肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

ここはマイ縁側

こんにちは。

なんだかやっとブログを書く気になってます。でも頭の中では色々書きたいことがあったりはしていて、この書きたいことはあるけど書かないとき、書きたいことを思いっきり書けるとき、この違いは何なのだろう。でも、書きたいうちに書きます。まとまらずにふわふわしてるから、つまらないかも知れないと思いながら。

 

①選択について

今、とにかく素晴らしく頭の中を占めている考え(いや悩みというのだろうか)がありまして。

言ってしまえば「私は私の選択を信じられるか」ということです。私はよく、色々ある選択肢の中から1つを決められない状態に陥ることがあるのですよ。「失敗してはいけない」「後悔すんじゃないだろうか」「正しい答えはどれなのだろうか」などの考えに取り憑かれてしまって、自分の気持ちが分からなくなるんですよね。

それは今までの人生において、この場で正しい振る舞いは何かを考えて行動をとるということをやり過ぎてしまった、悪癖の結果だろうと思うけれども。じゃあ今からは私の気持ちを聴いてそれを優先するなんて、こんなに簡単そうで難しいことはあるものかと苦しんでます。

正しさをゴールにしたとき、この「決まらない」という不安定さが耐えられなくて漫然と苦しい。でもほんとは人生なんて不安定で不確定なものなんやで。保証されていることなんて実は1つもない。その不安定で不確定の中でも安心できる私で在れるようになりたいのなぁ。

そして、今までだって結果的にこれで良かったと思える選択をしてきてる自分を信頼したい。どれを選んでも、私の選択は私の人生にとって最高の選択であるに決まってるはずなんだ。

だから何でも大丈夫、安心して選んでいい。

 

②「縁側」について

このブログも100記事を超えたので、そろそろタイトルを変えたいと思ってきた。

「肝っ玉オカン道」というのは、ブログを開設した時の私にはかなりヒットするキャッチータイトルではあったのだけど、最近「なんか違うな」感があるのです。

それで。私は縁側のような場を作りたい、私自身がそういう場になりたいというイメージ?夢?(I have a dream!)があるけれども、このブログって私にとってまさに縁側的な場だよねーと思ったわけで。

来たい時にふらっと来て、自分の話をして、ふらっと帰る。それを仲の良い人と共有して、たまに意見交換とかもできて。

というわけで、縁側にまつわるタイトルに変えようかと思ったけど、全然キャッチーのが思い浮かばないや!

以前アメブロで書いてる時は「縁側のはなし(仮題)」というタイトルやったんですよ。この(仮題)で逃げた感じっ。思いついたらタイトル変えます。

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③オシャレについて

私の中で「オシャレは武装」という感覚はまだまだあるのな。先日、とりわけ派手で目立つ色づかいの服を選んで着ている自分に、強烈な違和感を感じてしまったことがあって。その時湧き上がったのは、派手にしてなくても滲み出る「私」はあるだろう?という問いです。

またある日、以前習っていたボイストレーナーyukiさんとやりとりをしているとき、「足し算のオシャレを楽しみたい」と言っていて。彼女は美人な上に、いつもオシャレで、私から見てとても魅力的な存在なのです。

その言葉を聞いて、「オシャレを楽しむ」とはどういう感覚なのだろうか?と。

私はあまり人が選ばないような、とりわけパッとした色柄使いの服やアイテムを取り入れることが多いので、いわゆる「オシャレだね」と言われることもあるのだけれども。

それは「楽しんでいる」のではなくて、「オシャレであらなければならない」という感覚に近いような気もする。珍しい服や派手にしてるとオシャレっぽく見えるから選んでいるのかも知れないと思った。

とても落ち着いた(いわゆる地味で普通な)格好をしても、自己を表現できるようになったら一人前みたいな思いもどこかにある。

でも、色柄の鮮やかで大好きな服を着たり、オシャレな人を見ると胸がふあーっと熱くなって嬉しくなる思いもある。

オシャレについてはこれからも考え続けるテーマにします。

 

あと、こないだのマルシェの感想やら、摩訶不思議なボイストレーナーの先生が言ってた話や、そろそろ外に出たいという話や、ZINがまだ仕上がってないって話や、お弁当への想いや、ピノ子に詰問しながら私って私に詰問してるよなぁと思った話などを、今後書こうと思ってます。(多っ。。。)

 

「あー、もう時間ないわぁ、まだ話したいことあってんけどな。でもまだまとまってないし、またゆっくり聴いて〜」ほなバイバイ!(縁側にて)