肝っ玉オカン道

いいオカンじゃなくて、幸せなオカンでありたいのだ。

カワイイの純粋性を大事にしたいので、溢れ出た時だけカワイイと言うようにします

こんにちは。

 

陸王、第一回にして既に熱くて、原作読むか悩んでます。読み出したら抜け出せないムードがあるからなぁ。悩む。活字中毒の折島一平さんが、珍しく大大絶賛してたしなぁ。

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先日、哲学カフェに行ってきました。

(哲学カフェとは、ある問いに対して集った方々で対話しながら時を共有する場です)

テーマは、「カワイイってなに?」

 

私は、先日の気づき(http://kimottamamama.hatenablog.com/entry/2017/10/15/160327)から、

カワイイとは、カッコ悪い私の先にあるものでした。

みたいな感じで始まりました。(最初と最後に、問いについて思うことを各自順番に述べるのです)

 

完璧なものには「キレイ」とか「美しい」とは感じるけど、「カワイイ」は、不完全なものに溢れ出てくる感情だと思ったんですよね。

 

 

ここが重要で。

あくまで「溢れ出てくるもの」として、とても尊い感情だと思うんです。

 

だけど、女性の中では「カワイイ」はあいさつ代わり、仲間意識を共有するためのワードとして利用されていることも多いよねー。という話になりました。

 

確かに。

カワイイと言っとけば間違いない的な、とてもゆるい「カワイイ」も使ってるな。

そういう、使われるシーンや意味が多様な言葉だから便利だし、不自由さも産んでる様です。

 

最近私のテーマとして、「自分にだけはウソつかない」 がありまして。

 

だからね、自分に「溢れ出る」カワイイの純粋性を大事にしたいと思ったんですよね。溢れ出たカワイイって、めちゃくちゃ尊いものじゃないですか。

 

それ以降、カワイイを頻発しないように過ごしてみています。湧き出た時にだけ発するように。

仲間意識を共有するためのワードなら、別の言葉で伝えることも可能やんなぁ。
そこをさぐっていこうと思いました。

 

 

そしたら、ついつい言いたくなるね。

特に、妙に気を使ってしまう相手とかに。それが奇妙で。

妙に気を使ってしまう相手と、ホンマに仲間意識を共有したいの?卑屈になってしまってるのはなぜ?

 

なんて事を思ったり。「カワイイ」からいろいろ広がっております。

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最近、なんやかんや外に出て教わったり考えたりする時間が多くて。

こういう、非日常で得たことをどれだけ日常に返せるのか。それが1番大事〜♪やと思うからさ、まずはやってみますわ。

 

肝っ玉オカン道は続く