肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

本音はヒトを癒し、救う の巻

「〇〇の巻」は、最近ピノ子のブームです。

 

先日、母に初めて子守りをお願いしたんですよ。ピノ子4歳にして、初めて。

今まで子守りの選択肢の中に、母や家族に頼るというのは無かったんですよねー。夫婦でどうにかやる、もしくはお金を払ってプロに頼む。くらいで。

 

二度の産後も母には頼らず、近くの親戚に頼ったり、プロに頼んだりしてました。
家族に甘えるということが私にとっては大きな大きな壁でした。

小さい時からずーっと、「いい子」で居ないといけないと思ってたからねぇ。

 

それがふと、頼んでみようかなって思って勇気出してみたら、二つ返事で引き受けてくれて、子供達と居てたら風邪治ったわ〜と笑顔で帰ったのが私とても嬉しかったのです。そして助かった。

 

ピノ子が産まれてすぐのころ、母に対する強い強い怒りの感情が湧いてきてどうにもならなくなってね。
母と対峙するたびに、小さなピノ子に自分を重ねて、「なんで?なんでこんなにかわいい(存在な)のに、あんなに私は抑圧されないといけなかったの?」っていう疑問が湧いてくるわけですよ。

そりゃあもう苦しいからねー、正直関わりたくなかった。

 

 

参考記事⬇︎

kimottamamama.hatenablog.com

 

 

それがね、コボちゃんが産まれてしばらくして、ふとしたきっかけで母と話をする機会ができたんですよ。

 

 私が母を煩わせないいい子で居ることがどれだけ生きにくかったか。母に見てもらえなくて寂しかった。もっと愛情かけて欲しかった。大事にして欲しかった。と、その時伝えることができたわけです。

 

この時、母を責める気持ちや謝罪を求める気持ちが(ほぼ)無かったことに驚きました。あんなに恨んでたのに!自分が苦しいのは全部母のせいやって思ってたのに。

それはまぁ、私にとっては大きな大きな一歩やったわけでね。

 

生きてるうちにもっと 本心で話がしたいと思ったから、それからもちょくちょく、「思ってること」や、「思ってたこと」を言うようにしていました。

 

その度に母は、「私が未熟な母やったから」とか、「私が至らなかったから、つらい思いさせてごめんね」とかいうわけです。

 

やけどなんかさぁ、それ聞くたびに釈然としない思いが心に広がりました。

でもその理由が何なのかは、しばらく分からずやったのですが。

 

 

ある日私、熱を出してね。その時にふと幼き頃に母にされた仕打ちを思い出して怒りがフツフツと湧いて出たわけです。

 

んでね、結局母といろいろ話した気になってたけど、母が幼き頃の私のことをどう思ってたのか聞いてない!ってことに気がつきました。もう居ても立っても居られなくて、勢い任せに母に電話しました。

 

でさ、母さんは私のことどう思ってたの?母さんは私のこと煩わしかったの?そこんとこどうなの?

 

 

・・・

かなり何度もラリーしてようやく母は話してくれました。

 

 

周りはもう子育てがひと段落してる中で(うちは、年の離れた姉と兄がいるので)、自分だけまた1から子育てが始まると思ったら取り残されるような気もしたし、煩わしさがあった。

そして、そもそも子育てというものに自信もなかったから、またできるのか不安だった。

 

あと、パパ(私の父)が私に甘いのを見て、私に嫉妬する気持ちがあった事も。子供より、私の事を大事にしてよって気持ちがあったのかもなぁ と。

 

 

それが聞けて私、なんだか力が抜けました。なーんやっ。そうやったんかー!ってね。めっちゃ気持ち理解できたもん。

目の前の霧が晴れるような気すらして、その母の本音は、幼き頃からの心の傷を癒しました。一見、酷にも思える告白だったけど、私の心は救われた。

 

 

ずーーーっとずーーーっと抱いてた、「なんで?」の答え合わせができたから。(しかも全問正解やったやん 笑)

幼いながらに頑張って我慢していい子してた私を肯定できる気がしました。

 

 

んでさ、あれだけ「許す」とか「許せない」とかにこだわってたのに、結局は『ほな、ま、ええか。』やもんなぁ。もっとドラマティックなもんやと思ってたから、拍子抜けやったなぁ。

探してたもんはこんなsimpleなもんだったんだ〜(by ミスチル

 

 

母に本音を聞きたかったのもあるけど、母に弱くて醜くて我が儘でクソみたいな、生身の自分の弱さを認めて欲しかったのもある。 「私が未熟な母やったから」「私が至らなかったから」とかね、そんなカッコつけた言葉で逃げんとってよ!ってさ。

 

 

・・・いや、違うのかも。

ほんとはね、実は私こそが 母に「完璧であって欲しい」って思いがあったのですよ。それは私の母に関してだけやなくてさ、聖母観っちゅうの?

「母たるもの子供を無条件に愛するものだ!」っていう概念が私の中に強く強くあったようです、どうやら。

(しかしさぁ、どこで「完璧」なんて観念が生まれるもんかねぇ。子供の思い込みというものは論理性無さすぎてクラクラするわ。でも強くて純粋で、論理なんてものでは太刀打ちできないのよ。)

 

 

だからこそ、

生身の人間としての母の本音は、母となった自分を許すことにもつながりました。

私は、聖母のようにはできない自分をどこか責めていたから。「私だって人間だー」という生易しい言葉で自分の「完璧にできない」という罪悪感を誤魔化してたから。

 

 あの日私は、「完璧な母像」というものから独立できた(かも知れない)。

そして母を完璧でない1人の人間としてようやく解放してあげた。それはつまり私が母から独立したんやと思う。

 

後日 母に話しました。あの時、本音言ってくれて私は救われたんやで、聞けて良かった。言うてくれてありがとう と。なんやこうやって、話をしてそれを受けてどう思ったかのフィードバックまでできる様になったことはまた私も成長したなぁと思う。自分がどう思ったのかを言える様になったのやから。

 

 

結局ね、「本音」がこれだけ私を救ってくれるとは思わなかったよ。それでも愛してた〜的な甘い言葉をどこかで期待してた節あるのに。本音を言えた母も、やるなって思った。

  

やから改めて思ふ。

私は私の本音をもっともっと大事にしよう。それこそが自分を癒して救う事になるんや。

偽善や偽悪の甘くて苦い言葉で誤魔化さずに、弱くて醜くて我が儘でクソみたいな本音を聴きたい。散々、絶望して、そして受け容れたい。

 

それさえできてれば、子供達にも素直になれると思うから。

 

 

 

〈以下余談〉

こないだピノ子の運動会でした。

初めての運動会のお弁当作りは、想像の5倍ぐらいハードワークでしたよ。

私おせち作りが趣味のひとつでね、毎年おせち作ってるから余裕やと思ってたわ。

 

あれだけのことができれば、世のどんなオフィスワークもこなせる気がしたよ。

料理のスキルだけやない、段取りスキル、クリエイティブスキル、コミュニケーションスキル、とにかくマルチなスキルが求められる。

しかも絶対的な時間のリミットが決まってるからね〜。

 

お母さんってすげーよー!!ビバだよ!

 

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肝っ玉オカン道は続く。