ごめんなさいより、ありがとうが言える思える人生を歩みたい
こんにちは。
骨折してから、基本的に家でゴロゴロしてます。
家事も好きなことだけしてるので、実はそこそこヒマで。気がついたら食べてる感じで、ほんのり太ったなぁ。
元気になってジーパンがきついとか悲しいから、そろそろファスティングでもしようかと思ったけど、全然やる気しないっす。
最初の1週間は、劇的に肉と辛いものを欲して、そういうようなものばっかり食べてました。次の1週間は、強烈に甘いものを欲してました。
今日でちょうど2週間。唐突に今までの異様な食欲が無くなってきました。プスン。
身体オモロイ。
まだまだ骨折ネタが続きます。今回やたら長いです。
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骨が折れて、しばらくは幼稚園の送り迎えは無理やなぁという感じになりました。
時間外保育を使うなどして、夫が行ける日は行く。だけど、行けない日はどうしよう。。。
色々案は出てきましたが、今回はやっぱり、お友達に頼ろうかと思いました。
でも、いざ人に頼るとなると怖くて仕方がない。
リアルに震えが出るほどに怖くて、「人に迷惑をかけてはいけない」という思いが頭の中で強く強く警告音を発しました。
お友達はめちゃくちゃ心配してくれて、いつでもなんでも言って!ときっと本心で言ってくれてる。
でも私はそれを聞いて素直に受け取れないんですよね。
「でも私、この人に親切に出来なかったことあったのに」と思うと、居た堪れない感覚に潰されそうになる。
無理すれば送り迎えだってできるやろう。そこまでじゃないのに頼っていいの?
また、姉が心配して関西から行くわと言ってくれたんです。その時、最初に思ったのは「悪いなぁ」でした。
貴重な連休なのに、お金も時間もかけてきてくれて、そこまでして来てくれる程の事でもないのに、本当にいいのだろうかって。
その上、夫にも仕事を調整してもらわないといけない負い目を感じてました。
ほんまに困窮してる状況だったり、人にいつもいつも親切でいる「聖人」でないと、人に助けを求めてはいけない。簡単に人に甘えるなんて、無力でダメな人間になってしまう。
強い罪悪感と無力感に支配されて、人に甘える怖さで震えてました。
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結局のところ、私。本当はお母さんに頼りたくて甘えたかったんですよね。
特に子供が出来てから、母親が近くに居る人や、親が充分に助けてくれる人を見てるとジトっと嫉妬しまくってました。
2回の産後も、親には頼らずに乗り切ったんですけど、それも「あーぁ、頼れる親が居たらなぁ」って思ってた。
母が家事苦手という理由で頼れないって思ってたけど、「私が無理すればいいんや」って被害者意識に浸って、母を、世界を、悪者にしてたんやなぁ。
それ以上に、「無力な私は愛されない」って思ってる。自分のことは自分でしなくては、絶対いけない!それが強くてどうしようもない。
あと、母に期待して裏切られたくない!私への愛が証明されないのが怖いんよねぇ。
やけどさ。
それは小さい頃の私の想いの種やんか?
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親切な声をかけてもらったら、「悪いな〜」が先立って、自分に溢れ出る「ありがとう」が感じられない。
必死で『私、無力じゃないよ』って気張って、必要以上にありがとうを伝えて、借りを作らないようにお返しに頭を使って疲れてしまう。
そうしてるとだんだん親切な声かけがめんどくさく感じてきて、私を困らせる言葉に思えてくる。
んで、どうせ私が無理すればええんや。そしたら丸く収まるって、拗ねる。
ねぇ、私?
ホンマにこれからもそんな生き方がしたいの?
小さい頃の想いの種に揺さぶられて、自分の罪悪感に押しつぶされて、人の優しさが迷惑に感じる。ありがとうも思えない、そんな奴でホンマにいいの?
そう思ったら。
いや、私は人の善意を受け取れる人間でありたいと思いました。
ってか、どうしたって人に頼ってるし、人に迷惑もかけてしか生きてはいけないんやから。
それに今は骨折れてるんやで?無理なもんは無理や。できなきゃ、やらなきゃ認められない自分なんてやめちまえ!
ダメな、恥ずかしい、クソな私を許せよ乙女!(語感だけです。すいません!)
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というわけで、幼稚園の送り迎えはお友達に頼ってます。私の代わりに公園に連れてってくれたりもしてる。おかげで娘も楽しく過ごせてます。
姉は関西から来てくれました。 ちょうど下の子が熱を出した日で、めちゃくちゃ助かりました。少し落ち込んでた子供達も私達夫婦も、気分転換になって楽しい時間でした。
また、お友達が渡したいものあるから〜と、手ごねハンバーグを山ほど持って来てくれました。少しでも炊事が楽になるようにって思ってくれたんやと思います。
それでね、あるお友達が「大変なときに頼ってくれてありがとう」って言ってくれました。
心にジーンと響きました。 そんな風に言えるのっていいな。その言葉で私がどれだけ救われるか、優しいな。
と同時に、多分私が逆の立場なら、 きっと同じように思うだろうなって。
人の役に立てるって、すごく嬉しいことだから。人に頼られるって、喜ばしいことだから。
だから今は目一杯、人に甘えて、迷惑もかけて。胸をチクチクさせて居た堪れない思いをしながら。
それでも人の善意に甘える、この時間を味わおうと思います。
やっぱり私は、ごめんなさいより、ありがとうが言える生き方をしたいから。
肝っ玉オカン道は続く。
愚かな人間だから忘れちゃうかも知れないけど、今だけは強く思う
こんにちは。
こちらに引き続き、骨折ネタです。
だって、今しか折れてないんやもんな。書いとこ。
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病院から帰ってまず家族会議になりました。
ママは足を怪我してしまったこと。しばらくは今までのようにはいかないこと。例えば幼稚園の送り迎えをどうするかをみんなで考えないといけないこと。などを家族で話し合いました。
そしたらピノ子が目に涙をいーーっぱい溜めて、
「ピノちゃんが、ぜったいママを守ってみせるから」と、言ってくれました。
なんて優しくて強くて頼もしいんやろうか。若干5歳、小さい身体と大きな心にもたれかかって、嬉しくて切なくて泣けました。
朝起きたら、ピノ子からの手紙が机の上に。
まま だいじょうぶ げんきになったらあそぼう まもってみせるからね
そして宣言通り、ピノ子はしっかり者のお姉ちゃんとして、率先してお手伝いをして、弟の世話を焼いて、メキメキ私を守ってくれてます。
お弁当を残したり、幼稚園で泣いてたり、やっぱり思っている以上に心も身体も頑張ってくれてるピノ子。
つい「悪いなぁ」って思ってしまうけど、でも、今頑張ってるピノ子の気持ちを精一杯見守りたい。ありがとう、ピノちゃんのおかげでママめちゃくちゃ助かってるよ。と、できるだけ伝えてます。
そして2歳のコボちゃんも、協力してくれてて。
「ママ抱っこ〜」と抱っこをせがんできても、「ママね、あんよ怪我して痛いから抱っこできひんねん」と伝えたら、手を繋いで歩こうと言ってくれる。状況をしっかり分かってる。
ママだいじょうぶ?と、時折労ってくれる小さいジェントルマンです。(ま、足にガンガン乗ってくるけどな!)
夫はというと。
骨折った日の朝、つまらない夫婦喧嘩をして「行ってらっしゃい」もままならない感じで仕事に行ってたので、「足を怪我したから早く帰ってきて」と最初に伝えたとき、あまりにそっけない反応でした。
で、骨折してる事が分かり、「最初労ってくれへんかったん、忘れへんから!」と強気に出た可愛げのない私に、
「忘れなくてもいいから、これからはいっぱい甘えて頼ってね」と言ってくれました。実際、仕事を目一杯調整して、家事育児をしてくれてる。
なんか、私、シアワセ者やん。
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これ、ほんとにベタなんですけど。
足を折って、「普通に歩ける」ってなんて幸せなんだろうかって思いました。
痛くないっていいな。
歩けるっていいな。
走れるっていいな。
自転車乗れるっていいな。
普通に歩いて、普通に食べて、普通に出して、普通に寝て、普通に息して。
いつも普通にしてた事ができなくなって初めて、普通の日常のありがたみが分かるってね。
何かあるたびに、同じような事を思うけど、私は愚かな人間だから、また日常に戻ると忘れてしまう。
そして今回も今までと同じように、また忘れてしまうかも知れないけど。
だけど、今は精一杯思う。
普通に生活できる私の身体があって、家族が居るシアワセを。
そして困った時に助けてくれる人の居る喜びを。
まだまだ続きます。
肝っ玉オカン道は続く。
被害者意識を観察した話
こんにちは。
剥がれた骨は順調に治ってきてます。
初めて知ったけど、夜めっちゃ痛いんですねー。子供も夜は熱が上がるしねぇ。
身体はそうなんですね。
夜中痛くて目が覚めてさすって、気がついたら寝てて、また痛くて目が覚めてさすって。
という夜がしばし続きましたが、ここのところ夜中痛くなることも減ってきました。
前回、骨折した旨をブログに書いたら、友人たちから心配の連絡をもらいまして。ありがとうございます。
一様に、なんで骨折してるん?と聞かれるんで書いとこ。
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えーっと、いわゆる。。。
コケました! てへ!(かわい子ぶってみてる)
雨の日。ピノコを幼稚園にお迎えに行った帰り、道の凹みに足を取られて激しくグネりました。いつかの大和田真也さんの様に。(ガキ使の年末特番観てる?)
片手に傘、コボちゃんは抱っこ紐、肩に買い物袋を提げて、空いてる手でピノコと手を繋いでまして、ほんの一瞬考え事してたわ、確かに。その隙にです。
両手塞がってる上に抱いてるコボちゃんをかばう様に、咄嗟に思いもよらないGがかかっていたと思います。
痛くてたまらなくて、最初コボちゃんを抱いたままだと立ち上がれなくて。
向かいから歩いてきたおばあちゃんが傘を差してくれて、ピノコが私の鞄と買い物袋を持ってくれて。
コケたショックで泣きじゃくるコボちゃんを何とか抱き、ソロソロと家に帰りました。
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痛くてたまらないけど、「ヤバい、どうしよう」という頭の中の声が響いていて。
こういうピンチの時、とにかく被害者意識が顔を出しまくるんですよねぇ。
雨のせいで。道が凹んでるせいで。子供が大きくて抱っこしたら下が見えないせいで。幼稚園迎えに行かなあかんせいで。夫が仕事してるせいで。雨やのになんで考え事なんかしてたんや私。と。
雨の日に傘を差して、子供を抱っこして、買い物袋肩から提げて、もう片手は子供の手を引いて、道の凹みに足を取られて痛めてるなんて。健気に真面目に生きてるのに。私、可哀想すぎる。こんな時に夫も居ない。誰も助けてくれない。辛すぎる。社会は私にいつも辛いことを強いてくる。
そういうストーリーが脳内に流れてました。後から考えたら、論理性のかけらもないひどい話なんやけど。
ひたすら可哀想ぶって、冷やした足を見たらかなり腫れてて、思ったより痛い!カレンダー見たら明日祝日やんか!
というわけで、病院行ったら剥離骨折でした。
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翌日。ちょうど転けた道を通りかかって、その憎き道の凹みを睨みつけたら、驚くほどに大した凹みやなかったんですよ。
なんか、肩の力抜けましたわ。
よく考えたら。
今まで、雨でも転けへんかったし。
子供抱っこ紐してて下が見えなくても転けへんかったし。
片手傘差して買い物袋肩から提げて、もう片手子供の手を引いてても転けへんかったし。
その道は何百回と通ってるけど転けへんかったし。
そして、考え事なんかいつもいつもしてるけど転けたことない。
だからね。「たまたま」そういう状況で転んで怪我しただけなんよねぇ。
痛くて辛くて寂しくてどうしようか困り果てたけど、状況としてはたまたま起こったこと。何かや誰かのせいじゃないし、私が可哀想ってわけでも無いのか〜。
ピンチの時、目の前の状況を受け容れられなくて、何かや誰かのせいにして、可哀想な私として逃避したくなるというのが、私の癖なんでしょう。
こういう時、論理とか飛んでいくね。強い感情に支配されたら、思考は脆いなぁ。
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数日後、鍼灸の先生に診てもらった時、患部を優しく撫でてやるといいよーと言われ、「は!」と思いました。
私、折れた足を悪者にしてたわ。
いつも通りにならなくて、その上痛くて不便になった足や、その状況を憎んでたわ。
やけど。こういう怪我って、身体で1番弱い所に来るらしい。骨は本能が司っているんやて。
折った所は修復に向くから、今まで弱かった所を強化するために折れてるとも言える、そんな話でした。
(ちなみに筋肉は理性。筋肉は鍛えるとかで意図的に変化できるけど、骨はこういう事がない限り意図的に変化しないやん?やから骨を折るというのは、本能的なブレイクスルーを意味してるらしいです)
そう考えたら、私の意図しない所で、私の「身体さま」や何かの大いなる意図によって、普段は転ばない所で転んで怪我したわけで。
痛い足を撫でてさすってたら、ありがとうという想いがわいてきました。
痛いことも、不便なことも、長い目で見たらきっと「良きにはからわれている」んやろう。
だから。今の状況をただ受け容れて、目の前の生活を淡々と送ろうと思いました。
頭でっかちの真面目野郎なんで、こんな機会なんだから、大きな気づきを持たなくては!とか思ってしまう奴(うざっ 笑)なんですが、それって結果論やんか。焦らず行こうぜ。
普段使わない筋肉使って筋肉痛みたいになったり、動く前にまず動き方を考えたりするのが面白いです。
冷蔵庫とかクローゼット閉める時、めっちゃ右脚使ってる〜!とか。地味な発見もあります。
そんな、長くなりすぎましたので、続きは次に。
肝っ玉オカン道は続く。
骨折しております
こんばんは。
っいやぁ。右足、骨折れてます。
「剥離骨折」というものらしく、骨折の世界では全然大したことではないらしいのですが、それにしても痛くてテンション下がります。
ギプス的な副え木を包帯で巻いてます。外してお風呂には入れますが、外すのが恐ろしいくらいに、付けてても痛いぜ。しばらく外出(外歩き)は控えた方が良いらしいです。
明日、本場所なんだよなぁ。やっぱりそれは行きたいなぁ。
そして。
夫がホームセンターで買ってきてくれたサンダルがコレで。泣きそうになりました。骨折してたらこんなん履かないとあかんくなるのか。(クロックス的なんは入らなかった)
早く。ネットで買ったtevaが、どうか一刻も早く届きますように‼️と、星に願いました(真剣に)
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幼子を抱えた家庭で。
特にうちのような核家族では、私が戦力外になった途端、詰んでしまいますね。
産後間もなくも私は戦力外でしたが、その時は、予測できたからあらゆる手段を準備してたけど。
今回はまた突然やってきた話で。
下の子が愚図ってても抱くことも出来ません。家事もお料理をスローペースに進められる程度。幼稚園の送り迎えは今はキツイ。
そうなってくると、日常生活に課題が山積みです。
とっても当たり前のことですが、日常というのが、いかに家族(この場合は特に私たち夫婦)の、健康の上に成り立っているのか。それを実感せざるを得ませんね。
いやぁー、マジ困った!お友達に頼りながらやっていくっきゃないなぁ。
肝っ玉オカン道は続く。
自由になるのが怖い私
こんにちは。
さてさて、前記事に引き続きタロット話です。
さや花ちゃんとは話が弾むのですよね。内面に関わる話もしっとりできるので、思いもよらない自分の本音がポロリと溢れることがあります。
こころのこぶたカードひいたとき、出てきたのがコレ。
【高い目的】
顔を上にあげて理想を描きましょう。低いものに囚われず、上を見上げましょう。
んで、タロット引いたらコレ。
【カップのペイジ】
現実的な事やできるのかできないのかは考えずに、今は子供のように夢想しよう。自分の心を純粋に震わせる想いを大事に。
違うカードやのに、同じこと言うてるやん。
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これ見てポロリと自分の中から出てきた想いがありました。
コボちゃん(下の子)がついに来年4月から入園なんですよ。
そしたら、実に6年振りに昼間、自由時間になるんです。私が私のために時間を使えるようになるんです。勤めに出ることだってできるし、自分で何か仕事を始めることもできる。
念願の自由時間のはずが、
もう1人の私は困ったことに、その環境になるのが、不安なんですよ、とても。
結局何もできない自分を見そうで怖いんだって。
きゃぁぁぁぁぁ。恥ずかしいけど、だってそうなんだもんなぁ。
子育てに追われて、自分のこと(ここで言うのは、特に社会との接点のこと)が何も進んでいないような気がして、焦燥感があったりしていたんだけど。
でも、“預けることのできない幼子を育てている”という、言い訳ができる環境から離れてしまうことが怖い。
きっと愚かで口ばっかりで何もできない自分と向き合わないといけなくなるから。
だけど、カードは言ってくれています。
「夢をみなさい」
具体的には何も浮かばなくて怖いけど、
でも「どんな風に在りたいか」は、意外とはっきりしてるんです。
だからあと半年、その夢をどんどん広げてみようと思ました。
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さや花ちゃんとは、伊泉龍一先生の講座で今一緒にタロットやら伝統的占星術を学んでてねー。聡明で探究心が強くて、とても熱心に勉強されてるから、いろいろ教わることが多いんですよ。
でも、リーディングでは淡々とカードの意味を伝えることに徹してて。
そこに押しつけがましい想いとか、こちらの意図を必要以上に汲み取ろうとする粘っこいものがないので、こちらも淡々と自分に向き合えるんですよね〜。
余談ですが、八代亜紀さんが「歌には自分の感情を込めない。聴く人が感情を乗せる隙間を作るために。」というようなことを言ってたらしいです。
さや花ちゃんのリーディングはある意味それに通じるものがあり、私はその隙間に自分を入れられるので、気づきがあるのですよね〜。
これって、普段の人間関係でも大事なことやなと思いました。
深いコミュニケーションをしようと思って、つい自分の意見を押し付けてしまったり、相手の立ち入って欲しくない所に入ってしまったりしちゃう、もしくはそんな自分を見たくなくてコミュニケーションを避けるとか、これが私のよくあるやつです。
相手をコントロールせず、自分のことを淡々とする。そうしていれば相手は自然とそこに感情を乗せて、そこからコミュニケーションが深まるよね。
やっぱり、私は私のことをしよう。
肝っ玉オカン道は続く。
コソコソするのを辞めた、我が家の「逃げ恥」
こんにちは。
先日、お友達の川澄さや花ちゃん(a life with the tarot)とご一緒した時に、タロット引いてもらったので、その記録を。しばらく続きます。
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11月じゃないですか。いわゆるボーナス前じゃないですか?
ここのところ、この季節(そして初夏の頃)になると、お金について緊張してる感じがありまして。
ヒヤヒヤだけでなく、あーあ、私ってなんで家計をうまいことやりくりできないのだろう?という、「ダメな私」をいじくり倒してるんですよ。
これどうにかせなあかんな。と思ってたので、さや花ちゃんに付き合ってもらって、タロットを用いて向き合う事にしました。
左(現状)→ソードの⑦
中(必要なスタンス)→ペンタクルのナイト
右(アドバイス)→悪魔
コソコソとバレないように宝を盗み出そうとしてるけど、バレるでしょーそのやり方じゃぁねぇ。っていう状況です。そして1人で孤独です。
私は、未来に向かって、自分の感覚を信頼して勇気を持って進んでいくという姿勢が必要です。
そのためにはまず、囚われている自分の根底の欲求を見つめましょう。囚われて苦しいはずだけど、囚われていることにはメリットがあり、私は一体何から逃げたいのか?そして逃れないのはなぜ?
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いやぁ、これ。もぅ思い当たることがありすぎました。
我が家、家計は基本的に状況が変わる都度、夫婦2人で話し合って行き先を決めてるんですが。
今の所、私が預かっている日々の生活費の中に私のお手当(お小遣い、交遊費やら服やら何やらかんやら)が含まれててね。
最近は私1人で出かける機会も増えてきたので、そこがボリュームを占めるようになってきたんですよね。んで、月末にはヒヤヒヤして、臨時出費用の方からしれーっとおろして帳尻を合わす感じでやりくりしてました。
今までなぜ私のお手当(お小遣い)を明確にしてなかったのかというと、私、働いてるわけでもないし、大概家に居るし、だから決まったお手当(お小遣い)をもらうほどのこともないんだけど。。。的な、謙虚なんだか卑屈なんだかという理由。
また明確にすると、私の好きに使える分が減ってしまうんじゃないかという姑息な理由。
私はお手当(お小遣い)ないし、その代わり私が預かってる分は私の采配でやらせていただきます!というね。
遠慮がちなんだか、傲慢なんだかという感じで、うやむやにしてきました。(コソコソと)
ま、かなりパーソナルで恥ずかしい話ですね。
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タロット引いてから。
やっぱり独りでコソコソとせず、明確にしようと思いまして、夫と話し合いました。
それに際して、今まで気にしてた事を冷静に考えてみたら、夫が私の使い方を責めて制約するとはどうしても思えなかったんですよ。むしろ私が自由で、喜んで、美しくなる事をとても喜んでくれる。私を信頼してくれているよなぁ?
あと、いつか制約せざるを得ないような事を、私はしでかしてしてしまうんじゃないか?という恐怖がそこはかとなくありましたが(これには原因があるんで、またいつか)。いや、私。そんなことするような性格でもないやん?
夫とゆっくり話し合って、具体的な解決策も見つかりました。
①私もお手当(いわゆるお小遣い)を生活費とは別で持つこと。
②生活費の中から、外食費については夫が管理する。(最近、やたら外食に行きたがる娘や、それを何も気にせずOKする夫に、「無責任にいわないでよ!」という気持ちになってました。だから、外食については、夫にやりくりの責任を持ってもらおー!という事に。)
③臨時出費や、お互いのお手当が足りない時も、夫婦で話して、正々堂々と補填しよう。
④新システムの運用についての不具合は、いつでも話し合って解決しよう。
ま、そんな感じです。
今回特に①と②について変化が大きかったわけですが、別に今までだって、そうしたらよかったのにできなかった。
だって、私が稼いでるわけじゃないから。それなのに、私だけの喜びのために使うのはイケナイこと。責められるべきこと。だからコソコソとする。
そして夫に家計(の一部であっても)を管理されるなんて、ますます私の存在価値が無くなる。今までだって外食は好きでしてたけど、そのやりくりを私がしてるっていうのが唯一の私の存在の砦のような気すらしてた。
この、無価値観と罪悪感。囚われているくせに、抵抗して逃れない私。ズバリ悪魔の状態!これ、いつまでやるつもり?と改めて思ったわけです。
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どれだけ仕事に充実感を覚えているとはいえ、嫌な仕事や嫌なことを言われたりもあるわけで。
だけど家族のために前向きに取り組んでいる夫。そして、その稼ぎを家族の喜びに変えることを自分の喜びとして受け容れられる人やん。
私が罪悪感を持って使うってことは、夫のその気持ち台無しやん!
そして、私の中にある、夫へのありがとうの気持ちも台無しやん!(だからいつも素直にありがとうが言えないのだよ!この私め!)
ついでに無価値観でいうと、私のためにそこまで夫がしてくれるというのは、私の存在に価値を感じてくれているからやん。って考えると、幼少期の私を育ててくれた父も母も、私の存在に価値を感じていたからやん。
もぅさ、もぅええんちゃう?
逆説的だけど、私は私の存在に価値を感じてくれている人がいる程の、価値を持ってるし。
そんな私のことを、私も価値あるものとして扱っているやん?私のために好きなことできてるやん?
首の鎖を外して、生温い悪魔の支配から逃れましょうよ。
てなわけで、我が家の「逃げ恥」でした。来月から運用してみて、修正しながらやっていきます。
そいや、ちょうどさや花ちゃんに会う前日に「逃げ恥」読んでたのよね〜。
さや花ちゃんもこのリーディングについて書いてくれてます。(やっちゃんのリーディング|a life with the tarot)さや花ちゃん、ありがとう〜😊
肝っ玉オカン道は続く。
心からの祝福を
こんにちは。
こないだの嵐の日、友人の結婚式でした。
大学時代の友人でね。私にとって、自分で居られる数少ない「親友」のひとりなのです。
お家を継ぐという立場で産まれ育った彼女は、責任感と自立心を強く持った人で。彼女ほどの努力家も、彼女ほどの目標を忘れない人も見たことがないと思えるほどの、いわゆる「大人」な人です。
でも無理してるなぁとか、鉄壁だなぁという、「近寄りがたきもの」の無い、他人の話をしっとり聴き、人に優しく在ろうとする。いつも内省してて、と言って思考でぐるぐるすることはほとんど見たことがない、あるレベルで思い切りをつけることのできるひと。
自分の置かれた環境や境遇を、無闇に嘆いたり反抗的な態度をとることもなく、きっと葛藤することはあるだろうけど、それでも最後には自分の人生を受け容れて前を向く、そんなひと。
お家や家族や関係の人々を一身に背負って、私には想像もつかない労苦や煩わしさがあるだろうけど、必ず自分で整理して解決して、私にぽろっと漏らしてくれる頃にはすでに終わった後って感じでした。
友達だけど、尊敬できるひと。私の人生に彼女との出会いがどれだけ貴重だったか。
そんな責任感の塊のような彼女が選んだ男性は、彼女とは真逆のような人。
軽やかでとらわれがなくて、子供のような無邪気さをいつも胸に持った人。とてもきちんとされてるんやけど、しがらみやこだわりをヒョイと飛び越えて行きそうな、そんなひとです。
そっかぁ、そんな人が良かったんやなぁって。しみじみ思いました。
彼女が背負うと決めたものを肩代わりしてくれる、漢気丸出しで彼女を上回る責任感の塊の人じゃなくて、むしろ彼女の心を軽やかにしてくれる人なんやね〜。
彼女は、自分のものを夫と共有することよりも、自分を日常から夢の世界に連れてってくれるような人を選んだ、そんな気がしてね。
彼女の背負ってるもののも大きさも、それを背負っていく彼女の決意の強さも再認識しました。
そして人柄のとりわけいい彼に、どうか彼女をよろしく頼むよ!と、心の中で思いました。(どの立場だよ!)
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お式の日は、素晴らしく(笑)荒天で。
巨大台風で風雨に晒されてましたが、私は張り切りまくって、一張羅の訪問着を。
しかも実家で着せてもらって会場に向かったので、こりゃ祝福の気持ちが無いと拷問やなぁとか思いながら、彼女の今までのこと、彼とのいろいろを想って電車の中で感無量で涙。
「本当に良かったなぁ〜」と、心からの祝福があふれ出て、もう式行かんでええくらいの幸せのおすそ分けしてもらった気分でしたわ。
んで、お式で妹さんが嗚咽漏らしてて、またもらい泣き。近くで見てきて育ってきていーっぱい思うことのある時やったやろう。
晴れ着を纏った、今までで1番キレイな彼女。
外の天気とは裏腹に、列席者がみんな穏やかな顔してて、心からのお祝いの気持ちを持ち寄った、いいお式だったなぁ〜。
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嵐のおかげで福岡まで帰れなくなり、大学時代の友人とホテルに宿泊しまして。
お互い、社会人となり、妻となり、母となっても、話せばなーんも変わらない居心地の良い空気感で。
学生時代に戻ったね〜というより、
学生じゃなくってもこの感じで居れる関係に、心底安心し、そんな出会いのできた自分の人生をやるやん!と思いましたよ。
日本中に散ってしまったのでなかなか会えずじまいでしたが、これからは年一回は会おうと約束し、翌朝帰路に。
子供達と離れて過ごす夜も初経験して、大丈夫だと確認できたのも良かった。
素晴らしき夜でしたわ。
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Mちゃんおめでとう!ますます、幸せになろうぞ!
(お互いに、やな、へへへ)
肝っ玉オカン道は続く