肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

④自分を活かせる経験は必ず私の人生にやってくる

こちらの続き。

kimottamamama.hatenablog.com

 

私ね、QUEENめっちゃ好きなんです。中学、高校の時は、ほぼ毎日聴いてました。歌詞英語やし(当たり前や)、歌えないのに、心が痺れて涙が出てくる。歌詞知らんでも泣けるって、歌ってすごいなぁと思いました。

 

そのQUEENのボーカル、フレディマーキュリーの伝記映画が来月上映されるということで、大好きな町山智浩さんの映画評論をラジオで聴いていました。(大好きなQUEEN町山智浩さんの大好き二乗の幸福感たるや♡)

それで、フレディの人生にちょっと興味が出て、調べてたんです。

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(ここからが本題)

フレディって、ラジオに流れる音楽を1回聞いただけで、ピアノで再現できる子供やったそうです。音楽やアートに関して特別秀でた才能があったらしくてね、その時ふと疑問がわきました。

 

(疑問)

フレディは、音楽の才能があって、しかもピアノを習う機会があったからこそ才能が表に出たけど。

ほんまは才能を持っていても、それを表出させるような機会が無くて、それこそ本人すらも才能に気がつかずに人生を終えてゆく人も多いのではないか?ならば、どうしたら子供達の才能を表出させられるような経験を与えてあげることができるのだろう?

 

 

でも瞬間的にその答えが浮かびました。

(答え)

いや、人は必ず自分の人生に必要な経験を過不足なくするはず。それならば、才能を表出する経験は必ず人生にやってくる。幼い頃に可能性を見つけないと大成しないなんていうのは妄想。それがいつなのかは分からないけど、適切なタイミングが必ずあり、それは遅すぎることも早すぎることもない。ベストでやってくる。そのために何もできることはない。安心して待っていていいし、日常を丁寧に過ごすことが大事。

 

この答えがズバババと私の中に落ちてきて、我に拍手を送りました。

なんて安心できる世界観なんだろうか。私さま、こんなことを思えるまでに人生を信頼できるようになってたのなぁ。

私は安心して子供達と接していればいいし、当たり前の日常を送ることがやっぱり大事なんや。

 

そもそも、親が子供の才能を見出すために何かしらの経験や機会を与えてあげる、という考え自体が傲慢極まりないのではないか。

その子が、その時に興味のあることや必要なことを経験している姿に心を向け、見守るしかできないのではないか。

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これはつまり、子供達の才能をどう見つけていけばいいのか?っていう話じゃなくて、「私じゃないとあかんやん」が見つからないと腐ってる私の話なんだよね。

 

「いずれ仕事にできるかもしれない」と密かに思いながら取り組むあれやこれやって、いい高校いい大学いい会社に入るために、求めてもいない子に早期英才教育を始める親くらいサムイのでないのだろうか。

 

私のパターンは、最初はただ興味があって始めたことなんだけど、「仕事」になるほど突き詰めたり行動する情熱が湧かなくて、結局何をやっても形にできない私はダメだなぁと自責する。この繰り返しやった気がします。家にいろんなテキストや本、道具、小物パーツや布、そんなものが山ほどあった。(今はだいぶ整理したで)

 

これは、いい大学いい会社に入れたくて早期英才教育を始めたものの、その結果が見れず、山ほどある教材を前に「この子がバカだったからダメなんだ」と言ってる親みたいなもんなんじゃないのか?

 

つまり私は、「仕事にする」ということだけを良しとして、それじゃないと許せない!てな感じで私をジャッジしていたのかも知れないyo!

 

ただ興味があって取り組んだあれやこれや、日常の中での工夫や創意、人とのコミュニケーション、こうやってブログを書いてることですら、私の身となり血となり、私を形作ってるんだろう。

そして私を活かせる経験は必ず私の人生にやってくるんだから。安心して待ちながら日常を丁寧に過ごしたいと思ったのであります。

 

さて、日常を丁寧に過ごすとは?

つづく。