①扁桃体どうかしてるぜ
先日、子供達と買い物から帰ってきて、あまりにもどーーっぷり疲れてて。いや、ここ最近ずっとそうだなぁと思ってね。
私、こんな感覚で外に出てるんだなぁと思ったんですよ。⬇︎
車や、自転車や、迷子や、世間の目や、人さらいなどの、「自分達を傷つけるだろう」砲弾が飛んでくる中、装備もない子供達を連れて砲弾を避けながら歩いてる感覚。
ズバリ「戦場」でしょう。
いくつかの用事を済ますのに、砲弾を交わせる岩を渡り歩き、ようやく自軍キャンプに戻ってくる。
そら、毎度ヘトヘトになりますわなぁ。
こんな中やから、用事済まされないことも多々。で、帰ってきてから「あー、なんでこんなに簡単なことが済まへんねん!」と腐る。
家にいる時は、また外(戦場)に出るために体力を温存したいわけですよ。だから、子供達に構ってる場合じゃない的感覚。
この平成の世でですよ?しかもここはJAPAN〜!
私、どうにかしちゃってる。。。多かれ少なかれこのような感覚はあるかもしれないけど、それにしても極端に出てるわ、最近。限界振り切ってる緊張感の中で毎日を過ごしてるんだなぁ。扁桃体が暴走しまくってます。
波はあれど、衝撃的にイライラしてたり、(無意味に)怒ってばっかりで、子供達は怒られないように察するようになってるなぁ。
そして私は、「とにかくここから解放されたい」と呪いの言葉を延々と唱えてる。怖くて、孤独で、辛くて、不自由で、「閉塞感」の塊の中でもがいている。
またある日、コボちゃんの集団検診の問診票を書きながら、なんで保護者欄に夫の名前を書かなくちゃいけないんだろう?って思った。
子供達を戦場から守っているのは私なのに。連れてくのも私なのに。保護者欄は夫の名前で、私の名前は記録にすら残らない。だから悔しくて私の名前で全部書いた。(といって、夫の名前を書かなくてはいけないなんてどこにも書いてないんやけどな)
私ってなんなんだろう。。。
私ってなんなんだろう。。。
私ってなんなんだろう。。。
が頭をループする。
私を表現して生きれていない感覚があるんです。母親という役割や責任に、「私」が閉じ込められてる(ように感じている)。
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でもね。子供達と過ごす日々の中にもちろん喜びは大いにあって。
走るピノ子の横顔に流れる髪の毛を見て嬉しくなって、モチモチの肌のコボちゃんを抱いて優しくなって、3人で金木犀の香りを嗅いで秋を感じ、トイレに成功したコボちゃんの成長をみんなで喜び合ってる。
そんな時、私ってなんて幸せなんだろうって思うんです。あー、生きてて良かったなぁって思うんですよ。
私ってなんなんだろうと自分が透明になる感覚と、私ってなんて幸せなんだろうと満たされる感覚、この落差が激しくて混乱してしまうんですよ。
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で、思ったのは、もっと自分を表現して生きたい!というわけです。自分を表現するってなんのこと?からスタートなんですけど。
私が考えてること、私が思ってることをそのまま言えたらいいな。言いあって聴き合える相手と、その時間があればいいな。そしてお互いに問い合う場ができたら最高だなということでした。
名古屋に来て、正直薄っぺらい話をする関係性しかできていない日々。別に私じゃなくてもいいんじゃない?って思うことばっかりで、人に会っても孤独感は募る、不完全燃焼さが増すんです。
だからこそ、話しをしたい。話しを聴きたい。(「喋りたい」んじゃないんです)
そんな中、とあるいい出会いがありました。
続く。(長くなるので、世界に心を開いて生きていきたいシリーズにします)