肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

私は私をないがしろにしてた。ごめん、私!

私、人に「合わせなあかん」って思い込んでました。

 

そして合わせるために、

いとも簡単に、自分の考えを価値無きものにしてました。

 

 

人と居ることに苦痛を感じる時があって。

私が本当に分かり合える人はこの世界中にどこにも居らんのやわ。

と、悲劇のヒロインに浸ってたけど、

苦しかったのはそれや無かった!

 

 

合わせないと、嫌われる。

合わせないと、仲間はずれにされる。

合わせないと、生きていけない。

これ全部、自分で勝手に決めたルールやった。

「合わせなければいけない」っていう、頭の中でこだまする呪いの声にずーっと支配されてきたんやなぁ。

 

 

そして、 

1日に6万回考えて、9千回選択してる毎日の結果という、

なんとも壮大で、大事な大事な 私の考えや 気持ちや 生き方を、

いとも簡単に無きものにしてきていたことが、

悲しくてたまらんかったのやと思う。

 

 

 

それに気がついたとき、心から歓喜した。 

そして決めたよ。

 

 

私は私の考えや気持ちを、大事に大事に、大切に大切にしよって。 

そこには最高の価値があるのだから。

「私にとって」。

 

 

この「私にとって価値がある」という気づきが、ホンマに嬉しかった。

 

たとえ人と違っても、

私は私の味方でいてるからね、私さん♡

 

 

そしてね、私を表現するってこともしていこうかな。

これ、私には相当勇気が要るよね〜。

今まで、ずーっと身を潜めてたからな〜。

自分の考えを出したら、生きてけないとまで思ってたからなぁ〜。

ふふふ。

 

 

 んで。

とりあえず、 このブログを始めることにしました。

 

 

私ね、文章書くの好きやし、自分の文章読むのもすごく好きやの。

 

 

 そして、実は私のブログのファンの方が一定数いらっしゃるという事実。

更新やめたら、どうしたん?また、始めてよーとラブコールを方々からいただきました♡

今まではラブコールもスルーしてきたけど、改めて、しっかり受け取ろと思いました。

 そう、去年までブログやってたんですよね。

でもそれは仮初めのブログというか。

リアルとは切り離して、2次元だから心の内を言えるって感じで使ってたかもな。

おっと、余談。 

 

 

ま、生まれてこのかた染み付いたクセ。

ついつい自分の考えをないがしろにしてしまうシーンがある。

 

そんな時にチクっと胸のざわつきに気がつけるようになってきた。

 

気がついたら、そこからやり直し。

 

私の考えには価値があるよ。

いいんだよ、それで。

 と、自分にオッケーを出す。

 

 

そしてまた勇気を出して新たに始める。

その繰り返し。

 

 

肝っ玉オカン道は続く。