肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

大したこと無いコトにしない

父が亡くなって、まだ49日にもならない。

年末から、長い、ひたすら長い日々です。こんなに日が経つのを、長く感じることは無いかも。

インフルエンザ後の風邪もなかなか良くならないな。病みあがり長い。

 

色々あることが日々なのだ - 肝っ玉オカン道

 

夫に吐き出した言葉、

「つか、私は親死んだんや!いつもと違うんやから、こんな時はとにかく労って欲しい。いつも通りを求めないで欲しい」

 

っていうのが、自分のブログ読んでジワジワ沁みてきて。

私めちゃくちゃ労って欲しいんやなぁと改めて思ったわけです。

時たま、あー誰でもいいから、道行く人でもいいから無償に聞いてほしい!という感覚になるんですよ。

 「そっか、それは大変やったよね。辛いよね」って、優しい言葉をかけて欲しくなるんよな。

 

それは、全くと言っていい程、自分に労わりの言葉をかけてないからやなぁと思ったわけです。

 

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父が亡くなった自分を切り離してる感覚がありました。

そして本体の私は、全然何でもない、いつも通りの私で居る。

 

父が亡くなったこと?

え?そんな大変なことなんか?大したことないやろ、大げさに騒ぐなよー

と、自分に言ってる。

 

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こないだ娘が久しぶりに夜泣きしました。「足が痛い、足が痛い」と言って。

夫は心配してたんやけど、

その時私は、「大したこと無いくせに、大げさに泣いて」と思った。

 

それでね、あぁ、と思いました。

 

私、痛いとか辛いとか悲しいとか寂しいとかを、大したこと無いコトやと、抑え込むんやなぁ。

 

それらは自分の中で処理すべきこと。

感じて表現して訴えることは、とても「大げさなこと」、「我慢すべきこと」なんや。

 

 

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でもね。

 

私は私に優しい言葉をかけて無いのに、

周りの人たちがすごく優しい言葉をかけてくれるんですよね。

 

先日のブログで書いた友人達は、いつでも話を聴くよと言って、見守ってくれてる。

熱を出した時には、おかずを作って届けてくれ、娘の幼稚園のお迎えをして、買い物無いかー?と連絡くれて。

 

先日のブログを読んだ友人達が、温かいコメントや自分の経験を語って聞かせてくれる。

 

そして、父の生前の友人達は、父を偲んで、母に連絡をくれる。

母の友人達は、気落ちしないように母に会いに来てくれてる。

 

みんな、父が亡くなったことを、とても大変なこととして受け止めて、

私や私の家族を労ってくれるんですよね。

 

人って優しいなぁって、沁みてる。

 

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私もね、

私も、優しくなれるかな。

なりたいな。

 

そして私は私に、もっと優しくしてあげていいんよな。

 

大したことないって抑え込んで切り離した気持ちに、大事に寄り添ってあげたいんや。

どうしたらそれが出来るのかよく分からんねんけど。

 

でもきっと。

 

周りの人たちが私に優しくしてくれるように、

「いつでも話聴くよ、なんでも言っていいよ」って私を見守っていたらいいのかな。

 悲しいとか、寂しいとか、辛いとか、腹立つとか、悔しいとか、

出てきた気持ちをそのままウンウンって聴いてあげたらいいのかな。

 

大したことあるとか、ないとか、

それはどうでもいいことなんや。

 

周りの人たちが私に向けてくれてる温かい眼差し。

それと同じように、私は私をただ待って、ただ聴いて、ただ支える。

 

それなら周りに見本があるから、私にも出来そうな気がしてきたよ。

 

 

大丈夫。

大したこと無いコトにしなくてもいいよ、話したい時はいつでも話していいよ、私。

 

 

肝っ玉オカン道は続く