復習は日常生活でやろう!
毎朝「半分、青い」観てます。久しぶりの朝ドラ習慣です。
ピノ子もハマってて、親子揃って朝ドラをキャッキャ観れる日がこんなに早く来るなんて。あまちゃんの頃は、オープニングテーマが流れたらつかまり立ちしてお尻フリフリしていただけだったのにねぇ。子が育つのは早いもんで。
秋風羽織、トヨエツ。似てない!
(そいや私、小学生の頃NIGHT HEADがめっちゃ好きでTSUTAYA通ってお年玉で借りて観たおしました。めちゃくちゃ面白かった記憶あるわ。サイキックの話。そしてカッコよかったなぁ。トヨエツ歴20年以上。誰が興味あるねん。)
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こちらの続きです。
先日ピノ子がね、ソファーに大々的にオネショをしたんです。
うちのソファーはカバーを洗濯できるタイプじゃないし、がっつり染み込んでるし、もう使いたくないなぁと、ガーックリしました。
ピノ子はこういう時しおらしく表現するタイプじゃないんで、起きた途端「ママのせいだからね!!」と、荒れ狂ってましたが、きっと「やってしまった〜」と罪悪感やら後悔やら恐怖やらで混乱してたんやと思います。
それも理解はしてたんですよ、頭のどっかでは。やけど「許せねぇー!なに大々的に失敗してくさっとるんじゃい!」という気持ちに揺さぶられ、だいぶひどいこと言って冷たい対応をしました。
そしてムシャクシャが止まらなくて、1人部屋にこもりました。
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1人部屋にこもると、ムシャクシャがだんだんモヤモヤになってきて。これ相生ルートだよなぁと思いました。
「木」の怒りを、「火」のように発散させたら一瞬スカッとはしましたよ。でも後味悪くてモヤモヤ思い煩う「土」。
そしてピノ子には、失敗してはいけないというルールを植え付けてしまうわけで(ビリーフ、信念は「土」の世界観)。
でも、これを相克ルートへ意識的に選択して歩もうとするなら?「火」の触媒が必要なんですよね。「火」とはすなわち熱。つまり愛情や、共感です。
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オネショってわざとすることではない。いうならば「仕方ない」の極みですよねぇ。
それに、ピノ子は私以上に「やっちまった」とショックを受けてる。態度は可愛くないけど、その実1番傷ついてるのはピノ子なんですよ。
私も幼稚園の頃、おばあちゃんのお家でおねしょをしちゃって、とてもとても居た堪れない気持ちになったことを思い出しました。その時、おばあちゃんに咎められた記憶はありませんが、とにかく「やっちまった感」が半端なかった。その傷を思い出しました。
言ってしまえば、オネショでソファ汚したくらいのくだらないことで、ピノ子に自己否定感を強化させてしまって、私は何がしたいんや。
結局私はまだまだ親のこと恨んで、ピノ子に嫉妬して親への復讐をピノ子を使ってしてるのか。八つ当たりかよ。とか、いろんなことが頭をぐるぐるめぐり嫌になりました。
そして、私のこの自己否定感も、いわゆる相生ルートの「土」の苦しさなのかもしれないわけで。
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お互いしばらく頭を冷やし、落ち着いてからピノ子と話をしました。
オネショは、しようと思ってする事じゃないのに、ピノ子のせいにして怒ってごめんね。ピノちゃんもショックやったやろ?とはいえママもソファー見てがっくししてしまった気持ちはあるねん。どうしたらいいか一緒に考えよ。
と私は話し、ピノ子もオネショしてしまって悲しかったこと、ママに怒られて悲しかったことを話してくれて。んで一緒にソファーをベランダに出して一件落着。
ちゃんちゃん。
なんて。
一見、きれいにまとめましたが、私の中ではモヤモヤは拭い去れませんけどね。私を縛る「親を煩わせないいい子」を、結局ピノ子にも強いてしまってるのやな。イライラをそのままぶつけて、ひどいこと言って、子供を八つ当たりのサンドバッグにしてる。そして、あなたはそのままではダメ!と伝えてるんではないか。あー嫌になっちゃう。
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相生ルートは、無意識に家族間で受け継いだビリーフなんかをやすやすと繰り返してしまう。だからこそ、相克ルートを歩むには、意識的に行動を選択すること。
その際に、自分の中にある「火」(つまり愛や共感)に気がつき、それを発現させて触媒にして、「意思」を持って行動すること。そのプロセスが人間的成長を促す。そうすることで、また新たな自分を発見し「自分」という枠を広げることになるということだそうです。
「火」(愛や共感)は、あくまで外側からの働きかけではなく、自分の中にあるものに気がつくこと。という話には、ちょっぴり感動しましたよ。
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今回、だるまん先生の陰陽五行思想について学ぶのは初めてでしたが。
最近思うのは、どの学びの中にも「答え」があるわけではないということです。むしろ学ぶということは、自分の中に「問い」を積み上げていくことなんやろうな。
「答え」は、日常の中で自分で選択して行動のおまけのようなもので。いやむしろそれすら答えではないのかも知れないけど。
やっぱり私たちは、目の前の日常を生きるしかないということです。それは退屈で泥臭くて、でも1番エキサイティングなんやろう。
何はともあれ、楽しかったですよ。
だるまん先生は、たとえ話が多くてとても分かりやすかったのです。きっとだるまん先生自身が、陰陽五行思想の学びを、日常に問いながら生きていらっしゃるからだろうなぁと思いましたよ。
この翌日、またもや相克ルートならどうする?の局面(そんな大げさではない!)があったので、それは続きます。
肝っ玉オカン道は続く。