肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

私の中の大事な私(過去記事)

今いろいろ書きたいことがあるねんけど、進まへんわー。頭の中では文章できてるけど、手が進まない現象。これって何なの?と心に聞いたら、「待っとりー」って言われましたわ。へへへ。

と思ってたら突然手がすすみだした!ピノ子の寝かしつけは夫に任せてパソコンに向かってる←イマココ

 

とりあえず書きたいことあるねんけど、そのためにもこの過去記事を上げるぜぇ~(今更すぎちゃん)

 

 

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日々の何てことない内容のブログ書いててストレスなってきましたわ。
最近、ホンマはもっと書いておきたいこってりした想いがたくさん出てきたんですが、それが形にならへん。下書きが溜まる溜まる。
 
考えて書いてつまづいて、消したら元通り。12時間経って並べたもんは、紙くずだった。
 
状態ですよ。(by スキマスイッチ
 
 
そして、ブログにこんなこと書いて大丈夫かな?見た人に変に思われへんかな?嫌われへんかな?って思ってる私も居るのよ。
 
 
やけどさ、いわば自分のために書いてるこのブログ。古い記事見直した時にさ、しっかり自分の感情を書いてる記事がやっぱり面白いもん。それが私よ。
と、思い至りました。
 
綺麗じゃなくたって少しづつだっていいんだ。その痛みをただ形にするんだ。
(by スキマスイッチ アゲイン)
ってか、私スキマスイッチボクノート好きよなぁー。引用しすぎスイッチ!
 
 
 
で、本題。
私ね、こないだえらいこと気が付いてしまいました。
 
私ね、娘を出産直後、
猛烈な母親への怒りが出てきたんです。
いや、もはや憎悪。そして、悲しみ。
 
ふにゃふにゃ泣くだけの愛しい娘を抱きながら、私が小さい時に蓋してきた私の感情がぶわーっと出てきたんですよね。
 
え?子供ってこんな可愛いの?
それやのに、何であの人(母)は私を可愛がってくれんかったん?
何であの時怒鳴られなあかんかったん?
何であの時叩かれなあかんかったん?
何で泣いたらあかんかったん?
何で?何で?何で?
 
幼い頃に感じていた理不尽さに怒りや憎悪、そして深い悲しみが湧き立って、半パニックですよ。
日がな一日、娘を抱いて号泣して過ごす時期がありました。
 
 
ずーっと物分かりのいい、いわゆる「いい子」でいることに決めて、母親に抱いてる理不尽な想いには蓋してたんですよ。
 
そんなこと思っても仕方ない。
こんな人なんや。って。
 
いやきっと小さい時の私は、
お母さんがこんな態度を取るのは私のせいや。だから私はもっともっといい子になってお母さんを困らせないようにしなくちゃ。って決めたんですよ。ただ母から愛されるために。
 
 
それがね、自分が母になって愛しい娘を抱いた時に揺さぶられたんです。
 
何で?何で?何で?
 
苦しかったけど、でも実は嬉しさもありました。
せっかく出てきた「オカン憎い」って気持ちを大事にしようと思いました。
その私の正直な気持ちがすごく愛しく思えたから。
 
 
その後いろいろあって、半分絶縁状態やった時期もあるし、今までの恨み辛みを手紙にしたためて送ったこともある。
ま、それでも何の反応もなかったし謝ってもらうこともなかったけどねー。その時の私は、土下座して謝らせたい!くらいに思ってたから。
 
高熱出してうなされながら、こんなんいややな、もう許してもええかって思った時もある。
 
苦しいなぁ。うっとおしいなぁ。って思いながら過ごしたこの3年。
 
 
こないだふとね、
あれ?私さ、「いつかは許せる。だけど憎い。」って思ってない?
つまり、いつかは許さなくてはいけないっていう条件付きで憎んでるやん!って事に気がつきました。
 
はっ!としましたよ。
 
 
私、私の中の正直な気持ちを大事にしてるつもりで、やっぱりいい子な私が私を責めてた。いつか許すっていう条件付きなら、そんな醜い感情を持ってもいいよって。
私の中のいい子な私、あっぱれ!
 
 
ほらね、過去にいろいろあったけど今はもう親に感謝してますって人の話を聞いたり、
いろいろ勉強して少しでも生きやすくなりたいって思う中で、
「許す」ことが大事なんやと、
そして私もいつかは許さなくてはいけないことなんやとね思ってたわけですよ。いい子な私が。泣きながら怒りや悲しみをしっかり感じたつもりで、まだまだ感じきれてなかったのよ。だって条件付きやもん。
あと「親には感謝しないといけない」っていう世間一般の通念にやっぱりしばられてるのね。
 
 
そしてさらに混乱したのは、
憎しみと同時に、ものすごい強い情があること。
さらに母にまだまだすごく期待してる気持ちがあることがわかったから。謝ってもらいたいってのもその一つですわ。
他人に特に母に期待しても仕方ないって、もうずーっと思ってたのに、その裏で正直な私は実はすごく期待してる。
小さな私は、やっぱりお母さんに見てほしくて愛されたくてたまらないのよ。
 
 
親が子を想う気持ちより、
子供が親を想う気持ちのがずっと強い。
それが私にも当てはまってる。
 
感情ってすっきり割り切れないもんですわ。
でもさ、私の中の感情は、いろいろあっていいのよ。憎い感情も、寂しい感情も、愛しい感情も、期待する感情も、どの感情も良いも悪いもなくて、どれも私の中の大事で愛しい私の一部なんやわ。
せめて自分の感情には、物分かり良くはいたくない。
どの感情も愛しく受け入れるということが、きっと自分を愛するということなんやろう。
 
 
とか言いつつ今は混乱してるけどね、
きっといつかそれがええ感じに醸成されて、すこーっと腑に落ちる時があるんでしょう。
 
 
その日を楽しみに、
私の中の素直な「オカン憎い」の気持ちを大事にしますわ。

 

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肝っ玉オカン道は続く。