カワイイの純粋性を大事にしたいので、溢れ出た時だけカワイイと言うようにします
こんにちは。
陸王、第一回にして既に熱くて、原作読むか悩んでます。読み出したら抜け出せないムードがあるからなぁ。悩む。活字中毒の折島一平さんが、珍しく大大絶賛してたしなぁ。
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先日、哲学カフェに行ってきました。
(哲学カフェとは、ある問いに対して集った方々で対話しながら時を共有する場です)
テーマは、「カワイイってなに?」
私は、先日の気づき(http://kimottamamama.hatenablog.com/entry/2017/10/15/160327)から、
カワイイとは、カッコ悪い私の先にあるものでした。
みたいな感じで始まりました。(最初と最後に、問いについて思うことを各自順番に述べるのです)
完璧なものには「キレイ」とか「美しい」とは感じるけど、「カワイイ」は、不完全なものに溢れ出てくる感情だと思ったんですよね。
ここが重要で。
あくまで「溢れ出てくるもの」として、とても尊い感情だと思うんです。
だけど、女性の中では「カワイイ」はあいさつ代わり、仲間意識を共有するためのワードとして利用されていることも多いよねー。という話になりました。
確かに。
カワイイと言っとけば間違いない的な、とてもゆるい「カワイイ」も使ってるな。
そういう、使われるシーンや意味が多様な言葉だから便利だし、不自由さも産んでる様です。
最近私のテーマとして、「自分にだけはウソつかない」 がありまして。
だからね、自分に「溢れ出る」カワイイの純粋性を大事にしたいと思ったんですよね。溢れ出たカワイイって、めちゃくちゃ尊いものじゃないですか。
それ以降、カワイイを頻発しないように過ごしてみています。湧き出た時にだけ発するように。
仲間意識を共有するためのワードなら、別の言葉で伝えることも可能やんなぁ。
そこをさぐっていこうと思いました。
そしたら、ついつい言いたくなるね。
特に、妙に気を使ってしまう相手とかに。それが奇妙で。
妙に気を使ってしまう相手と、ホンマに仲間意識を共有したいの?卑屈になってしまってるのはなぜ?
なんて事を思ったり。「カワイイ」からいろいろ広がっております。
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最近、なんやかんや外に出て教わったり考えたりする時間が多くて。
こういう、非日常で得たことをどれだけ日常に返せるのか。それが1番大事〜♪やと思うからさ、まずはやってみますわ。
肝っ玉オカン道は続く
ひがんでた、愛しきわたし の続き
の続き。
これからも私はきっと、輪に入れなくてひがむだろうし、どんどん人と繋がって、やりたいことを形にして行く人をみて妬むんやろうなぁって思うんです。
だけど、それをどうしても悪いとは思えないんですよね。
ひがみ、妬み、そねむ私を認めて受け容れた時に初めて、私はどう在りたいかに目を向けられたんですよね。
私、人ともっと協調したいし、共感したいし、やっぱりその人のことが好きだって思った。憧れてた。
私が嫉妬してた、自分を表現してどんどん先行く様に思える人も、私がなりたかった姿。
私のカッコ悪さの先に、可愛くて愛しき私の本音があって。
嫉妬や僻みって、私の宝地図みたいなもんなんやなぁって思うんです。
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こんな閲覧者のさほどいない拙ブログでも、時に反響があったりします。Facebookでコメントもらったり、メールをもらったり、LINEで連絡が来たり。久々の友達がブログ見て思ったことを連絡くれたりした時には、繋がってる喜びに満ちます。
もともと共感してもらう目的で書いてるわけではないけど、結果的に共感してもらえるのは、とてもとても飛び上がる程に嬉しいんですよ。
それが最近、方々から「アドバイス」と呼ばれるもろもろが飛んでくることが急に増えてね。
それぞれは、きっと素晴らしく善意で、私への好意がベースにある事は理解してるから、その好意は嬉しいのだけどね。
だけど私、別にアドバイスと呼ばれるもろもろは、求めてないのよ。だからその行為には違和感を感じるんです。
ひとを救いたい時は、自分が救われたい時なんだろなぁって思うんです。
これは誰かを特定して言ってるわけではないんですけどね(言い訳がましっ笑)、自戒を込めて言ってます。
だから、私はひとを見て「救いたい」とか、それにに似た「役に立ちたい」という欲求が湧いた時ほど、自分の事に集中しようと思いました。
どうしようもなく、私には私しか救えないし、私のことは私しか救えない。
同時に、求めてないもろもろが飛んできた時に、「全然分かってない!」的な怒りに似た感情が湧いたり、正しく分かってもらいたいという気持ちが出てきたんですよね。
でも、それも不要だなと思いました、
私の事は、どうしようもなく私にしか分からないし、人に私を分かってもらいたい時は、私が私を分かりたい時。
分かってもらえたら嬉しいけど、分かってもらえないと悲しいときはあるけど、だけどそれだけ。「あー、悲しかったなぁ。」
「お願いやから、このクソ退屈な日常から誰か救って!」なんて気がしてたけど(参考記事 超絶頑張ってる私に① - 肝っ玉オカン道)
誰かに救って欲しいなんて実は微塵も思って無かった。
私のことは、どうしようもなく私が救ってやりたいし、
そもそも救うべき私なんて居なかったんですよ。
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今回思ったのは、刺激や出来事に感応してる、私の「感性」を信じてるんだなぁってこと。
平たく言えば、どうなっても私は私をどうにかするんだろうなと。
たとえ苦しくても、それを感じている私がいて。だから時にはとてつもなく逃避したり、とてつもなく鬱屈としたりもできる。そして、必要に応じて、他者に求めることもできる力が私にはある。
渦中にいるとそれどころではないけどね。
やっぱり私は「オギャー」を信じて生きていきたいんですよね。
(参加記事 オギャーを表現しつくす一生 - 肝っ玉オカン道)
んなわけで、嫉妬もいいやん、僻みもいいやん。救うべき私なんていないやん!てなわけです。
ピノ子の 遠足弁当。遠足の日は、久しぶりにウキウキで幼稚園行ったー。
肝っ玉オカン道は続く
私はもっと私を丁重に扱おうと心した日
こんにちは〜。
んっもぅ昨日久々に怒りで震えましたわ。
ネイルをね、しに行ったんですよ。今度結婚式にお呼ばれなんで着物を着るんで。
それがね、プリンターで爪に印刷をしてその上にジェルでコーティングするというもので、かなり多様なデザインに対応してますと。しかも早くて、安いと。
なんか面白そうやなーと思ったんで、着物着るせっかくの機会だし!と乗っかってみたんですよ。
ほなね、時間ぜーんぜん早くなくて。
完成度めちゃくちゃ低くて。(新人のネイリストが手でこのデザイン塗った方がずっとキレイだと思う!)
その上接客がクソやったんですわ。
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なんかさ、店員が明らかにやらされ仕事なんよ。
プリンターのインクが不要に付いてしまってたのに、やり直しするのが嫌で誤魔化そうとしたり。
店長がいろいろ様子見にくるんですけど、明らかにその店員に話しかけてるのに思いっきり無視とかね。ほら、反抗的な高校生が先生無視する的なやつと同じ。
もう、とにかくとにかく態度悪い、感じ悪い。何なんこれ?ってめちゃくちゃ思っててんけど、
とりあえず、明るく笑ってごまかすとか機嫌取るとか、そういった「この場をどうにかしなくては」的なやつが発動することだけは避け、その時私が思っていることを感じようと努めました。
(参考記事揺らいで揺らいで生きていく - 肝っ玉オカン道)
それにしても、もぅあまりに目に余るので、指摘もしたんですけどね。
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店を出た途端、身体が震えてきて。
え、これなに?これなに??
わ!!私。震える程に怒って(いかって)たんや!!!!
と、自分の猛烈な怒りに後から気がついたわけです。
そして「私は、あんな不遜な態度を取られていい人間じゃない!!!!!」
という言葉が湧いて出てきて、今度は自分に拍手を送りたい気持ちになりました。
そして叫びました。(外だし夜やったのでミュートで。)
口から出てくるわ出てくるわ、あのくそ店員に言ってやりたかった言い分が。後ろに人が居たけど、ひとしきり自分に言わせてあげました。
たまにブツブツ言いながら歩いてる人いるやん?あれってみんなあの店員に接客された後なんじゃないの?とか思った(きっと違う。)
とにかく、金輪際あのクソ美容院には行かないし、何だったら今から店長に事の詳細を言いに行ってやろうかとも思ったし、今日書いた顧客名簿的なんを返してもらおうかと思ったし、なんやかんやどうしたらあいつにこの怒りを伝えられるか悶々としたし、そして、あの場でスッキリこの怒りを伝えたかったー!と、思った。
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いつもなら、「言えなかった自分」を責めがちやったんですけど、それが思うほど無かったんですよね。
あの場でスッキリ言ったら爽快だろうなぁ。けど、湧き出てきた怒りをしっかりしっかり、かなりしっかり感じたので。
言った(言えた)か、言わなかった(言えなかった)かは、不思議とそこまでの問題でもなかったのです。
その上、自分を責めるパターンから少し離れてるわ私。という、進化してる事を感じたので、それは良し!!
怒りのパワーってすげーなー!
パラパラ雨降ってたのに、傘さしてなかったのに、家帰ったらほぼ濡れて無かったのよ!!
これって、怒りのパワーで雨が蒸発したんちゃうか!とすら思ったわ。
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やっぱり、私は丁重に扱われるべき人間なんだと思えた。
だから不遜で、不当な態度の店員に激しい怒りを感じたし、その為に私の大事な時間を使っている事に、猛烈に後悔した。
今回、プリンター使ったネイルって、面白そうやなとは思ったんですけどね。その上安いってのがあって。
ま、試しにやってみるか的な。私の中でだいぶ適当な気持ちで向かったんですよ。(ワクワクしながら試すというよりは、失敗してもええか的な)
今回の一連、そーれーかーー!!と思ってさ。
そこには、めちゃくちゃ後悔したよ。
私がもっと私を丁重に扱って行動すれば良かったーーーーうぉー!
だって、どう見てもネイルったって、美容院に腰掛けで付けてるだけのサービス丸出しやったのにさ。
それは(言語化してなかったけど)私の中ではビンビン感じてたし。その違和感を大事にすれば良かったー!
こういうサービスって、高けりゃええとか、安いから悪いとかでは一概に言えないやん?
やけど、「安い」からってちょっと文句言うの躊躇した自分が居たんですよ。「安い」値段でしてくれてるんやし、悪いかな的な。そう思って少しばかりの遠慮をしてた自分が悔しすぎた!!
だってさ。あんなクソ店員とやりとりする時間なんて、お金もらってでもしたくない。
そしてこのネイルの低すぎる完成度。。正直、借金したぐらいの気分やん。
あとね、きっとそのクソ店員(笑 いつまで言うねん!)、ネイルの仕事やりたくない感じやったんですよ。とにかくイヤイヤやってるの。
イヤイヤ仕事するって、こんなに周りに迷惑を撒き散らかす事なんやなぁと思った。それならやめてくれよ!端からあなたのことなんて選ばなくて済んだのに。
私もイヤイヤ家事してムンムンしてないかなぁ?と我を振り返ったら、やっぱりしてるね。
行きたくない公園行ってクサクサしてないかなぁ?と我を振り返ったら、やっぱりしてるね。
気をつけようっと。やっぱり好きな仕事しなくちゃだめだわ。
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ま、そんなわけで。
クソ店員への怒りからの、怒りのパワーって雨まで乾かしてしまうの?そんなすげーパワーが私の中にあったのかーすげーからの、我の違和感を大事にしてなかった悔しさからの、私は値段より時が大事だと思うからの、やっぱり私は私を丁重に扱うその時間を大事にしよう。
という話でした。
それでもね。
(思ってたよりも不恰好だけど)それでも大事な私のツメだから、カラフルなネイルで可愛いから、このツメを見るたびにあの怒りを思い出すなんて、それこそ私の時間の無駄無駄無駄。
クソ店員への悪口連ねましたが、ここに書いてそれで終了。たった今より、私の愛すべきツメを愛でようと思います。
ご静読ありがとうございました。
肝っ玉オカン道は続く
ちっぽけな私の本音を胸に
ここのところ、ゾロ目ばーっかり見ます。
なんか知らんけど、そういう時ってええ時らしいですよ。
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先日、人生の1本に入る素晴らしい映画に出会いました。
恋はデジャブ
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邦題がダサすぎて観る気がしなかったんですけどね。
敬愛する映画評論家の町山智浩さんが、ルーパーの解説の時に話題にされてまして。(ルーパーも秀作でしたよ)
タイトルはさておき、「恋はデジャブ」は今、私が観るべき映画でした。
※以下、完全にネタバレ含みます。映画を観たい方はお控えください。
〈概要〉小さな田舎町の祭りを取材に訪れた気象予報士が、何度目覚めても同じ日を繰り返すという超常現象の中に入り込む。
抜け出せないループの中で、彼は自分の生き方を見つめ直していく。
1993年公開のアメリカ映画。
主人公のウィルは、他人のことも自分のことも本当の意味で受け容れられず、舐めて人生を過ごしてるんですよ。
そんな彼が、今まで嫌悪してた雪深い田舎町に閉じ込められるんです。もう地獄!絶望!
でもある日を境に、人生に真正面から向き合うようになるんですよ。
そのきっかけになったのは、彼の中にある、ちっぽけな彼の本音を受け容れたこと。
カッコつけで自意識過剰な彼が、今まで向き合ってこなかった、自分の本当の願いに気がついた時、目の前の退屈な日々を前を向いて歩き始めました。
人生の在り方を問い始めたウィルは、そこから気がつけば全くの別人になっていてね。
恐ろしく感動しました。
退屈な日常をどう過ごすか、その、ある意味答えのような映画でした。
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子供と過ごす毎日の中で、自分の事が何も進んでないように感じて、満足感や達成感のない日常の繰り返し。
退屈したり鬱屈したり、「いつか」と今を逃げるように過ごしてみても、結局不足と不満しか残らなくて。
それで、目の前の日常を恨めしく思っていたりして、自由を叫んでみてもね。
本音を言うのは恥ずかしくて、大きな声では言えなかったけど、
私、やっぱりもっともっといいお母さんになりたい。
そして、もっと自分の感性を発揮して生きていきたい。
少しでもより善き人生を歩きたくて。もっと自分の命を使って自分を表現して生きたくて。
自分の鬱屈さを、状況や他者のせいにしてうだうだ生きていくなんて嫌だ!
それには結局、「今」を過ごすしかないのよ。
やっぱり私の自由は、私の日常の中にしかないのよ。
輝かしい未来を夢想する事も、つまらない過去を清算する必要も無くて。
ただ、自らがどう在りたいのかを問いながら、目の前の日常で出来ることを少しづつ進んでいく。それこそが「今」なんだと思う。
何も変わってなくて、何も進んで無いように思うかも知れないけれど、
気がつけばきっと、ウィルのように全くの別人になってしまってるよね。
そして私は、日常を諦めないし。私のちっぽけな願いを、それでも強かに願い続けようと思えた。
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この映画は、ニーチェの「永劫回帰」という概念を下敷きにしてるらしいですわ 。(町山智浩氏 談)
しかし、この真に迫ったストーリーを、SFとラブコメに仕立てた監督ってスゴイや!
でも、大事なことって、やっぱりユーモアが必要やなぁ。
いい映画に出会えて、本当に幸せ。
肝っ玉オカン道は続く。
ひがんでた、愛しきわたし
このひと月、ふた月はなんだかとても濃厚で、上がったり下がったりしてました。
特に九月入ってからは、強烈な孤独感に囚われていて、
そのお陰で映画を観まくって、人生の一本に出会えたり(また記事にします)、
本棚整理して「俺はまだ本気出してないだけ」を再読して泣き腫らしたり(読みたい人貸すよ)、
友達の何気ない一言がめちゃくちゃ刺さりまくって、それを受けとる私の感性っていいなぁって思ったり、
今まで避けていたはずの孤独って、実は豊かだなぁと思ったりして。
とにかく孤独という名の自己完結な遊びに浸っていました。(そこそこ鬱屈とはしてた)
ピノ子のお土産のどんぐり
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私ね、ひがんでたんですよ。
毎度お馴染み、「輪に入れないコンプレックス」が作動していました。
輪に入れてる(ようにみえる)人の言葉にすごく苛立ってた。
いつも人が集まって人に囲まれて幸せそうなあなたが、こんなに孤独な私に言いたいことだけ言って、それは優しさという名の正義だよ、私にとっては攻撃だよ。
と、思ってました。
んで、関わらないようにしたり、避けたりして、余計心をチクチクしてたんやけど。
私、羨ましくて、ひがんでたんだわ!
って気がついたら、めちゃくちゃ楽になった。
それまでこだわっていた色々が、腰抜かす程、どーーでも良くなった。
んで、ひがんでいたなんて、
私はなんてカッコ悪くて、
そしてなんて可愛い奴なんだぁぁぁぁ〜
と、愛しさが溢れ出てきました。
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この気づきの少し前、
お友達でタロット読みの川澄さや花ちゃん(a life with the tarot)がタロットを読んでくれたんですよ。
ソードの⑩
さや花ちゃんがこれ見て、
「やっちゃん、それめっちゃ痛い!痛い!って言ってるよ。今すごく傷ついてるよ。その気持ちをまずは認めてあげて。やっちゃん充分頑張ってるよ。」
と。それがやたらと響いてね。
胸がチクチクして、いつまでも気になってる、繊細すぎる自分を心のどこかで責めていたから、余計傷だらけになっちゃってたわ。
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ただ、悲しかったみたい。
ただ、寂しかったみたい。
ただ、羨ましかったみたい。
ただただ傷ついていた私を、最初に認めてあげれば良かったよ。
拗らせてる時は大概、私の中の何かを否定してる時。
それが何なのか分かるまでには、時には少し時間がかかるけど、
自分の中にあるもう要らないルールに気がついたり、古い傷を見つめたり、自分の行いを反省したり、他者を見て自己を客観視したり。
一生懸命前に進もうともがきながら、それは濃密な自分と向き合う時間だったから、
それはそれで良かったとしよう。
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最後に、今ちょうど響きすぎている茨木のり子さんの詩を忘備で。
愚かで愛しき私へ。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守ればかものよ
肝っ玉オカン道は続く
静かに感動した日
こんにちは。
運動会でした。
かねてより喫茶エンゼルさん(喫茶エンゼル - 喫茶・無添加のお弁当・ワークショップ≪別府)
の美しいオードブルに見とれてて。マネして甘くないブラマンジェ入れました。(しかし子供ら食べへんかった。美味しかったんやけどなぁ)
そして、この量やと足らへんかったー。
余ってしゃあないなぁ、くらいの山盛りのお弁当の方が好き。
やから、来年はもっと詰めるぞ!(来年はもっとたくさんの人に食べてもらいたい!)
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いやぁ、ピノ子ちゃん。
かけっこ、最後まで走り抜けましたよ。
(脳内BGMが、確実に「負けないで」やったよねぇ)
この1ヶ月、運動会のかけっこが嫌で嫌で仕方なくて、登園すら嫌になって、憂鬱な日々でした。
「ちゃんとできないから嫌なの」というピノ子に、「1番になれなくても、速く走れなくても良いんやで」と慰めても上滑りする感じがあって。
かけっこの練習に付き合ったり、とにかく今日も1日よく頑張ったねと抱きしめたりするぐらいしかできなくてね。
苦悩するピノ子を見ながら、運動会に出ない選択もある。かけっこだけ出ない選択もある。
やけど、走り切った達成感を経験して欲しいとも思う。それを奪ってしまいたくないと思う。
運動会の意義を何か伝えてあげられたらいいけど、正直私も運動会の意義なんて分からん。
というか、無くて全然いいと思ってるし、実は。
だから、私も苦しかったんですよね。
ピノ子にどう伝えてあげたらいいのか。どう向き合えばいいのか。
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だけどある日、先生に手を引かれ、「行けない〜」と泣きながらそれでも歩を進めるピノ子を見て、静かに、そして強く感動をしました。
去年は肌を荒らしたり毎晩おねしょをしたりでしか表現出来なかったピノ子が、
今年はちゃんと自分の口で「行けない」と言えて、理解して応援してくれる先生やお友達が周りにいる。
そして「行けない」と言いながらも行くピノ子。
なんて強くて豊かな子なんだろう。
生きる力はもう既に充分すぎる位持ってるんやなぁ。
そう気がついて、
どういう経験でもピノ子にとっては最高の経験だと、
やっぱり私には見守る事しか出来ないんやと心しました。
苦手なかけっこに出ないことは達成感を奪ってしまうんじゃないか?なんて、親のエゴやったわ。
出ても出なくても、最後まで走れても、走れなくても、何にしてもピノ子の瑞々しい経験。
だから、私はあなたがどんな顔してても大好きとしか言えないし、それだけは言いたい。
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結果。
最初いい感じで走ってたんですが、スタートやり直しになって。周りの子達はすぐ戻ったけど、娘はそれに気がつかない位まっすぐ前だけ見て走ってた。すごい集中力でした。
半ばまで走って、呼びに行った先生にやっと気がついて戻った頃には、集中も切れてて。
次にスタートしたら周りの子達がどんどん先に行って、最後は泣きベソかきながらゴールして。
それでもとにかく最後まで走った娘。先生がゴールで抱きしめて頑張ったねーって言ってくれて。
私には泣くしか出来なかったよ。
ありがとう、そんな姿を見せてくれて。
半ばで、先行く子達を見ながらどんどん顔を曇らせるピノ子を見て、あーそれ、私も分かるなぁ。言葉にするなら、惨めな感じとか、焦燥感とか。
切なくて苦しくて、だけど、最後まで走ったピノ子。
ありがとう、そんな姿を見せてくれて。
終わった頃には、運動会の意義なんてどうでも良くなってました。
どんな体験も、ピノ子の、私の、私達の瑞々しい経験やから。
この1ヶ月、苦悩のピノ子と一緒に過ごせて、オカンは幸せやったよー!
肝っ玉オカン道は続く。
罪悪感の幻肢痛、ウソでした
前に書いた記事。
子供を人に預ける罪悪感は、とっくの昔に解消してました〜!幻肢痛でした!
的なことを書いたのですが。
それが。
ぜーーーんぜん、幻ではありませんでしたっ!イキってました、すいません。
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先日。
ファミリーサポートを利用してみようと思ってセンターに連絡したんです。
(ファミリーサポートとは、地域の中で子供を「預かりたい人」と「預けたい人」が互いに登録してマッチングを行うサービスです。有償です。)
登録だけはしてたけど利用はしてなくて、ふと思い立ったんです。
条件とかをいろいろ聞かれた後、「お母さん、お仕事始められるんですか?それか、通院とか何かですか?」と聞かれました。
センターの人はただの状況確認で聞いただけやと思います。
でもここで私の脳内変換。
「仕事もしてない専業主婦が子供預けたいってワガママが許されるわけないでしょ?病気ならしゃあないけど、大事な子供を預けるだけの大義があるんでしょうねー?」
と、言われている気がしたわけです。
と同時に、甘えた人間だ!と、責められている気がした私。
後日、センターに紙をもらいに行く用事があって向かったんですが、その道中が苦痛で苦痛で仕方ない。はなから、責められてるような気がしてるわけやから。
大義なく、子供を預けて自分の時間が欲しいだけ。ただ1人っきりで昼間ゴロゴロしたいだけなんて、やっぱりワガママなんだろうか。
これは、健康な専業主婦がやるべき仕事を放棄してるってことなのだろうか。
でも、少しの自分の時間が欲しいという、ただそれだけの願いが叶わない、こんな世の中じゃ poison ♪
状態で。
世を憂うモード全開の、被害者意識丸出しで胸をざわつかせながら向かいました。おかげで2回も道を間違えました。
で。センターに着いたらまた聞かれました。
「利用する理由はどんなことですか?」
「いや、ちょっと。。。仕事を探したり、その為の勉強をする時間がほしくて、、、」
ズバリごまかしました!!!
理由ありません、ただ1人の時間が欲しくて。とは怖くて言えなかった。
そしたら、
「あー!そうですか!それなら良かったです。言いにくそうにされていたので、もし通院とかなら、何名か探してしっかりとした体制でサポートできるようにしたいなぁと思ってたんですよ〜」って。
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(やっぱりやけど)全然責められてなんかいなくて。
こんな事なら、1人の時間が欲しいと正直に言えば良かったかなぁって思いました。
そしたら何かしら、私の中に新しい風が吹いたかも知れないのに。
こうやって書くとよく分かるんやけど、完全に私の、一人劇場なんですよね。
私なんて。私なんて。私なんて。
結局、そのままの私をオッケーに出来てないだけの話。
罪悪感、劣等感。
自分の仕事をしてない人間は他人に甘えてはいけない。
、、、って思ってるのは何を隠そう私です。
ツッコミどころが山盛りやけど、怖いながら行動して、「大丈夫」を確認していくしかないのかも知れない。
最近日課にしてる、労宮おむすび🍙海苔バージョン。
肝っ玉オカン道は続く