今日の分の「悲しい」を味わって生きていきたい
こんにちは。
もう2ヶ月以上前に観た映画のレビュー記事をアップせずに残してたので、
せっかくなので追記してあげようと思います。
鮮度大事と言ったものの、この記事読んでじわじわまた染みたりしてるからヨシ。
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久々にブログを書きたくなったのは、
とてもとてもとても美しくて切なくて苦しい、そして優しい、映画の名作を観たからです。
苦しくて、悲しくて、やるせなくて、申し訳なくて、堪らなくて、どうしようもなくて、そして心を閉ざした1人の男の話なんですけども。
これは、私の今後の人生に残る映画である と言えます。
最近、そんな映画との出会いが多くて幸せです。(以下ネタバレ的なこと書くかも。)
この映画を観て思い出したことがあります。それは、高校の時私を救ってくれた歌の歌詞です。
苦しくて 悲しくて 辛いことばかりなら
あきらめて構わない 大事なことはそんなんじゃない
岡村靖幸 「あの娘僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう」
自意識ばっかり過剰で、人の目が怖くて、居場所がなくて苦しかったあの日々。
諦めることも続けることもできなかったけど、寂しくて辛くて苦しい私にそっと寄り添ってただ居てくれる歌でした。
こんなことを言ってくれる大人がこの世界には居るんだってだけで、あの頃の私は救われた気がします。
もそんな映画でした。
苦しくて悲しくて申し訳なくても、そんな自分でも、そっと寄り添ってくれる。
ひとは、必ずしも向き合えない傷があっていいんだよと。
苦しみ苦しみ尽くした結果、「向き合えない」と絞り出した言葉に、救いも赦しもないけど、じわじわとこみ上げる癒しがありました。
なんて優しい映画なんだろう。
向き合うことばかりが解決じゃないな。そして、受け容れることばかりが方法じゃない。
向き合えないことに、向き合えないと諦めることに、どれほどの勇気が必要なんだろう。
苦しくて 悲しくて 辛いことばかりなら
あきらめて構わない 大事なことはそんなんじゃない
私は子供たちに何かあった時、こう言ってあげられる親でありたいし、
そして私は私自身にもこうありたいと思うわけです。
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以下は追記です。
先日から、身体のメンテナンスに通い始めました。
受け容れる器のある鍼灸師さんで、知識も経験も豊富で、その方と話しているとふと心が開いていたりします。
きっとそれがきっかけやったんですけどね。
先日施術の後、自転車漕ぎながらふと口ずさんだのは、
川村結花「歌なんて」
信じられない悲しみに ある日突然に出会った
信じ続けてきたもの ひび割れて粉々に壊れた
歌なんて 歌なんて 何の役に立つものか
この夜を越えて行きなさい この川を渡って行きなさい
信じ続けてきたのはあぶくみたいな
まやかしみたいな そんな言葉歌なんて 歌なんて何の役に立つものか
歌なんて 歌なんてただの絵空事じゃないか
気がついたら鼻水垂らして嗚咽上げるほどに泣いてました。
道端で。(人が居なくて良かったー。サングラスしてて良かったー。)
そして父が亡くなった事、改めて想いました。
あぁ、もう二度と会えないんやなぁって。そしたらめちゃくちゃ悲しくて、寂しくて、また嗚咽上げて泣きました。
父が亡くなってから、何やらかんやらがいろいろあって怒涛の日々だったりして、
もしかしたら、しっかり悲しめてなかったのかもなぁと思いました。
川村結花さんが「歌なんて」についてこんな事書いてました。
歌なんて|川村結花オフィシャルブログ「日々のサビ」Powered by Ameba
以下抜粋
「悲しみは、乗り越えてゆくもの」だと思ってた。
わたしはずっとそう思ってた。それしか知らなかった。
乗り越えようとして、乗り越えて光に変えようとして
もがいてもがいてそれでもかなしみはいっこうに消えなくて
それでもあらがってあらがって越えようとして
5年前のある日「できない、無理だ」とー、降参したのです。
そしてわたしは、生まれて初めて知ったのです。
「抱きしめてゆくかなしみもある」ということを。
そのとき、わたしのすべての景色が変わりました。
もう亡くなったんやし、もう二度と会えないのは変わりない。
まぁ、子にとって親が亡くなるのって、ある意味順当な出来事やし。
それでもやっぱり悲しいし、悲しんでいいよ。
今日の分の「悲しい」をしっかり悲しむ毎日を生きていたい。
そう思いました。
いい映画、いい歌、大好き。
肝っ玉オカン道は続く