Mac買ったら思ったより「どうせ」に甘んじてたことに気がついた新年
ハロー!ヤスコです。今年になっちゃいましたねぇ。
そいやこないだ不意に気がついたけど、「明けましておめでとうございます」って挨拶、もう飽きひん?何年言うてるねんっ!1月来るたびに、いつもいつも、いつまで言うねん。的なね。
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さて、このブログはいつもと違うんです。何が違うかって言うと、携帯で書いてる(打ってる?)んじゃないんですよ。
なんとね、Macで書いてる(打ってる)んですよぉぉぉぉぉぉっ。
マジで、心底、誰も興味ないと思うけどね。それでも言っちゃう(打っちゃう)。
2019年、ヤスコ36才にして人生初めてのMacを手に入れたんでやんす〜!
思い返せば何年、Macを買うかどうかで悩んでいたんだろう。
ずーっと欲しかったんだよなぁ。
だけど、Macってめっちゃかっこいいやん?スタイリッシュやん?そしてクリエイティブやん?
だから「どうせ私には身の丈に合わない」としていたみたいで・・・
それだけじゃなく、「私なんかがMac持つことは、許されるわけがない」と思ってましたよ。誰から?
たまに、クリエイティブな仕事してないのにMac持ってる人とか見たら、めっちゃ自己価値高い人やなぁとジトっと見てたし。
こないだは年賀状書く時にMac使うって話してる主婦の人に、「ブランド好きそうな感じやしな〜」と小馬鹿にしてた私。(しかもほぼ知らん人の立ち話の盗み聞きやで。私、どんだけやねん。)
冷静に考えたらそんな訳ないやん!どんな思い込みやねん。(心の声って素直すぎてめっちゃオモロイやん。)
でもMacを手にするまで、自分がそんなこと思ってることにすら気がついていませんでしたけどね。
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今回Macを目の前にして「私、ずーっと前からこれが欲しかったんや」としみじみ想いました。
長い間、「どうせ私にMacなんて使えるわけない」と押さえ込んで来てしまったんだなぁと気がついて、じわじわ喜びが湧き上がってきました。
「どうせ」が染み付いていると自覚はしてたけど、意外なとこにまで及んでたんやなぁ。
もちろんながら、別にMac持ってようが、Dell持ってようがええねん。人生変わるようなそんな大げさな話じゃないんです。
自分がほんまに欲しいものを与えてあげられたんだなぁと言う喜びが、半端なかったわけです。
でもそれがね、ちょっとしたブレークスルーやと思ったら大違いやったっぽい。
Mac買った翌日、熱出したから。久々にしっかり熱出して、かなりうなされて、そして目が覚めたら空からキラキラが降ってきてん。アレなんやったんやろ。
私の愛しきMac様。あまりに神々しくて手を合わせたよぅ。
細かいことwindowsと違うから、いちいち調べる喜びよ。
そして、パソコンで書き(打ち)なれてないから、恐ろしく筆が乗らないYo!
2019年、なんっていい幕開けなんだ!
というわけで、今年もよろしくお願いします。
今年もゆくね。来年も来るね。
こんばんは。もうこんな時間っ。
年末に陸王の連続再放送とかやめてくれへん?観ないわけにいかんやんかっ!
今年は夫の休みが多くて、とにかくダラダラテレビ観て、なんかめーーーっちゃのんびりしててねぇ。ふと幸せを感じる、あの感じ。そう、あの感じに包まれています。(どの感じ?)
退屈とか言いながら、日々はそこそこ忙しいんやなぁと今更ながら思ったわ。
今年の年末は、ファントムスレッド観ながら年越しすることにしましたYO!毎年はガキ使観てるけど、今年は録画で後追いするぜぃ。
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2018年もいろいろあったけど、大きくは引っ越しかなぁ。寂しくて悲しくて恋しくて、新鮮でワクワクしてドキドキして、戦場で生きてる感覚に押しつぶされたりもしたけど。
イラストを描き始めたり、ハンドメイド商品作って出店したり、人前で歌う機会があったり、そして来年以降にやりたい事が出てきたりもしてる!そういう意味では、少しづつ自分を表現することを始めた1年でもあったのなー。
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毎年言ってるかも知れへんけど、来年はもっともっともっと、自分を活かして自分を生きる幸せを味わえる生き方をしていきたい。
揺れる私を存分に味わって、どんな自分をもめいっぱい許して、散々私を表現しながら生きれますように。
そんな一年になったわぁと、想い溢れる大晦日を過ごせますように。っと。
さて、ファントムスレッド観まーす!
年越し蕎麦は、初めてお店で食べてん。
毎年家で作ってたけど、そばをええ感じに湯がくのが難しくて、大して美味しくないし「これ毎年食べなあかん?」的な気分になってたけど、お店で食べたらめっちゃ雰囲気出たわー。恒例にしよっと。
ここはマイ縁側
こんにちは。
なんだかやっとブログを書く気になってます。でも頭の中では色々書きたいことがあったりはしていて、この書きたいことはあるけど書かないとき、書きたいことを思いっきり書けるとき、この違いは何なのだろう。でも、書きたいうちに書きます。まとまらずにふわふわしてるから、つまらないかも知れないと思いながら。
①選択について
今、とにかく素晴らしく頭の中を占めている考え(いや悩みというのだろうか)がありまして。
言ってしまえば「私は私の選択を信じられるか」ということです。私はよく、色々ある選択肢の中から1つを決められない状態に陥ることがあるのですよ。「失敗してはいけない」「後悔すんじゃないだろうか」「正しい答えはどれなのだろうか」などの考えに取り憑かれてしまって、自分の気持ちが分からなくなるんですよね。
それは今までの人生において、この場で正しい振る舞いは何かを考えて行動をとるということをやり過ぎてしまった、悪癖の結果だろうと思うけれども。じゃあ今からは私の気持ちを聴いてそれを優先するなんて、こんなに簡単そうで難しいことはあるものかと苦しんでます。
正しさをゴールにしたとき、この「決まらない」という不安定さが耐えられなくて漫然と苦しい。でもほんとは人生なんて不安定で不確定なものなんやで。保証されていることなんて実は1つもない。その不安定で不確定の中でも安心できる私で在れるようになりたいのなぁ。
そして、今までだって結果的にこれで良かったと思える選択をしてきてる自分を信頼したい。どれを選んでも、私の選択は私の人生にとって最高の選択であるに決まってるはずなんだ。
だから何でも大丈夫、安心して選んでいい。
②「縁側」について
このブログも100記事を超えたので、そろそろタイトルを変えたいと思ってきた。
「肝っ玉オカン道」というのは、ブログを開設した時の私にはかなりヒットするキャッチータイトルではあったのだけど、最近「なんか違うな」感があるのです。
それで。私は縁側のような場を作りたい、私自身がそういう場になりたいというイメージ?夢?(I have a dream!)があるけれども、このブログって私にとってまさに縁側的な場だよねーと思ったわけで。
来たい時にふらっと来て、自分の話をして、ふらっと帰る。それを仲の良い人と共有して、たまに意見交換とかもできて。
というわけで、縁側にまつわるタイトルに変えようかと思ったけど、全然キャッチーのが思い浮かばないや!
以前アメブロで書いてる時は「縁側のはなし(仮題)」というタイトルやったんですよ。この(仮題)で逃げた感じっ。思いついたらタイトル変えます。
③オシャレについて
私の中で「オシャレは武装」という感覚はまだまだあるのな。先日、とりわけ派手で目立つ色づかいの服を選んで着ている自分に、強烈な違和感を感じてしまったことがあって。その時湧き上がったのは、派手にしてなくても滲み出る「私」はあるだろう?という問いです。
またある日、以前習っていたボイストレーナーのyukiさんとやりとりをしているとき、「足し算のオシャレを楽しみたい」と言っていて。彼女は美人な上に、いつもオシャレで、私から見てとても魅力的な存在なのです。
その言葉を聞いて、「オシャレを楽しむ」とはどういう感覚なのだろうか?と。
私はあまり人が選ばないような、とりわけパッとした色柄使いの服やアイテムを取り入れることが多いので、いわゆる「オシャレだね」と言われることもあるのだけれども。
それは「楽しんでいる」のではなくて、「オシャレであらなければならない」という感覚に近いような気もする。珍しい服や派手にしてるとオシャレっぽく見えるから選んでいるのかも知れないと思った。
とても落ち着いた(いわゆる地味で普通な)格好をしても、自己を表現できるようになったら一人前みたいな思いもどこかにある。
でも、色柄の鮮やかで大好きな服を着たり、オシャレな人を見ると胸がふあーっと熱くなって嬉しくなる思いもある。
オシャレについてはこれからも考え続けるテーマにします。
あと、こないだのマルシェの感想やら、摩訶不思議なボイストレーナーの先生が言ってた話や、そろそろ外に出たいという話や、ZINがまだ仕上がってないって話や、お弁当への想いや、ピノ子に詰問しながら私って私に詰問してるよなぁと思った話などを、今後書こうと思ってます。(多っ。。。)
「あー、もう時間ないわぁ、まだ話したいことあってんけどな。でもまだまとまってないし、またゆっくり聴いて〜」ほなバイバイ!(縁側にて)
私たちはナチュラルボーンシンガーだ!
前述の通り、ここんところはひたすらQUEENを聴いているわけですが。
特に聴いているのは、「somebody to love」。QUEENの中で最も好きな曲の1つです。
毎朝鏡を見て絶望する自分、馬車馬のように働いているのに報われない虚しさ、信じているのに救ってくれない神への不信感、心の底からの愛への懇願、祈り。
フレディは、出っ歯である事にひどいコンプレックスを抱いていて。だけど、どれだけ売れてお金を稼げるようになっても歯列矯正はしなかった。だってその歯が、そのコンプレックスを全て含めて自分だから。その想いを歌に変えていくことで、フレディは歯列矯正するよりも救われていたんだろうと思います。
somebody to loveは、生きる苦悩がゴスペル調の美しいメロディに乗せられて、それでも生きていく人間というものが愛しくなる歌なんです。
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そして、フレディのsomebody to love は言わずもがな素晴らしいんですが、フレディトリビュートライブの時の、ジョージマイケルバージョンがひたすらカッコいい!!これ⬇︎
Queen & George Michael - Somebody to Love (The Freddie Mercury Tribute Concert)
ジョージマイケルがうらやましかー!somebody to loveをこんな風に気持ちよく歌える機会があって、「産まれて良かった」レベルの幸せだろうなぁ〜♡(知らんけど。)
私もゴスペルシンガー達と一緒にsomebody to love歌いたい〜!!!!!
んなわけで、この動画をヘビロテしてるんですけど、気がついたらコボちゃんがsomebody to loveを歌えるようになってましたyo!
イントロが流れたら、縦ノリを始めて、プラレールを転がしながらサビを口ずさんでました。合いの手「カモン!」「yeah!」もバッチリ。
こないだは、あいみょんの「君はロックを聴かない」を歌ってたし、ピノ子が幼稚園で覚えてきた曲も、コボちゃんはすぐに覚えてしまいます。ピノ子もコボちゃんの頃は同じようやったよなぁ。
子供達見てたら、人間ってナチュラルボーンシンガーなんやなぁと思いますよ。普通に生きてて、歌うのが当然で、音楽流れたら踊るがの当然の生き物。(音楽の早期教育とかほんまに必要なんやろか?)
人はいつから音楽流れても踊らなくなるんやろ?自転車乗って歌わなくなるんやろ?(それは私が歌ってるだけ😅)
というわけで、週末はギタスナフェスだ‼️音楽から離れてしまった大人たちが、今一度集まって音を楽しもうぜ!なイベントです。
ぜひ遊びに来て来て‼️
私はギターは何回やってもFコードで挫折して(かなり入り口でやめてしまう)るけど、それでもやっぱり「歌いたい!歌いたい!歌いたい!!」
そして、「音楽仲間」みたいな、人との繋がりが欲しい!!
名古屋でも見つかるかな。うん、きっと見つかるよね。
マルシェに店出すってよ
今週末、大阪は豊中の服部緑地で開催されるギタスナフェスギタスナフェス2018WEBサイトに参加、そして参入しまーす!
11月17日11時11分からスタートという、主催者のノリノリさがムンムン伝わる時間設定。
私は、布のバッグや、布ナプキンや、布ライナーや、大人用子供用のヘアバンドや、子供用のリボンや、和装用のヘアアクセサリーや、ピアスや、イヤリングなどなど、なんせハンドメイドの「世界にひとつだけのカラフルな〇〇」を持っていこうと思います♡
ハンドメイド用のインスタも立ち上げたyo!フォローミー。
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先月の終わり頃に、急遽出展することを決めて、黙々と作るタイムが始まったわけですけど。1人でマルシェに出店するのは初めてなので、意外とやるべきことが多い!
作り物も、前に作ってたもののストックはいくらかはあっても、追加で新作をあげる日々。(作家っぽい言い方やな!かっちょいー)
慣れないことで余裕があるわけじゃなくて結構バタバタしてるねんけど、家事や子供の世話しながらやしね。ご飯作るのめんどくさかったり、送り迎えも作業が中断されるんやけど、それでも、それでもなんだかご機嫌さんなこの頃。
お迎え行ってピノコとコボちゃんと過ごす時間はいつもより丁寧に過ごせてる感覚があります。
やっぱり自分にやりたいことをやらせてあげる時間を持つのっていいんだなぁと再確認しました。
作りながら思うこともいろいろあったよ。また書きます。
取り急ぎ、ギタスナフェスで会いましょー‼️