肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

エミちゃんのピンク

小学校2年生のとき、クラスはサバイバルルームだった。


アヤコちゃんが仕切るいじめは、日増しにエスカレートしていた。そのいじめとは、無視がほとんどではあったが、当時の狭い世界で生きている女子にとって、クラスの女の子から無視されるというのはとてつもない苦しみの池に蹴り入れられるようなものだった。

 

そしてほんのちょっとしたことで標的が替わる中、いつ自分がそのポジションになるか分からない、とても不安定な毎日だった。


しかも私は、アヤコちゃんと帰り道が同じ。鳥居前の分かれ道までほぼ一日中、息をつく暇もない緊張感のある毎日を過ごしていた。


私は出来るだけアヤコちゃんの気を悪くしないよう立ち振舞い、必要であれば、いじめにも参加していた。誰もアヤコちゃんに逆らうことはできなかった。少なくとも私には、参加しないという選択をする勇気はなかった。もちろん自分が標的になることもあった。

 

大人は誰も頼れない。家にも安心できる居場所があるわけではなかった私は、どこにも逃げ道のないように感じていた。あの1年間の地獄の日々。

 

その中でもひとつ、強烈な印象と共に忘れられない出来事がある。ピンクのランドセルを背負った、エミちゃんのことだ。

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エミちゃんとはクラスが違った。
でも、エミちゃんと私は家がとても近かったので一緒に登校していた。そして、飲食店を営むエミちゃんのお母さんは家を空けることが多かったため、放課後はよくエミちゃんの家に遊びに行った。

エミちゃんの家は、美容室の横の細い細い急な階段を上った所にあって、なんだか秘密基地みたいだった。

私はちょっとおませで、いつもはっきり喋るエミちゃんが好きだった。

 

そんなエミちゃんが、ある日アヤコちゃんの目に留まった。きっかけは分からない。でもきっと、些細な事だと思う。

「明日から、エミちゃんのこと無視な。」と、アヤコちゃんの号令が下った。


次の日、私はエミちゃんを迎えに行くことができなかった。

でも、少し早くから自分の家の前で私を待ってくれていたエミちゃんと鉢合わせになった。エミちゃんは、いつも通り明るく「おはよう」を言ってくれたが、私は、びびっていた。

 

・・・エミちゃんと仲良くすると、私が的になる。

エミちゃんは、どうせクラスが違う。いじめのダメージは極めて少ない。でも私は、クラスでも下校の通学路でも一日中アヤコちゃんからは逃げられない。

 

エミちゃんと一緒にいると楽しかったし、エミちゃんのことが好きだった。だけど、エミちゃんはアヤコちゃんの的になってしまった。。

 

だから私は、エミちゃんの「おはよう」を振り切った。無視をして先に行く私に、エミちゃんは、変わらず声をかけてきた。


「やっちゃん?」

だけど私は振り向かなかった。振り向けなかった。

「やっちゃん、なんか怒ってる?」

「やっちゃん?やっちゃん?」

 

何度か問いかけてくるエミちゃんと目が合ってしまった私は、弱々しく答えた。

もちろん周りを見渡し、アヤコちゃんやその仲間がいないか確認をして。

 

「あんな、エミちゃんのこと無視になってん。アヤコちゃんが決めてん。エミちゃんのこと怒ってるみたいやねん。」


少しの間があり、エミちゃんは答えた。

「エミ、何もしてないよ。喋ってもない。やっちゃんは何でか知ってる?」

 

きっと大した理由なんてないことは分かってた。ただなんか気に食わないくらいの話だろう。でも、私はその真っ直ぐなエミちゃんの目を見ることも、それ伝えることもできなかった。

 

「分からへん。」

と、エミちゃんを振り切って小走りで学校に向かった。


それから、エミちゃんとは会っても話さなくなった。その日の帰りも、次の日も、その次の日も。

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3日目のある朝、1人で歩くエミちゃんを見かけた。1人きりでしっかり前を向いて歩くエミちゃん。そのエミちゃんの後ろ姿を見て、何だか分からないけど、無性に声をかけたくなってしまった。

 

「エミちゃん?」

振り向くエミちゃんは、驚き、そして警戒していた。

「エミちゃん、アヤコちゃんに謝ったら?そしたら、一緒に行けるし。エミちゃん、謝りーや。」

 

と、ピンクのランドセルに手を置いた私。エミちゃんはその手を力一杯振り払い、

「エミ、謝りたくない。エミ悪くないもん。謝らへん。やっちゃん、早くアヤコちゃんとこ行き。」

そう言って、エミちゃんは行ってしまった。

 

その後ろ姿を呆然と眺めながら、私は取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと感じた。

 

 

 

それから、しばらくはエミちゃん無視の厳戒態勢は続いた。私は、エミちゃんのピンクのランドセルを見かけるたびに、目を背けた。

 

でも、クラスが違うエミちゃんへのいじめはあっという間に収束し、またいつものクラスの中でのいじめの椅子取りゲームに戻った。私は変わらず、いつ標的になるかも分からない緊張感の中で過ごしていた。

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3年生になり、アヤコちゃんとはクラスが離れ、私の毎日に平和が戻ってきた。

 

確かエミちゃんとも違うクラスだったけど、時間が経つにつれ私達の仲は徐々に戻り、エミちゃんのピンクのランドセルと並んで登校することも珍しくなかった。

 

結局、エミちゃんとはそれからも同じクラスになることこそなかったけれど、家が近所というつながりで、一緒に登校したり、たまにお家に遊びに行ったりした。

エミちゃんは、そのままの真っ直ぐなエミちゃんだった。いつもクラスの中心で、そしておませなエミちゃんは、学年の誰よりも早く恋愛をしていた。

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中学に上がり運動部に入った私と、吹奏楽を始めたエミちゃんが会うことはほとんど無かったが、テスト前の休部期間は、決まってエミちゃんと一緒に帰った。エミちゃんの家に寄り、エミちゃんのおのろけ話を聞き、そして少しだけ勉強を一緒にした。

 

エミちゃんは、いつでも一生懸命だった。勉強はそんな好きじゃないと言い切っていたし、部活はキャプテン。彼氏のこともいつも大好きだった。

 

そんなエミちゃんに私は憧れていた。

あの日、理不尽なことに屈しないエミちゃんを見てから、きっと私はずっとエミちゃんに憧れていた。

 

私はあのとき、恥ずかしかったのだと思う。だから、エミちゃんのピンクのランドセルを真っ直ぐ見ることはできなかった。


大人になり、小学校や中学校時代の友人と話をすると、決まってエミちゃんの話題になる。

そのたびに私は、何故か、エミちゃんのピンクのランドセルを思い出す。

勇敢すぎるエミちゃんと、酸っぱすぎる恥ずかしい私の、思い出のピンク。