肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

揺らいで揺らいで生きていく

こんにちは。

 

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海の神様ポセイドン の図。

 

今回の宮古島旅では、東京から移住したご夫婦がやってるペンションに泊まったんですよ。

 

小腹空かせた子供におにぎり食べさせるとか、そういうちょっと調理が出来る設備があると、断然豊かな旅になるわ〜。

 

その上、あちらの食材であちらの料理を作って食べる楽しさが盛りだくさんでした。

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(なぜかモノクロ)

ミニキッチンやけど、調理機材・器具一式揃ってるから便利でしたわ。

 

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地元のスーパーでパパイヤが買えたので、パパイヤちゃんぷるー作ってんけど、私の「炒めもの史上、一位の出来でした!(炒めものって意外と奥深いやん?)

ちゃんぷるーの神様が味方してくれたわ〜♡ 

 

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先日、とある出来事があり。

胸が小さくなったり、胸が暴れたりしてました。

平たく言うと、人を傷つけてしまった。そして私も傷ついた。

って話です。

 

まだまだ生傷だけど、あとは時間ぐすりという所までは来たので、書いてみます。

 

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ウルフルズの「暴れだす」好きなんですよね。

 ウルフルズ - 暴れだす - YouTube

 

あぁ 神様オレは 何様ですか
どうしていつも まちがえるのか
悩みはたえず オトナになれず
眠れぬ夜を 今夜もまた
あぁ 笑ってごまかす 声もむなしく
飛び出すことも できないままに

あぁ 胸が
暴れだす 暴れだす
誰かそばにいて

 

鼻血出るわ。

私のための歌かいっ!(んなわけない)

 


ヤバイ、ヤバイ。この状況を私が何とかしなくちゃ!とか。
相手の機嫌を、私がどうにかしなきゃ!とかさ。

それ、あくまで幼い頃の私が考えたことやん?

 

ねぇ、お母さん笑って?
私がお母さんを喜ばせるから、だから笑って?
私がここに居るから、だから笑って、ねぇ。ってさ。

幼い頃のやっちゃん。
大事なみんなに笑って欲しかったよね。

いつもニコニコしてたらきっとみんな笑ってくれるって信じて、悲しくても寂しくてもいつもニコニコして。

役に立てたら喜んでくれるって。

 

本当によくやった。それは私がよ〜く分かってるからね。もう大丈夫だよ。

 

 

悲しい時は悲しんで、腹立つ時は怒って、笑いたい時に笑えばいい。

役に立たなくても、ここにただ居てもいい。

 

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いやさ、分かってたんですよねぇ。大人の私は。

「今は触れちゃいけない」って。

その心の声に耳を傾ければ良かったんよねぇ〜。

それを聴いてあげていたら、承認欲求の大暴走も起こらなかったよねぇ。

 

だけどさ、何とかして役に立ちたいっていう根っこの想いはそのまま認めてあげたい。

それがいくら幼い私が身につけた未熟な方法だったとしても、気持ちはあった。

 

とはいえさ。
あくまで「反応」やから。

大人の私は、それに気がついて、それも受け容れて、でも今の私はどうしたいのかを選べるようになりたいなぁ。

 

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こないだ、東洋哲学の勉強会に行ったんやけどさ。

 

ほら「中庸」って言うでしょ?
中庸を目指しましょう!とか。

 

中庸って「無」で、動じない。
ぶれがなくて、凪で、シーンとしてて。とても静かで穏やか。
そんな「静的」なイメージでした。

 

やけど実は中庸って、
「興奮」↑の後の「沈静」↓
このワンセットの事を言うらしい。

つまり、興奮がないと沈静もない。

 

そうならばね、中庸ってめちゃくちゃ「動的」な事なんよね。

何もない事じゃないの。


それを聞いて、生きる希望のようなものが湧いてくる気がしました。

 

さざ波立たせたくなくて動かなければ、中庸で居れるわけやない。

たくさん感じて、心の大波小波を揺らしてこその「中庸」なんよな。

 

だったら、心が揺れるたびに、きっと中庸に向かってる。
混沌の中で揺らいで揺らいで、「生きる私」がはっきりしてくる。

 

だから成長するって、揺らがなくなることじゃないのね。
むしろ、揺らいでいるその感覚の精度を上げていくこと(↑)。
感じたことを認めて受け容れていくこと(↓)
の、地味な繰り返しなんやろう。

 

宇宙の隅々までに「生きる私」を沁み渡らせるように。

 

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改めて心したのは。

 

私が、誰かに何か出来るなんてそんな事はトンデモなくて。
私はいつだって私のことしかどうにかできなくて。

 

私がやるべくは、周りや状況を私がどうにかしなくちゃっていう、

その幼い頃の反応に気がついて、

なだめ受け容れ落ち着かせ、

そして今の私の心の声を聴くこと。

 

 

もしも あの時 もっと心に余裕があればなぁ
今まで こんなに人を悲しませずにすんだなぁ

人のために出来ることはあっても
人のために生きることができない

あぁ 神様オレは これでいいですか

本当に何も わからないままで
オトナになって やることやって
ケガの数だけ 小さくなって

あぁ 胸が
暴れだす 暴れだす
誰かそばにいて

ウルフルズ「暴れだす」)

 


肝っ玉オカン道は続く