安心できないオトコ、信頼できないオンナ
私は、どうしても「被害者」で在りたがる。そのために夫を「悪者」に仕立て上げる。
私はそのままの私で在ることを結局の所許せてない、そこにはいつも罪悪感があります。だけど、素直に認められません。拗ねていじけて、こんなに苦しいのはあなたのせいだー!と、人のせいにして自分の罪から免れようとしています。そしてその標的は大概が夫であります。
というような訳で、先週それが爆発してね。んで、こんな気分でした。
(すいません、すいません。犬も食わない話です。そして、取り留めのない自分語りです。あ、いつもか)
夫婦で信頼関係を築いていくというのは、すごくすごく泥臭くて地味な作業やのにさ、壊すのってめちゃくちゃ簡単やねんなーって思った訳です。
離れるのはすごく苦しい、それなら一生懸命にがむしゃらに向き合おう向き合おうとしてきたこの時間やけど、辞めちゃうのは意外と簡単な事なのかも知れない。
そしてその時思ったのは、私には「幸せじゃない」ことを選ぶ自由があるんだということです。
いつでも「幸せで在る」ことを選ばなくてはいけないということはない。
(リチャード・バックの「イリュージョン」再読したい!)
少しでも良き自分で在りたい、子供たちのために幸せなオカンで在りたいと思って、それこそコツコツと学び動き積み上げて来たことも、「幸せで在る」ことにすら縛られていたのかも知れないと思ったわけです。知らない間に「幸せで在らねばならない」とか思ってなかった?私?
子供たちの幸せのためなんて、恩着せがましい、余計なお世話やん?それは子供たちの人生だよ。
不幸なオカンでも、子供達はそれなりに自分の「オギャー」を表現して行くだろうよ。
ほな私、何のために「幸せで在ろう」としてるわけ?
そして、その理由は何もない気がして混乱しました。
・・・
そんな中、これを観ました。
映画「永い言い訳」
とてもとても良い映画でした。西川美和監督やっぱり好きだ!(以下、できるだけ無いように努めますが、ネタバレがあるかも知れません)
衣笠幸夫(もっくん)は、幼稚で、過剰な自意識をどうにもできず、罪悪感を受け入れることも出来ず逃げる事しかできない、欠落だらけのクソ野郎なんですよね(ひどっ)。でも憎めない。
そして、一途で素直でバカな大宮陽一(竹原ピストル)の、ふとした拍子に飛び越えてしまう危うさ。
映画の登場人物の中に自分の姿を見ました。
映画が終わると、それまでモヤモヤしてたのがふっと癒されてることに気がつきました。
んでね、クソみたいな人でも、みんな必死で生きてる。生きてるんやから、しゃあないかー!と開き直りました。
あたしゃ生きてるから、生きてるから、生きてるからさ、特にこれといった理由は無くても、「幸せで在ろう」としても良くない?少しでも良きものを目指しても良くない?もうそれでええやん!それで許してくれよ、私よ。
私が「幸せで在る」ことの理由にはならないと思った子供達だけど、いや違う。子供達が居るから、私は生きてられるのや。
罪悪感を受け入れることもできず、逃げたくて、幼稚で、自意識だけは過剰で、三十路とっくに過ぎたのに中2病気取ってる欠落と恥だらけの私を、より良きものに生かしてくれてるのは、子供達やんか。
子供達に生かしてもらってるし、子供達が居るから、やっぱり「幸せで在ろう」と出来るんや。
一周回って、、、どころの話じゃないけど。
とにかく私、それってめっちゃ幸せなことやない?
(しかしさぁ、もっくんほんまにカッコよすぎるやろ。色っぽいよねー。あんな顔に産まれた人生はどんなもんなんやろかー)
・・・・・・
もっと肩の力抜こうよ〜と思います。
いろいろ深追いしたくなるけどさ、「ま、えっか」があってええのよ、私。
幸せで在らねばならないと、根を詰めるなよ。私には幸せで在るための理由なんて何も無いのかも知れないとか、もう考えてもしゃあないやんか。
あと、そこそこ茫然としてたわりに、「肝っ玉オカンならこんな時・・・」という思考をしてました。習慣というのは強いなぁ、頼もしいなぁ。やるやん、私。
・・・・・・
ま、そんなこんなですが、夫婦の事は私の心の話だけでは解決しない訳で。
ふわふわと心は逡巡したけど、現状を解決するには結局のところ、嫌っちゅーほど現実的で具体的な行動が必要なわけですよ。
で、
- お互いにやりたいこと、やって欲しいことを素直に言いあう。
- 言ってないことを勝手に察して、我慢したり先回りするのをやめる。
- 口に出して言ってることを信じる、それが全て。
- 言うてることの裏を読むのをやめる。
ということにしない?と、なりました。
今回のそもそもの爆発の原因は、
遅めに帰ってきた夫が、食器洗いをしてくれてた。私は早く寝たかったけど、夫に悪いかなと思って、別に見たくもないテレビ観て待ってた。
夫は夫で、次の日に大事な会議があるから早く寝たかったけど、私が洗い物して欲しいと思ってるだろうと無理して洗い物してた。
という、お互いにお互いを思ってはいるけれど、本当にしたい事を言い合わずに勝手に察して我慢して無理したために生まれたストレスをお互いにぶつけ合った。それに端を発してます。
私は、眠いなら寝れば良かった。
夫は、眠いなら寝れば良かった。
お互いそれを素直に表現してれば、「洗い物は明日にしよっかー」でも、「ほな私やっちゃうわー」でも、「一緒にちゃっとやっつけよか」でも良かったわけですよ。
夫は、自分の意見を言うと受け容れてもらえないと思ってる「安心して言えない」クセがある。
私は、相手の言葉や行動をそれ以外の裏の意味があると勘ぐってしまう「信頼して受け取れない」クセがある。
ま、そんな2人なんですけど、生きてるから多少の生きにくさはあるよ。
それはしゃあないわけで。
これからまた、コツコツと積み上げて築いていく の、やり直し。嫌になるけど、子供達が居てくれるからゼロからちゃうしな。 どんだけ足掻いても日常は目の前に進んでるんやから。
コボちゃんね、このコンクリートの切れ目でいつも座り込んで足場を確認してから歩きます。
大人には気がつかない道の凸凹を感じて、歩く練習をしてるみたいです。
歩くことすら、こんなにコツコツと積み上げていく事なんだよなぁ。
肝っ玉オカン道は続く。