが、あけましておめでとうございます。(しかしながら「2/2までは旧年」ルール発動しときます!)

久しぶりすぎて、ブログの書き方忘れちまった。

 

今日はなんだかいい日らしいですよ。んなわけで、書く気が湧いてきました。

 

今日は、ピノ子のお弁当の日だったので、鬼ぎりを。

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 ピノ子は、鬼を食べて鬼退治をすると張り切って登園しました。

後からふと、「鬼を食べて鬼退治」ってめっちゃええやん!って思ったんですよね。
鬼、いわゆる自分の醜い部分、恐ろしいと感じているもの、深い悲しみや辛さ、そんな、認めたくないものをしっかり凝視して、受け容れて(食して)取り込んでいく。
全て自分の血と肉として「私」を形造る、そんな生き方がしたいなと改めて思いました。

いわゆる清濁併せ呑むってやつですよね。

となると「鬼は外、福は内」ではなくて、「鬼も福も内」だな。

そんな感じの今日でした。
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最近、夫婦間がギスギスしてました。
取り立てて何かもあったわけですが、それはあくまで現象として出てきていただけで、お互いが猛烈に「気になっていること」に囚われて余裕が全くありませんでして。
その余裕のなさを相手への攻撃という形で表現していただけです。

 

そしたらピノ子も素直に不安定なんですよ。
あ〜、これは私たちの影響出てるなぁ、とは思うわけですが。
自分の不安定さに目を向けるより、相手の不安定さの方が数倍簡単に目につくわけで。

「もぅ、なんてやりにくい子なの!」と、ピノ子のせいにする日々でした。

 

ある日、ピノ子と喧嘩しててね。

もぅ、とことんひつこいの。口が達者になってきたとはいえ、理屈がまだ未熟やから、屁理屈がくどくて。いつまでたっても伝わらない終わらない。めんどくさい。

そっくりやん!と思いました。

 

で、またある朝。夫がピノ子と喧嘩をしているのを遠くで聞いてたら、細かいことにいちいち突っかかって文句言ってるピノ子。

これ、私やん!と思いました。

 

こうやってピノ子は、私を、私達を見せてくれるのかぁ。
そう思ったら健気な5歳児を抱きしめてやりたくてたまらなくなりました。

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やっぱりちゃんと向き合って話さなあかんなぁと思って、渋々 笑。

 

お互い、不安で余裕が無いこと。そんな時にお互いを支配しようとして攻撃的になってること。自分の平穏を相手が変わることで満たそうとしてること。
要は、相手をコントロールしようとし合ってる現状。そして、どういう家族でありたいのか?どういう夫婦を子供達に見せたいのか。そんなことを話しました。

 

最初は相手のせいにしてケンケンしてましたが、
家族は支え合ったり、共感しあったり、調和できる場で在りたい。というゴールが同じであることが共有できて、ようやく緩んだ会話ができました。

ま、こんな綺麗なもんちゃいますけどね。未熟者同士の夫婦なんですよ、ラララ。

 

そしたら、ピノ子との関係もあっという間にやりやすくなりました。
自分の心が安定してるかどうかで、同じ現象でも全く受け取り方が違うもんですよね。

自分の平穏を外側に求めない。前にもこんなこと書いたな。

どれや?これか!

 

kimottamamama.hatenablog.com

 

これ最大にして究極の在り方やし、もうこれしかない。

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今年は、とにかく自分を生きて、行って、活かそうと思う!

それがどういうことって?
知らんけどな、一事が万事や!このやろ!

 

生きるぞー!活かすぞー!
んな、新年の決意でした。

 

肝っ玉オカン道は続く。 

今年も一年、よく生きた

こんにちは。

年の瀬ですが、昼寝ばっかりしてます。掃除もおせちもかなり緩めです。あと3日ほど年末が欲しいけど、多分それでも寝て過ごすでしょうねぇ。

毎年恒例の、「新年は2/3やしな!」というミラクルルールを発動して、このまま年を越そうと思います。

 

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足の方は順調です。

2日ほど前に、「労宮おむすび」

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をむすびながら、とっても久しぶりなことに気がつきました。

それから、毎朝していた「お天道様に手を合わす」という日課も、ようやく戻って来ました。

身体は元気とはいえ、足を折って以来、日課として取り組んでたことにまでは、エネルギーが回らなかった様子です。

 

先ほど年越しそば(厳密には、年越しうどんでしたが) を家族で食べながら、みんな元気に生きて、みんな揃って年越しできた。と、しっとり思いました。

 

やっぱり私の生活は、この家族が元気に生きてこそ。その下支えがあってこそやなぁ。と思います。 

 

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今年は、とにかく心が忙しい一年でした。

苦しかったり、悔しかったり、恥ずかしかったり、悲しかったり、ムカついたり、ウキウキしたり、ホッとしたり、ワクワクしたり、ジーーーンとしたり、ボーっとしたり。

上がっては下がっての振り幅も大きい反面、それをじっと見つめる自分もいたりして。

まぁ、自分との付き合いがとてもエキサイティングな一年でした。

 

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今からお風呂入って、録画してるガキ使をダラダラ観ながら寝ようっと。

 

今年もお世話になりました。

そして、良いお年を!

ギプス取れましたっ

こんにちは。

 

苦節3週間っ(大げさ)

昨日ようやくギプスが取れました。

 

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靴が履けるようになって、喜び舞っております。(いや。舞ったら危ない。)

 

ギプス取れたとはいえ、まだまだ完治ではないので、しばらくは薄手のサポーター様にお付き合いいただき、2月くらいまでは過ごす予定です。

 

昨日は夫がギプス取れたお祝いにケーキを買ってきてくれました。

家でゴロゴロして過ごしたこの3週間でほんのり太ってしまったので、お祝いケーキを境にしばらく甘いもの断ちをするつもりにしておりますっ(クリスマスケーキは食べるけどなっ)

↑「つもり」ってなんやねん!

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どの靴もサンダルも入らずに絶望的な気持ちになったのが、たった3週間前のことかぁ。

 

それはもぅ不便でねぇ。

歩きにくいし、お風呂のたびに包帯を巻き直したりして、寝るときも邪魔でねぇ。

あーぁ、早く取れないかなぁ。って常に思いながら過ごしましたが。

 

しかし、いよいよギプスが取れるとなった途端、不安が襲ってきました。

 

これからは、自力で怪我しないように歩かなくちゃ。ギプス様が無くても大丈夫なのかなぁ。またあんな目に遭ったら、怖ぇよぉ〜。

 

というやつです。

不便だ不便だと思いつつ、ギプスのある安全と、正々堂々と休養できるという大義の中で過ごしてたんやなぁ。

 

 

そしてこの感覚、既視感がありありでね。私、こういうの好きなんやなぁと思いましたわ。

「安全なんだけど不自由」っていう環境から出るとき、いつも尻込みしてしまう。

安全という心のギプスを外すのが怖いのよね。

 

でも勇気出してそのギプス外してみたら、思ってた以上に安全や安心があって。自由の素晴らしさがあるのよ。

 

今回も、案の定そうでした!

ギプスを外して確かに不安はあるけど、でもそれ以上の自由があって素晴らしく快適だわ!

 

これからも、心の副え木を外すのが怖くなるたびに思い出そう。

安全の、その外の世界が意外と安心で居られるってことを。そして自由の素晴らしきことを。

 

 

どうでもいいけど、ギプスなの?ギブスなの?語感は「ギプス」が好きやけど、椎名林檎は、「ギブス」よねぇ。

 

肝っ玉オカン道は続く。 

自分を誤魔化さないで生きる覚悟はあるのか?

こんにちは。

我が家にホームベーカリーがやってきました。

今日で2泊3日ですが、既にパンを7回焼いて、お餅を4回ついておりますっ!興奮しすぎっ!

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思った以上に簡単過ぎるので、ちょっと凝ったレシピを探したり、天然酵母を立ち上げたりして遊んでます!うしゃしゃ。 

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少し前だけど、他人の相談に乗る(?)的な機会があって、終わってからひどい違和感が残ったんですよね。

 

人の話をただ「聴く」って難しいなぁ。なんで私って奴は、要らんこと言うたり、アドバイス的なことをほざいたりしちゃうんだろぅ。あー、嫌だ嫌だ。

と、聴けない自分に落ち込んでる風の日々を過ごしてたんですが。

 

 

いや、違った!

その時の私、ホンマはもうぜーんぜん聴いていたくなかったんよなぁ。

またその話か?知らんがな!って思ってたのに、親切な人になろうとしてた。真剣に聴いたら好かれるかな?って時間を過ごしてしまったんやなぁ。

 

もう1つ悔しいのは、その時、「聴いていたくない」自分をほんのり感じてたのに、抑え込んだよなぁ。くぅぅ。

リアルタイムでそれを感じてたら、切り上げることもできたし、黙ることもできたし、勇気を出して素直に伝えることもできたかもしれない。

とにかくこの気持ち悪い違和感は無かったやろう。

 

優しい人のフリして、逆に失礼なことをしてたんや。偽善ってやつや。くそー。

 

kimottamamama.hatenablog.com

  

↑あの時も同じやったやん?ホンマは聴いてたくなかったのに、「どうにかしなきゃ」が暴走してさ。後から散々反省したはずやのに。

もう、2度と嫌だ!自分を誤魔化さないんやって決めたはずやったのに。

 

決めたら、お試しが次々やって来るなぁ。

でも、次は、次こそは、自分を感じてやろう。例え「聴いていたくねぇよ!」って思っててもええやんか。

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こないだ、久しぶりに会うお友達と話してて。彼女とちょうどそんな話をしました。

 

彼女は、今年に入ってお話会を開催して、いろんな方の話を聴くお仕事を始めたんですよね。

正直、自分のことをイヤってほど知れると言ってました。お金もらって人の話聴いて自分に向き合うなんて、申し訳ないくらい〜と笑って言ってました。

 

彼女は、仕事やプライベートのパートナーには、

「気が合うとか、価値観が同じということを求めない。価値観が異なる事で起きる衝撃の中に自分を見れるから。どんな人でも、どんな衝撃でも、向き合うって決めたけん!」と言ってました。

 

彼女は、とことん自分を受け容れるために、他者ととことん向き合うって決めたんや。

ポンコツでも、かっこ悪くても、そんな自分を受け容れて、その上でどう在りたいかを考えて進んでいく。

そんな姿に惚れ惚れしたし、眩しかった〜。くぅー。

 

 

私は、まだまだ嫌われない為に「良い人」で居ることをやめる覚悟がないんや。いけずでかっこ悪い自分を見る覚悟もない。怖くてたまらん。

ぁぁぁぁ、くっだらん人間で嫌になるなぁー。

 

とかグダグタ思いながら、それでもやっぱり私は、自分を誤魔化さないで感じて生きたい。それこそが私の進みたい肝っ玉オカン道だろうよ。と思う。

くぅー。

 

 

肝っ玉オカン道は続く。