コソコソするのを辞めた、我が家の「逃げ恥」
こんにちは。
先日、お友達の川澄さや花ちゃん(a life with the tarot)とご一緒した時に、タロット引いてもらったので、その記録を。しばらく続きます。
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11月じゃないですか。いわゆるボーナス前じゃないですか?
ここのところ、この季節(そして初夏の頃)になると、お金について緊張してる感じがありまして。
ヒヤヒヤだけでなく、あーあ、私ってなんで家計をうまいことやりくりできないのだろう?という、「ダメな私」をいじくり倒してるんですよ。
これどうにかせなあかんな。と思ってたので、さや花ちゃんに付き合ってもらって、タロットを用いて向き合う事にしました。
左(現状)→ソードの⑦
中(必要なスタンス)→ペンタクルのナイト
右(アドバイス)→悪魔
コソコソとバレないように宝を盗み出そうとしてるけど、バレるでしょーそのやり方じゃぁねぇ。っていう状況です。そして1人で孤独です。
私は、未来に向かって、自分の感覚を信頼して勇気を持って進んでいくという姿勢が必要です。
そのためにはまず、囚われている自分の根底の欲求を見つめましょう。囚われて苦しいはずだけど、囚われていることにはメリットがあり、私は一体何から逃げたいのか?そして逃れないのはなぜ?
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いやぁ、これ。もぅ思い当たることがありすぎました。
我が家、家計は基本的に状況が変わる都度、夫婦2人で話し合って行き先を決めてるんですが。
今の所、私が預かっている日々の生活費の中に私のお手当(お小遣い、交遊費やら服やら何やらかんやら)が含まれててね。
最近は私1人で出かける機会も増えてきたので、そこがボリュームを占めるようになってきたんですよね。んで、月末にはヒヤヒヤして、臨時出費用の方からしれーっとおろして帳尻を合わす感じでやりくりしてました。
今までなぜ私のお手当(お小遣い)を明確にしてなかったのかというと、私、働いてるわけでもないし、大概家に居るし、だから決まったお手当(お小遣い)をもらうほどのこともないんだけど。。。的な、謙虚なんだか卑屈なんだかという理由。
また明確にすると、私の好きに使える分が減ってしまうんじゃないかという姑息な理由。
私はお手当(お小遣い)ないし、その代わり私が預かってる分は私の采配でやらせていただきます!というね。
遠慮がちなんだか、傲慢なんだかという感じで、うやむやにしてきました。(コソコソと)
ま、かなりパーソナルで恥ずかしい話ですね。
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タロット引いてから。
やっぱり独りでコソコソとせず、明確にしようと思いまして、夫と話し合いました。
それに際して、今まで気にしてた事を冷静に考えてみたら、夫が私の使い方を責めて制約するとはどうしても思えなかったんですよ。むしろ私が自由で、喜んで、美しくなる事をとても喜んでくれる。私を信頼してくれているよなぁ?
あと、いつか制約せざるを得ないような事を、私はしでかしてしてしまうんじゃないか?という恐怖がそこはかとなくありましたが(これには原因があるんで、またいつか)。いや、私。そんなことするような性格でもないやん?
夫とゆっくり話し合って、具体的な解決策も見つかりました。
①私もお手当(いわゆるお小遣い)を生活費とは別で持つこと。
②生活費の中から、外食費については夫が管理する。(最近、やたら外食に行きたがる娘や、それを何も気にせずOKする夫に、「無責任にいわないでよ!」という気持ちになってました。だから、外食については、夫にやりくりの責任を持ってもらおー!という事に。)
③臨時出費や、お互いのお手当が足りない時も、夫婦で話して、正々堂々と補填しよう。
④新システムの運用についての不具合は、いつでも話し合って解決しよう。
ま、そんな感じです。
今回特に①と②について変化が大きかったわけですが、別に今までだって、そうしたらよかったのにできなかった。
だって、私が稼いでるわけじゃないから。それなのに、私だけの喜びのために使うのはイケナイこと。責められるべきこと。だからコソコソとする。
そして夫に家計(の一部であっても)を管理されるなんて、ますます私の存在価値が無くなる。今までだって外食は好きでしてたけど、そのやりくりを私がしてるっていうのが唯一の私の存在の砦のような気すらしてた。
この、無価値観と罪悪感。囚われているくせに、抵抗して逃れない私。ズバリ悪魔の状態!これ、いつまでやるつもり?と改めて思ったわけです。
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どれだけ仕事に充実感を覚えているとはいえ、嫌な仕事や嫌なことを言われたりもあるわけで。
だけど家族のために前向きに取り組んでいる夫。そして、その稼ぎを家族の喜びに変えることを自分の喜びとして受け容れられる人やん。
私が罪悪感を持って使うってことは、夫のその気持ち台無しやん!
そして、私の中にある、夫へのありがとうの気持ちも台無しやん!(だからいつも素直にありがとうが言えないのだよ!この私め!)
ついでに無価値観でいうと、私のためにそこまで夫がしてくれるというのは、私の存在に価値を感じてくれているからやん。って考えると、幼少期の私を育ててくれた父も母も、私の存在に価値を感じていたからやん。
もぅさ、もぅええんちゃう?
逆説的だけど、私は私の存在に価値を感じてくれている人がいる程の、価値を持ってるし。
そんな私のことを、私も価値あるものとして扱っているやん?私のために好きなことできてるやん?
首の鎖を外して、生温い悪魔の支配から逃れましょうよ。
てなわけで、我が家の「逃げ恥」でした。来月から運用してみて、修正しながらやっていきます。
そいや、ちょうどさや花ちゃんに会う前日に「逃げ恥」読んでたのよね〜。
さや花ちゃんもこのリーディングについて書いてくれてます。(やっちゃんのリーディング|a life with the tarot)さや花ちゃん、ありがとう〜😊
肝っ玉オカン道は続く。
心からの祝福を
こんにちは。
こないだの嵐の日、友人の結婚式でした。
大学時代の友人でね。私にとって、自分で居られる数少ない「親友」のひとりなのです。
お家を継ぐという立場で産まれ育った彼女は、責任感と自立心を強く持った人で。彼女ほどの努力家も、彼女ほどの目標を忘れない人も見たことがないと思えるほどの、いわゆる「大人」な人です。
でも無理してるなぁとか、鉄壁だなぁという、「近寄りがたきもの」の無い、他人の話をしっとり聴き、人に優しく在ろうとする。いつも内省してて、と言って思考でぐるぐるすることはほとんど見たことがない、あるレベルで思い切りをつけることのできるひと。
自分の置かれた環境や境遇を、無闇に嘆いたり反抗的な態度をとることもなく、きっと葛藤することはあるだろうけど、それでも最後には自分の人生を受け容れて前を向く、そんなひと。
お家や家族や関係の人々を一身に背負って、私には想像もつかない労苦や煩わしさがあるだろうけど、必ず自分で整理して解決して、私にぽろっと漏らしてくれる頃にはすでに終わった後って感じでした。
友達だけど、尊敬できるひと。私の人生に彼女との出会いがどれだけ貴重だったか。
そんな責任感の塊のような彼女が選んだ男性は、彼女とは真逆のような人。
軽やかでとらわれがなくて、子供のような無邪気さをいつも胸に持った人。とてもきちんとされてるんやけど、しがらみやこだわりをヒョイと飛び越えて行きそうな、そんなひとです。
そっかぁ、そんな人が良かったんやなぁって。しみじみ思いました。
彼女が背負うと決めたものを肩代わりしてくれる、漢気丸出しで彼女を上回る責任感の塊の人じゃなくて、むしろ彼女の心を軽やかにしてくれる人なんやね〜。
彼女は、自分のものを夫と共有することよりも、自分を日常から夢の世界に連れてってくれるような人を選んだ、そんな気がしてね。
彼女の背負ってるもののも大きさも、それを背負っていく彼女の決意の強さも再認識しました。
そして人柄のとりわけいい彼に、どうか彼女をよろしく頼むよ!と、心の中で思いました。(どの立場だよ!)
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お式の日は、素晴らしく(笑)荒天で。
巨大台風で風雨に晒されてましたが、私は張り切りまくって、一張羅の訪問着を。
しかも実家で着せてもらって会場に向かったので、こりゃ祝福の気持ちが無いと拷問やなぁとか思いながら、彼女の今までのこと、彼とのいろいろを想って電車の中で感無量で涙。
「本当に良かったなぁ〜」と、心からの祝福があふれ出て、もう式行かんでええくらいの幸せのおすそ分けしてもらった気分でしたわ。
んで、お式で妹さんが嗚咽漏らしてて、またもらい泣き。近くで見てきて育ってきていーっぱい思うことのある時やったやろう。
晴れ着を纏った、今までで1番キレイな彼女。
外の天気とは裏腹に、列席者がみんな穏やかな顔してて、心からのお祝いの気持ちを持ち寄った、いいお式だったなぁ〜。
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嵐のおかげで福岡まで帰れなくなり、大学時代の友人とホテルに宿泊しまして。
お互い、社会人となり、妻となり、母となっても、話せばなーんも変わらない居心地の良い空気感で。
学生時代に戻ったね〜というより、
学生じゃなくってもこの感じで居れる関係に、心底安心し、そんな出会いのできた自分の人生をやるやん!と思いましたよ。
日本中に散ってしまったのでなかなか会えずじまいでしたが、これからは年一回は会おうと約束し、翌朝帰路に。
子供達と離れて過ごす夜も初経験して、大丈夫だと確認できたのも良かった。
素晴らしき夜でしたわ。
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Mちゃんおめでとう!ますます、幸せになろうぞ!
(お互いに、やな、へへへ)
肝っ玉オカン道は続く
カワイイの純粋性を大事にしたいので、溢れ出た時だけカワイイと言うようにします
こんにちは。
陸王、第一回にして既に熱くて、原作読むか悩んでます。読み出したら抜け出せないムードがあるからなぁ。悩む。活字中毒の折島一平さんが、珍しく大大絶賛してたしなぁ。
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先日、哲学カフェに行ってきました。
(哲学カフェとは、ある問いに対して集った方々で対話しながら時を共有する場です)
テーマは、「カワイイってなに?」
私は、先日の気づき(http://kimottamamama.hatenablog.com/entry/2017/10/15/160327)から、
カワイイとは、カッコ悪い私の先にあるものでした。
みたいな感じで始まりました。(最初と最後に、問いについて思うことを各自順番に述べるのです)
完璧なものには「キレイ」とか「美しい」とは感じるけど、「カワイイ」は、不完全なものに溢れ出てくる感情だと思ったんですよね。
ここが重要で。
あくまで「溢れ出てくるもの」として、とても尊い感情だと思うんです。
だけど、女性の中では「カワイイ」はあいさつ代わり、仲間意識を共有するためのワードとして利用されていることも多いよねー。という話になりました。
確かに。
カワイイと言っとけば間違いない的な、とてもゆるい「カワイイ」も使ってるな。
そういう、使われるシーンや意味が多様な言葉だから便利だし、不自由さも産んでる様です。
最近私のテーマとして、「自分にだけはウソつかない」 がありまして。
だからね、自分に「溢れ出る」カワイイの純粋性を大事にしたいと思ったんですよね。溢れ出たカワイイって、めちゃくちゃ尊いものじゃないですか。
それ以降、カワイイを頻発しないように過ごしてみています。湧き出た時にだけ発するように。
仲間意識を共有するためのワードなら、別の言葉で伝えることも可能やんなぁ。
そこをさぐっていこうと思いました。
そしたら、ついつい言いたくなるね。
特に、妙に気を使ってしまう相手とかに。それが奇妙で。
妙に気を使ってしまう相手と、ホンマに仲間意識を共有したいの?卑屈になってしまってるのはなぜ?
なんて事を思ったり。「カワイイ」からいろいろ広がっております。
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最近、なんやかんや外に出て教わったり考えたりする時間が多くて。
こういう、非日常で得たことをどれだけ日常に返せるのか。それが1番大事〜♪やと思うからさ、まずはやってみますわ。
肝っ玉オカン道は続く
ひがんでた、愛しきわたし の続き
の続き。
これからも私はきっと、輪に入れなくてひがむだろうし、どんどん人と繋がって、やりたいことを形にして行く人をみて妬むんやろうなぁって思うんです。
だけど、それをどうしても悪いとは思えないんですよね。
ひがみ、妬み、そねむ私を認めて受け容れた時に初めて、私はどう在りたいかに目を向けられたんですよね。
私、人ともっと協調したいし、共感したいし、やっぱりその人のことが好きだって思った。憧れてた。
私が嫉妬してた、自分を表現してどんどん先行く様に思える人も、私がなりたかった姿。
私のカッコ悪さの先に、可愛くて愛しき私の本音があって。
嫉妬や僻みって、私の宝地図みたいなもんなんやなぁって思うんです。
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こんな閲覧者のさほどいない拙ブログでも、時に反響があったりします。Facebookでコメントもらったり、メールをもらったり、LINEで連絡が来たり。久々の友達がブログ見て思ったことを連絡くれたりした時には、繋がってる喜びに満ちます。
もともと共感してもらう目的で書いてるわけではないけど、結果的に共感してもらえるのは、とてもとても飛び上がる程に嬉しいんですよ。
それが最近、方々から「アドバイス」と呼ばれるもろもろが飛んでくることが急に増えてね。
それぞれは、きっと素晴らしく善意で、私への好意がベースにある事は理解してるから、その好意は嬉しいのだけどね。
だけど私、別にアドバイスと呼ばれるもろもろは、求めてないのよ。だからその行為には違和感を感じるんです。
ひとを救いたい時は、自分が救われたい時なんだろなぁって思うんです。
これは誰かを特定して言ってるわけではないんですけどね(言い訳がましっ笑)、自戒を込めて言ってます。
だから、私はひとを見て「救いたい」とか、それにに似た「役に立ちたい」という欲求が湧いた時ほど、自分の事に集中しようと思いました。
どうしようもなく、私には私しか救えないし、私のことは私しか救えない。
同時に、求めてないもろもろが飛んできた時に、「全然分かってない!」的な怒りに似た感情が湧いたり、正しく分かってもらいたいという気持ちが出てきたんですよね。
でも、それも不要だなと思いました、
私の事は、どうしようもなく私にしか分からないし、人に私を分かってもらいたい時は、私が私を分かりたい時。
分かってもらえたら嬉しいけど、分かってもらえないと悲しいときはあるけど、だけどそれだけ。「あー、悲しかったなぁ。」
「お願いやから、このクソ退屈な日常から誰か救って!」なんて気がしてたけど(参考記事 超絶頑張ってる私に① - 肝っ玉オカン道)
誰かに救って欲しいなんて実は微塵も思って無かった。
私のことは、どうしようもなく私が救ってやりたいし、
そもそも救うべき私なんて居なかったんですよ。
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今回思ったのは、刺激や出来事に感応してる、私の「感性」を信じてるんだなぁってこと。
平たく言えば、どうなっても私は私をどうにかするんだろうなと。
たとえ苦しくても、それを感じている私がいて。だから時にはとてつもなく逃避したり、とてつもなく鬱屈としたりもできる。そして、必要に応じて、他者に求めることもできる力が私にはある。
渦中にいるとそれどころではないけどね。
やっぱり私は「オギャー」を信じて生きていきたいんですよね。
(参加記事 オギャーを表現しつくす一生 - 肝っ玉オカン道)
んなわけで、嫉妬もいいやん、僻みもいいやん。救うべき私なんていないやん!てなわけです。
ピノ子の 遠足弁当。遠足の日は、久しぶりにウキウキで幼稚園行ったー。
肝っ玉オカン道は続く
私はもっと私を丁重に扱おうと心した日
こんにちは〜。
んっもぅ昨日久々に怒りで震えましたわ。
ネイルをね、しに行ったんですよ。今度結婚式にお呼ばれなんで着物を着るんで。
それがね、プリンターで爪に印刷をしてその上にジェルでコーティングするというもので、かなり多様なデザインに対応してますと。しかも早くて、安いと。
なんか面白そうやなーと思ったんで、着物着るせっかくの機会だし!と乗っかってみたんですよ。
ほなね、時間ぜーんぜん早くなくて。
完成度めちゃくちゃ低くて。(新人のネイリストが手でこのデザイン塗った方がずっとキレイだと思う!)
その上接客がクソやったんですわ。
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なんかさ、店員が明らかにやらされ仕事なんよ。
プリンターのインクが不要に付いてしまってたのに、やり直しするのが嫌で誤魔化そうとしたり。
店長がいろいろ様子見にくるんですけど、明らかにその店員に話しかけてるのに思いっきり無視とかね。ほら、反抗的な高校生が先生無視する的なやつと同じ。
もう、とにかくとにかく態度悪い、感じ悪い。何なんこれ?ってめちゃくちゃ思っててんけど、
とりあえず、明るく笑ってごまかすとか機嫌取るとか、そういった「この場をどうにかしなくては」的なやつが発動することだけは避け、その時私が思っていることを感じようと努めました。
(参考記事揺らいで揺らいで生きていく - 肝っ玉オカン道)
それにしても、もぅあまりに目に余るので、指摘もしたんですけどね。
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店を出た途端、身体が震えてきて。
え、これなに?これなに??
わ!!私。震える程に怒って(いかって)たんや!!!!
と、自分の猛烈な怒りに後から気がついたわけです。
そして「私は、あんな不遜な態度を取られていい人間じゃない!!!!!」
という言葉が湧いて出てきて、今度は自分に拍手を送りたい気持ちになりました。
そして叫びました。(外だし夜やったのでミュートで。)
口から出てくるわ出てくるわ、あのくそ店員に言ってやりたかった言い分が。後ろに人が居たけど、ひとしきり自分に言わせてあげました。
たまにブツブツ言いながら歩いてる人いるやん?あれってみんなあの店員に接客された後なんじゃないの?とか思った(きっと違う。)
とにかく、金輪際あのクソ美容院には行かないし、何だったら今から店長に事の詳細を言いに行ってやろうかとも思ったし、今日書いた顧客名簿的なんを返してもらおうかと思ったし、なんやかんやどうしたらあいつにこの怒りを伝えられるか悶々としたし、そして、あの場でスッキリこの怒りを伝えたかったー!と、思った。
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いつもなら、「言えなかった自分」を責めがちやったんですけど、それが思うほど無かったんですよね。
あの場でスッキリ言ったら爽快だろうなぁ。けど、湧き出てきた怒りをしっかりしっかり、かなりしっかり感じたので。
言った(言えた)か、言わなかった(言えなかった)かは、不思議とそこまでの問題でもなかったのです。
その上、自分を責めるパターンから少し離れてるわ私。という、進化してる事を感じたので、それは良し!!
怒りのパワーってすげーなー!
パラパラ雨降ってたのに、傘さしてなかったのに、家帰ったらほぼ濡れて無かったのよ!!
これって、怒りのパワーで雨が蒸発したんちゃうか!とすら思ったわ。
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やっぱり、私は丁重に扱われるべき人間なんだと思えた。
だから不遜で、不当な態度の店員に激しい怒りを感じたし、その為に私の大事な時間を使っている事に、猛烈に後悔した。
今回、プリンター使ったネイルって、面白そうやなとは思ったんですけどね。その上安いってのがあって。
ま、試しにやってみるか的な。私の中でだいぶ適当な気持ちで向かったんですよ。(ワクワクしながら試すというよりは、失敗してもええか的な)
今回の一連、そーれーかーー!!と思ってさ。
そこには、めちゃくちゃ後悔したよ。
私がもっと私を丁重に扱って行動すれば良かったーーーーうぉー!
だって、どう見てもネイルったって、美容院に腰掛けで付けてるだけのサービス丸出しやったのにさ。
それは(言語化してなかったけど)私の中ではビンビン感じてたし。その違和感を大事にすれば良かったー!
こういうサービスって、高けりゃええとか、安いから悪いとかでは一概に言えないやん?
やけど、「安い」からってちょっと文句言うの躊躇した自分が居たんですよ。「安い」値段でしてくれてるんやし、悪いかな的な。そう思って少しばかりの遠慮をしてた自分が悔しすぎた!!
だってさ。あんなクソ店員とやりとりする時間なんて、お金もらってでもしたくない。
そしてこのネイルの低すぎる完成度。。正直、借金したぐらいの気分やん。
あとね、きっとそのクソ店員(笑 いつまで言うねん!)、ネイルの仕事やりたくない感じやったんですよ。とにかくイヤイヤやってるの。
イヤイヤ仕事するって、こんなに周りに迷惑を撒き散らかす事なんやなぁと思った。それならやめてくれよ!端からあなたのことなんて選ばなくて済んだのに。
私もイヤイヤ家事してムンムンしてないかなぁ?と我を振り返ったら、やっぱりしてるね。
行きたくない公園行ってクサクサしてないかなぁ?と我を振り返ったら、やっぱりしてるね。
気をつけようっと。やっぱり好きな仕事しなくちゃだめだわ。
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ま、そんなわけで。
クソ店員への怒りからの、怒りのパワーって雨まで乾かしてしまうの?そんなすげーパワーが私の中にあったのかーすげーからの、我の違和感を大事にしてなかった悔しさからの、私は値段より時が大事だと思うからの、やっぱり私は私を丁重に扱うその時間を大事にしよう。
という話でした。
それでもね。
(思ってたよりも不恰好だけど)それでも大事な私のツメだから、カラフルなネイルで可愛いから、このツメを見るたびにあの怒りを思い出すなんて、それこそ私の時間の無駄無駄無駄。
クソ店員への悪口連ねましたが、ここに書いてそれで終了。たった今より、私の愛すべきツメを愛でようと思います。
ご静読ありがとうございました。
肝っ玉オカン道は続く
ちっぽけな私の本音を胸に
ここのところ、ゾロ目ばーっかり見ます。
なんか知らんけど、そういう時ってええ時らしいですよ。
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先日、人生の1本に入る素晴らしい映画に出会いました。
恋はデジャブ
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邦題がダサすぎて観る気がしなかったんですけどね。
敬愛する映画評論家の町山智浩さんが、ルーパーの解説の時に話題にされてまして。(ルーパーも秀作でしたよ)
タイトルはさておき、「恋はデジャブ」は今、私が観るべき映画でした。
※以下、完全にネタバレ含みます。映画を観たい方はお控えください。
〈概要〉小さな田舎町の祭りを取材に訪れた気象予報士が、何度目覚めても同じ日を繰り返すという超常現象の中に入り込む。
抜け出せないループの中で、彼は自分の生き方を見つめ直していく。
1993年公開のアメリカ映画。
主人公のウィルは、他人のことも自分のことも本当の意味で受け容れられず、舐めて人生を過ごしてるんですよ。
そんな彼が、今まで嫌悪してた雪深い田舎町に閉じ込められるんです。もう地獄!絶望!
でもある日を境に、人生に真正面から向き合うようになるんですよ。
そのきっかけになったのは、彼の中にある、ちっぽけな彼の本音を受け容れたこと。
カッコつけで自意識過剰な彼が、今まで向き合ってこなかった、自分の本当の願いに気がついた時、目の前の退屈な日々を前を向いて歩き始めました。
人生の在り方を問い始めたウィルは、そこから気がつけば全くの別人になっていてね。
恐ろしく感動しました。
退屈な日常をどう過ごすか、その、ある意味答えのような映画でした。
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子供と過ごす毎日の中で、自分の事が何も進んでないように感じて、満足感や達成感のない日常の繰り返し。
退屈したり鬱屈したり、「いつか」と今を逃げるように過ごしてみても、結局不足と不満しか残らなくて。
それで、目の前の日常を恨めしく思っていたりして、自由を叫んでみてもね。
本音を言うのは恥ずかしくて、大きな声では言えなかったけど、
私、やっぱりもっともっといいお母さんになりたい。
そして、もっと自分の感性を発揮して生きていきたい。
少しでもより善き人生を歩きたくて。もっと自分の命を使って自分を表現して生きたくて。
自分の鬱屈さを、状況や他者のせいにしてうだうだ生きていくなんて嫌だ!
それには結局、「今」を過ごすしかないのよ。
やっぱり私の自由は、私の日常の中にしかないのよ。
輝かしい未来を夢想する事も、つまらない過去を清算する必要も無くて。
ただ、自らがどう在りたいのかを問いながら、目の前の日常で出来ることを少しづつ進んでいく。それこそが「今」なんだと思う。
何も変わってなくて、何も進んで無いように思うかも知れないけれど、
気がつけばきっと、ウィルのように全くの別人になってしまってるよね。
そして私は、日常を諦めないし。私のちっぽけな願いを、それでも強かに願い続けようと思えた。
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この映画は、ニーチェの「永劫回帰」という概念を下敷きにしてるらしいですわ 。(町山智浩氏 談)
しかし、この真に迫ったストーリーを、SFとラブコメに仕立てた監督ってスゴイや!
でも、大事なことって、やっぱりユーモアが必要やなぁ。
いい映画に出会えて、本当に幸せ。
肝っ玉オカン道は続く。
ひがんでた、愛しきわたし
このひと月、ふた月はなんだかとても濃厚で、上がったり下がったりしてました。
特に九月入ってからは、強烈な孤独感に囚われていて、
そのお陰で映画を観まくって、人生の一本に出会えたり(また記事にします)、
本棚整理して「俺はまだ本気出してないだけ」を再読して泣き腫らしたり(読みたい人貸すよ)、
友達の何気ない一言がめちゃくちゃ刺さりまくって、それを受けとる私の感性っていいなぁって思ったり、
今まで避けていたはずの孤独って、実は豊かだなぁと思ったりして。
とにかく孤独という名の自己完結な遊びに浸っていました。(そこそこ鬱屈とはしてた)
ピノ子のお土産のどんぐり
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私ね、ひがんでたんですよ。
毎度お馴染み、「輪に入れないコンプレックス」が作動していました。
輪に入れてる(ようにみえる)人の言葉にすごく苛立ってた。
いつも人が集まって人に囲まれて幸せそうなあなたが、こんなに孤独な私に言いたいことだけ言って、それは優しさという名の正義だよ、私にとっては攻撃だよ。
と、思ってました。
んで、関わらないようにしたり、避けたりして、余計心をチクチクしてたんやけど。
私、羨ましくて、ひがんでたんだわ!
って気がついたら、めちゃくちゃ楽になった。
それまでこだわっていた色々が、腰抜かす程、どーーでも良くなった。
んで、ひがんでいたなんて、
私はなんてカッコ悪くて、
そしてなんて可愛い奴なんだぁぁぁぁ〜
と、愛しさが溢れ出てきました。
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この気づきの少し前、
お友達でタロット読みの川澄さや花ちゃん(a life with the tarot)がタロットを読んでくれたんですよ。
ソードの⑩
さや花ちゃんがこれ見て、
「やっちゃん、それめっちゃ痛い!痛い!って言ってるよ。今すごく傷ついてるよ。その気持ちをまずは認めてあげて。やっちゃん充分頑張ってるよ。」
と。それがやたらと響いてね。
胸がチクチクして、いつまでも気になってる、繊細すぎる自分を心のどこかで責めていたから、余計傷だらけになっちゃってたわ。
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ただ、悲しかったみたい。
ただ、寂しかったみたい。
ただ、羨ましかったみたい。
ただただ傷ついていた私を、最初に認めてあげれば良かったよ。
拗らせてる時は大概、私の中の何かを否定してる時。
それが何なのか分かるまでには、時には少し時間がかかるけど、
自分の中にあるもう要らないルールに気がついたり、古い傷を見つめたり、自分の行いを反省したり、他者を見て自己を客観視したり。
一生懸命前に進もうともがきながら、それは濃密な自分と向き合う時間だったから、
それはそれで良かったとしよう。
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最後に、今ちょうど響きすぎている茨木のり子さんの詩を忘備で。
愚かで愛しき私へ。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守ればかものよ
肝っ玉オカン道は続く