お片づけとお掃除の目的
この夏、ピノ子のプルプルのお肌が荒れました。
ここでも書いたの↓
最初はとびひがひどくなったものだったのですが、一旦治ってもまだ治まらず。
アレルギー検査したところ、ダニのアレルギーがちょっと出たんですよね。
その時お医者にね、
「君の家はよっぽど汚いんだな。これは親の責任だ!」と言われました。
すっごい悔しくて奥歯を噛みしめながら帰ってきました。
しかもその日は私の誕生日。人生最悪の誕生日だ…と絶望してました。
それから。
拭き掃除、掃き掃除、掃除機、
掃除、掃除、掃除の日々が始まりました。
私の心の中では、
あのクソ医者め! と、お医者に対する恨みをぶつけるかのように、手の皮がむけるほど雑巾がけをしました。(これは大袈裟)
そして、この拭き掃除は今後ピノ子と同居している以上永遠に続くのか、と途方に暮れていました。
まず、部屋が汚いって言われたことが悔しすぎたわけです。
そして、部屋が汚いからアレルギーになったって言うのがとにかく納得できなかった。
だって私は、
だって私は!
だって私は!!
あんなに汚い家でも、こんなに肌ツルツルに育ったやんかー!
そう。これ。
私の母は、お片付けお掃除に苦手意識のある人でした。それでね、母はね、普段からあまり片付けや掃除はしないんやけど、人が来るときだけは部屋の掃除をしっかりするの。すごくイラつきながら。私はそれがとても嫌でした。
母はね、きっと汚くて散らかってる部屋にコンプレックスがあったのでしょう。そしてそれは人から批判されると思いこんでいたのでしょう。少なくとも私にはそう見えました。
そして 私にもしっかりと植えつきました。
「我が家は人様にお見せできるような家やない」と。
話を戻して。
お医者に指摘されてから、猛烈な被害者意識にまみれながら掃除をする日々。
手伝おうとするピノ子を押しのけ、掃除機で遊ぶコボちゃんを押しのけ、夏休みの毎朝のことですから、だんだん朝になるのが嫌になってきました。
ある日、同じように拭き掃除をする中でふと、この掃除はいつになったら終わるの?いつまで掃除したらOKなの?と、思いました。
そこでようやく冷静に部屋を見渡してみました。
ほな、なんと!
うちの家、めっちゃキレイやったわけです。
隅々まで拭き掃除されてるし、
物も少なくて家具もスッキリ。
私、自分の家のこと汚いと思ってた・・・
そして、人から見たときに批判されないかどうかが基準になってました。
目からうろこポロポロ。
お医者に言われた言葉は、まさに自分が自分に言ってる言葉だったのよね。それをお医者の口を使って出てきただけ。要は図星やったから、あんなに悔しかったのだ。
まぁさ、私の家は汚くて批判されるものやって思い込んでるんやから、そうなるよね〜。願い叶ってますやん。
片づけはするけど、掃除はするけど、そもそものスタートが強烈にマイナス。だからいつまで経ってもOK出せない。
だって、「人様にお見せできる家じゃない」ってさ、そもそも評価を他者に委ねてるんやもん。人様のゴールはいつまで経っても分からない。っーか、人様って誰だよ!そら、OK出せんで当然よな。
私のうちは、私が心地よく住むための場所。だから、「私にとって」心地のいい場所であるために、片づけや掃除をする。
そんな、片付けとお掃除の目的を、産まれて初めて確認したわけです。
「当たり前〜」の事がどれだけ、いつの間にか思い込んだ事に縛られて見えなくなってるか。。。
それがよく分かった出来事でした。
行動の「目的」はしっかり確認した方がいいね。それが日常の当たり前にやってることであればある程。
というわけで、それ以来、鬼のように掃除に追われるのや〜めた!
心地いい程度に掃除してます。いわゆる適度ってやつ。
んで分かったのは、それでもやっぱり私、スッキリしてる部屋が好きみたいだわ。物が少なくて、ホコリも食べカスも落ちてない方が好き。
初公開、我が家のリビング。
あー、心地いい♡サイコー!
とは言いつつ、他者の評価を基準に掃除をしてきた私としては、公開するのはちょっとドキドキしてる 笑
そして、部屋をピカピカに掃除した時には、人を呼ばなくてはいけないのではないか?自分だけのためにこんなにピカピカにしても意味がないのでは?というよく分からない想いに駆られます。
何それ?おかしないー?と笑っとく。
・・・
と、まで書いておいて続きあり。
ただやる。の話。
まとまったら書きます!
肝っ玉オカン道は続く。