罪悪感の幻肢痛
こんにちは。
それでね、予定通りコボちゃんを託児所に預けてきました。
別れ際ちらっと泣いたけどね、10分後にはニコニコで、おもーっきり遊んでたみたいですわー♡
粘土捏ねたり、少し年上のお友達にくっついて言葉を真似してケラケラ笑ったりして。
お弁当も綺麗に食べてきてくれました。
家に帰ってもニコニコで、「たんしかったー!」と。
一回り男前になってましたよ。
私はというと、
ついつい貴重な時間やから張り切って海辺のカフェでも行くか?と、
「せっかくやから」な、時間を過ごしそうになりましたが。
すぐに思い直し、
家でスタバのラテ飲みながら、大好きな「テラスハウス」を観る時間に変更。
(ちなみにスタバのラテは蛇足やったなー。飲みたかったわけではなく、「せっかくやから」感で選んだから、かもな)
テラスハウスを観た後は、布団でゴロゴロ。
とにかくゴロゴロ、ウトウトして過ごしました。
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結論。
なんかね、フツーーーーやった。
1人っきりの時間を過ごしたい!!!につきましては、
前日早く帰ってきた夫に晩御飯から寝かしつけを任せて、1人っきりで外出して外食して、海まで行ってぼーっとして。。。的な、ゴールデンタイム過ごしてたもんで、実は感動ってそんなになかったわ!
子供達と過ごしている時の、自由で居られないと思ってる時間が、自由時間のスパイスになってるよねぇ。
で、離れ際泣くコボちゃんに、やっぱりかわいそうかな?とか。ごめんねとか。
コボちゃん預けてテレビ見て布団でゴロゴロする罪悪感とか。
そうそう!これこそ私の過ごしたかった時間よ!といった充実感も。
どれも別に無かった。
なんか、あんまりにも当たり前の日常の一コマでした。
ちゃんちゃん。
で、思ってんけどさ。
まだ1歳のコボちゃんを人に預けて、自分はダラダラ過ごすなんで良くないことだ!
という、自分の思い込みの枠を超えた挑戦!的な、カンブリア宮殿的な そんなていでしたけど。
私にはその壁、とーっくに無かったんかも知れないなぁと思いまして。
例えるなら、幻肢痛みたいな。
もう無いのにあるものとして痛んでただけ。
とっくに無いハードルを越えるために足思いっきり上げたけど、するっ?あれ?的な。
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だってさ、ピノ子を今の幼稚園に預ける時に散々向き合った傷でしたよ。
当時コボちゃんを妊娠中。
3歳のピノ子の相手を毎日1人でするのも苦しくなってきてたし、産前産後どうするかという問題もあって。
3年保育の幼稚園ではなくて、その前1年多く預かってくれる幼稚園にが近くにあって。
でも、1年も早く預けていいものか。
ピノ子に寂しい思いをさせるんじゃないか。
仕事してるわけでもない、自分が家に居るのに子供を預けてもいいのか。
本当に安心して預けられる場所なのか。
その事を考えるととにかく涙が出てきて感情が揺さぶられて仕方なくて冷静に考えることもできない。
というか、頭ではいいことだろうって分かってるけど、心がまーったく着いてこない。
その時は、夫婦で何度も何度も話合って、自分を整理するために個人セッション受けたり、サイコロ振ったりもした。
自分の幼少期の寂しさや、自己価値の低さみたいなものに向き合って、
勇気を振り絞って振り絞ってピノ子を幼稚園に預けたんでした。
結果、預けてお互いにとって本当に良かったと思えている、大満足の選択やったわけで。
その時に私、ハードル越えてたやん。
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それでさ。
罪悪感多めのタチという自覚はあるのですが、
今回みたいに、実はもう無いのにあるものとしてる罪悪感が意外とあるのでは無いか?
もう無い罪悪感を撫でてることで、
動けなくして、幸せで在ることを選べてないって、あるのかもな。
鮮度、大事。
何かしらの反応がでた時に、それってホンマか?的な細やかに見ていこうと思ったわけです。
あと、大げさ病も注意 笑
気づきたがりすぎてやしないか?
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そんな訳で、
時折はコボちゃん預けてフツーーーーにゴロゴロする時間取ろうと思います〜!
お弁当2つ作るの楽しかったなぁ。
空っぽのお弁当洗うのって幸せ。
肝っ玉オカン道は続く