肝っ玉オカン道

私が私の肝っ玉オカンになって私を育てていく記録

女性としての命を生きているのに 美しくないわけがない んやわ。

こんにちは。

 

宮古島におりました。

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新城海岸は遠浅で、 サンゴがすぐそこに。ニモも居るよ。

ちびっ子連れにはちょうど良い海でした。

 

そして海の果てに地平線が見えて、砂浜の先には丘があり、モアナそのもの。

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宮古島の件はまた追って。(つーか、しばらく宮古島の写真ばっかりになる予感。ふふふふふふ)

 

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太ってるからといって、私が美しくない という理由には、決してならない。

 

日焼けした自分を鏡で見ながら、衝撃的に気がついてしまった。

頭に電気が突き抜けたよ。

 

こんなの初めて!(「過保護のカホコ」の決め台詞。←きっと流行らんけど)

 

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私ね、もう生まれてこのかたずーっと、太ってる感覚で生きてる人間でして。

 

あの時痩せてたなーっていうのは、ハンドボール部やった中学の3年間位かな。

 

思春期はもちろん、その前もその後も、ずーっと太ってる劣等感を身にまとって生きてきました。

 

細い人を見れば劣等感を抱き、自分より太ってる人を見れば優越感を抱き。

 

自分より痩せてる人が「痩せたいわー」と言ってるのは私に劣等感を持たせるためなんやと思い込み。

 

太ってるくせにこんな服着ていいのか悩み、試着室に入るのはコソコソと。

 

道を歩きながらビルに写る自分を見るたびに、居たたまれなさを感じ。

 

外食に行くと、「太ってるのにそんなに(それを)食べるの?」逆に「太ってるのにそんなに食べないの?」と思われると思い、いつもちょうどいい加減を探してる。

 

一時頑張って痩せても、すぐ戻る。もうこれって産まれ持った体質やなぁ。スカくじ引いたなぁと、自分の体質を恨んで、痩せてる人の体質を妬んで。

 

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

とてつもなく自意識過剰な、ブタでした。

 

その上、「太ってる事を気にしている」ことが人にバレるのはタブーでタブーで、太ってる事を気にしてる事をひた隠しにして生きてきましたわ。

 

だってさ、太ってるのに痩せる努力しないの?それってダメやん!と思われたくなかったから。

痩せてる人はみんな努力してる!というのは私の急所を一撃するワード。やから、雑誌のダイエット特集とか絶対読めなかった。

 

せやからね、

太ってるかも知れへんけど、オシャレにしてます。 とか、

太ってるかも知れへんけど、朗らかに生きてます。

だからどうか皆さん!私が「太ってること」をとりたてないでね。

と、守りを固めることに心血注いで生きてきました。

 

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コボちゃんを産んで以来、妊娠中の長引いた悪阻や、授乳のおかげで去年や一昨年は私の人生の中ではとても身軽だったんですよね〜。

 

ずーっと身にまとっていた「太ってる劣等感」から解放されて生きれていた感がありました。

それが、年明けくらいから、授乳量が減るに従ってまた少しづつ肥えてきて。

 

そしたら、解放された気でいてた劣等感がアゲインしてきて。

 

ある日、試着した服が小さくてまた劣等感。
それがあまりに慣れ親しんだ感覚でね、

あれ?私一生これ持って生きたいんかいな?もうええんちゃうか!と思ったんです。

 

それから、心理学のオンラインサロンでこの件を相談してみたり、

診てくれてる鍼灸師さんに相談してみたり。

今までやったら絶対でけへんかった、タブー中のタブーである、「太ってることを気にしてる」という自己開示をしてみた、この夏でした。

 

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この旅の終わり、ホテルでね。

すっかり日焼けした自分を鏡で見ながら、ふと。

 

私、色黒いの似合わへんなぁ〜。と思ったんですよね。

 

私ね、地が色白で。日焼けせーへんのよね。

多分、これって一般的には羨ましがられるポイントやん?やけど、これがちょっとしたコンプレックスでした。

 

だってさ、太ってる私が白かったら、まさに白ブタやん。🐖ブー。

 

色黒やったら少しは締まって見えるんかなと思ったけど、

鏡に写る黒く焼けた腕を見て、

やっぱり私、色白が似合うのなぁ〜。ってか、ずっと色白やったのに、似合ってるのを認めて無かっただけか。

 

と思った時にさ。

先の電気が突き抜ける衝撃がありました。

 

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太ってるからといって、私が美しくない という理由には、決してならない。

 

私は、もう既に充分に美しかったんや。

色白でも、太ってても、目が離れ気味でも、誰に何と言われようとも。

それは、女性として生きてる私の「命への畏れ」みたいなものでした。

 

女性として生きてる私が、美しくないわけがない。

 

 

そう思えたら、私は私が太ってるという事は決して認めて無かったという事実が追いかけて突きつけられました。

私はずっと、太ってる私は、私でないと切り離していたんや。

 

生まれてこのかた、あれだけ私にまとわりついて離れなかったはずの、「太ってる劣等感」。
だけど、太ってる私を私は見てなかった。じゃあ一体今まで何を見てたのやろうかと、愕然としたよ。

 

太ってるなんて、そんなごときの理由で私を切り離しててごめん。
今までこんなに美しく生きてる私を見てなくてごめんね、私。
と、涙が溢れかえりました。

 

 

と同時に、太ってる私を冷静に直視して、絶望的な気持ちにもなりました。

それは、鏡に写る太ってる私を見たくないーという気持ちではなく、

太ってる私を真剣に見つめた、ある意味絶望で、そしてある意味希望。

 

あまりに怒涛の間(なんか知らんけど号泣してるし)だったので、後から言語化するの苦慮したけど。

 

あの、心の澄んだ空気感ってなんなんやろうか。

 

それは、どうあっても、既に私は美しいんだと認める。

その覚悟なのかもな と思いました。

 

なんやよー分からんけど、

私、ようやくここからスタートという気がしてます。

 

私は美しい。
ほんで、どうしよっか?

 

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美しさって、

顔の造形とか、身体のラインとか、そんな目先の事やないねん。

誰か(や社会)が決めた、基準やないねん。

 

「女性として産まれた命を生きる美しさ」

なんやないかな。

だから、女性はみんな美しい。(資生堂のコピーみたいやろ?)

 

 

ここでもやっぱり、「何か」じゃなくて、「どう」在るかなんやな。

私の幸せは、状況に依存しなくてもいい - 肝っ玉オカン道

 

 

そう分かったら、目先の美しさも素直に求められるようになったよ。

取り急ぎ、メイク習いに行ってきまーす♡

 

んで、やっぱりスッキリ痩せて身軽にもなりたいし♡

 

これからは、美しさを認めて、私らしい美しさを身にまとって生きていこうと思います。

 

久しぶりにワクワクしてるわ。るるるんっ♡

もしかしたら世界は私が思っているより優しいのかも知れない のかも知れない のかも知れない

こんにちは。

 

先日コレに行ってきました〜!

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 ウルフルズ25周年ライブ。

いやぁ、良かった!良かった!

 

ウルフルズって、やっぱりいいなぁ〜♡大事なことをシンプルでストレートな言葉で言いきれる強さ。

「ええねん」の一言で、全て受け容れてしまえるんやもんなぁ。

 

こねくりかえしちゃう星の住人としては、敵わへん感じあります。

 

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先日、ヌメロロジーの鑑定を2回も連続で受ける機会がありましてね。

どうやら私は、今年は「終わらせて」来年は「始める」年らしいです。
そしてそれを聞く前からそんな気がして準備してる感があったので、きっとそうなんでしょう。

 

自分の中では言語化する程でもなくぼやっと感じてる「何か」を、言語化して捉えていくという意味で、とてもいい機会でした。

 

 

じゃあ、何を終わらせるのか?
それは35年間慣れ親しんできた「どうせこんなもんな私」の終了(完了かも?)です。
そう決めたら、いろんな「どうせこんなもんな私」が出てきています。なんだか最近怒涛やわ。

 

というわけで、「我慢が暴発してる」シリーズの続編「どうせ私なんてこんなもんを終わらせる」シリーズで、しばらく書いてみます。(しかし、シリーズにします〜と言ったものの、前編は大したシリーズにならなかった!)

 

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先月から、車の運転始めたんですよねー。もう、8年程ペーパードライバーなんですわ。

 

福岡に来たらそこそこ乗れないと不便かなぁと思いつつ、結局自転車での移動を重ねてきました。

 

昨年秋にふと思い立って、ペーパードライバー講習を受けたのですが、
車の世界がそれはそれは怖くて怖くて、翌日、熱出した程。微熱やけどね。

もう車なんて一生乗らなくていいよ。私はいつまでも乗せてくれる「誰か」の側に居てればいい。。。と、ヤケクソに思いました。

 

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でもやっぱり乗りたくてウズウズして来て、ペーパードライバー講習を再度受けて、そして夫を横に乗せて走りはじめました。

 

最初にペーパードライバー講習受けた時に思ったのは、

 

周りの空気を読みすぎてると、逆に危ないのなぁ。
周りの空気は読みつつ、自分の進む意思はちゃんと表現しないと。


そして、これって私が人間関係でもよく陥るアレやなぁと思ったわけです。

 

うちの父がよく、車の運転を見ると仕事の出来が分かるというような話をしてましたが、ある意味そうなのかな。

(けどその考え方は、人のことジャッジする気満々で、好きちゃうかったわ)

 

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夫に助手席に乗ってもらいながら運転してた時に、夫がこんな事言いました。

 

「でもさ、意外と相手も避けてくれるもんだよ。だって相手もぶつかったら嫌でしょ?だからみんな理性的な運転するよ。
怖いけど、そんな遠慮がちじゃなくても、もうちょっと勇気だして進んでも大丈夫だよ」と。


そっか。。。

私ってば、周りの運転手達は基本的に危険な運転していて、その上私の運転を批判してくる、怖くて恐ろしいジャッジメント達のように錯覚してました。

 

んなわけねーやん!

みんな、自分が安全に運転できるように配慮してるに決まってるやんか〜!!!自意識過剰発動か!

 

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しかし、それは私が世界に感じていることのような気がしました。


周りの人間は全て私を批判してくるジャッジメントである気がしてるかも。
気を抜いたらぶつかられる、怖くて恐ろしいものと思ってるかも。


でもさ、もしかしたら世界は私が思ってるより優しくて温かいのかも知れない。

最近は、それを知りたくて運転しているような気さえして来ました。

 

そしたらね。

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とある日、初めて1人で運転していた時なんですけど。

信号機のない、でもそこそこ通行量のある曲がり道で。
私は左折で入ったんですよ。
そしたら直進で後ろに来ていた車のに、クラクションをビビビビビーーーーと鳴らされまして。

 

え?めっちゃ離れてたやん?と思ったけど、振り返ったらすぐ後ろに居たんです。

うわぁ、怖っ!
と思ってとりあえず「すいません、すいません」と唱えながら進んでたら、次の赤信号で後ろの車の人が降りて来ました。

 

コンコンと運転席をノックされて、50代くらいのおっちゃんに、
「あんな運転したら危ないやろ!」
と怒られました。
かなり怒っている様子で。

 

少し開けた窓から平身低頭謝りましたが、ここから殴られたらヤバイなとか思いつつ、とにかくとにかくめちゃくちゃ怖かった訳です。。。

しかも青信号になってもしばらく後ろに着いてくる!(いや、進路が同じやっただけ)


ひぇー!!怖ぇぇぇぇー!
と思いながら走っている中で、ふと。

 

(私は自覚無かったけど)、ホンマにそんな危なかったのかな?
と思いまして。
確かに振り返ったらすぐ後ろに居てた訳で。

 

おっちゃんが怒って来たからとにかく怖いだけで早く時よ去れ!!と思ってたんやけど、
もしかしたら、私の運転はホンマに危なくて、たまたまおっちゃんが運転上手かったから、私、命拾いしたんやないの?

と思ったわけです。

 

ほら、下手な運転手が2人揃ったら事故が起こるっていうじゃないですか。

そう思ったら、
おっちゃんが運転上手くて良かった〜!!ありがとー!

と思った訳で。

 

ちょうどそしたら進路が変わったようで、背後のおっちゃんの車はどこかへ行きました。

 

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後から考えたら、

確かに私の運転危なかったのかもしれないけど、あのおっちゃんもかなり詰めてきてたよな。とも思えるので、

 

まぁ左折(右折)する時は、焦らず行きましょう!!!

 

というだけの話です。

 

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この出来事って、私が感じてること復習した出来事やったなぁと思うわけです。


周りの人間(怒ってきたおっちゃん)は、私を批判してくるジャッジメントで、怖くて恐ろしいもの。

 

やったけど、もしかしたらおっちゃんのおかげで命拾いしたのかも。
ほな、おっちゃんってめっちゃ優しいんちゃうのん?!


少しだけ、「もしかしたら世界は私が思ってるより優しいのかも知れない」な経験だったことにしよう。

少し無理矢理な気もするけど。

 

怖い怖いとビクビクだけしてた私から、

おっちゃんのおかげで命拾いしたのかも〜♡

と思えた事が、私は嬉しかったのです。

 

だから、結果オーライな出来事でした。

 

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こうやって、すこしづつ肝っ玉を育てて行くのだ〜!

 

 

肝っ玉オカン道は続く。 

繊細さに愛を込めて

こんちはー。

 

今さらですけど、ついこないだまでうちのピノコが「アナと雪の女王」にハマってよく観てました。しかもエルサ(雪の女王)が好きらしい。

いつもは流し観だったんですが、こないだついにガッツリ観たらですね、エルサに吐き気すら感じました。

 

むやみに怖がって被害者丸出しで閉じこもってんじゃねーよー!

「ここでは独りだけど、自由に生きられるの」て。最も身近で大事なアナ(妹)の呼びかけにも頑なで、その態度が人を傷つけるんだよー!

でも、てめぇの魔法は人や自分を傷つけるためだけのものじゃない、人に喜びを与える為にも使えるんだよ!

 

 ※ちなみに、エルサ(雪の女王)は、雪を生み出す魔法の力を生まれ持ちました。その力を使って、部屋をアイスリンクにして妹のアナと遊んでいるとき、うっかりコントロールを失い、アナの頭を雪で傷つけてしまいます。

この出来事を期に、アナや人を避け、部屋に閉じこもるようになりますが、魔法の力はどんどん増し自分でコントロールできなくなってました。

その後、とある出来事で感情的になったエルサは、お城の街を雪と氷に包むまでの力となり、自分は山奥に引きこもります。

 

なんで吐き気がしたのか。

それはエルサに、ある種の私を見たのかも知れないなと。

 

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うちのピノ子5歳。もう自意識が芽生えていて、「人にどう見られるか」が気になって動けない時とかもよくある様子です。

とても傷つきやすくて繊細で怖がりちゃん。

だけど、人を傷つけることはしないし、明るくて、人の気持ちの分かるとても優しい女の子なんですよ。

 

先日、お友達の家にピノ子が自分のお小遣いでお菓子を買って持って行きました。

きっと、お菓子を自分の手で開けて、自分の手でみんなに分けることをイメージしながら買ってたんやと思います。

だけどお友達はそんなこと知らないしね。

ピノ子が持って行ったそのお菓子は、お友達が開けてお友達がみんなに分けて、残ったお菓子を自分の引き出しに入れちゃいました。

 

お暇する時に、ピノ子がヒソヒソとその話を私にして、それを聞いていたお友達のお母さんがお子さんに話をしてくれて、残ったお菓子を受け取って帰りました。

 

ま、それで一件落着やったんですが、翌日になってピノ子がまたその時の話を私にしてきたんですよね。

 

そっか、そっか、と話を聞いて、

で、どう思ったん?どうしたかったん?

 

とか一通り話した後、

「ピノ子、返して欲しかったんやったら、返して欲しいって言うたらええんやで」

 と言った私にピノ子が、

 

「言ったもん!言ったもん!だけどね。。。」と目に涙を溜めてこっちをジーっと見ました。

 

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言いたい事あるなら、言えばいい。

したい事あるなら、すれば、言えばいい。

子供やねんから、無邪気に素直に表現すればいいのに。って思ってる私。

 

でも、涙を堪えてジーっとこっちを見るピノ子に、ハッとしました。

 

これって、私がいつも私を責める時に言ってる言葉やなぁ。

相手や自分を傷つけたくないとかいろいろで、その場で思った事をつい飲んでしまう自分を、「また弱虫やった」「意気地なしやった」と責めている、私。

ずっとずっとあるなぁ。

 

 

それでピノ子に言いました。

「返してって言ったけど伝わらなくて悲しかったんやなぁ。でもさ、言えなくても言えても、ママはそんなピノちゃんが好きやで」

 

 

言えなくても、別にいいやん。

言わなくて、いいやん。

そんな私でもいいやん。

そんな私でも丸ごと好きで居ていいやん。

 

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このブログを始めて、「肝っ玉オカン」というのは何なん?とよく考えるようになりました。

 

大らかで、いつも笑ってて、何かあっても「まぁええか」、「そっか」と言えて。

肝っ玉オカン考 その1 - 肝っ玉オカン道

そっかの魔法 - 肝っ玉オカン道

 

それがまさにそうなんやけどね。

私が目指してる肝っ玉って、私のこの繊細さを大らかに受け容れられることなんやないかな。

 

 

人の目が気になって、細かいことに目が止まって、1つ1つ理解しないと進まなくて、怖がりで、自意識過剰で。

 

そんな自分がバレないように、明るくてふわふわ〜とした着ぐるみかぶって、心を読まれないように周りに気を配って、相手の反応を1つ1つ気にして生きてきたよ。

おかげでとても我慢強くなり、何に我慢してるのか分からへん程に自分を抑えて生きてきてしまった。

 

ずっと自分の繊細さを否定してきたし、繊細で、生きにくいことたくさんあった。
やから、大らかで在りたい在りたいって思ってたけど、繊細さを大らかの上塗りがしたいんやない。

 

でさ、私の繊細さってホンマに隠す必要があるのかな?

 

エルサやないけど、

それは他人を傷つけ自分が傷つくだけの能力やないはずやん?私の繊細さは、私の才能でもあるはずやん?

 

もしかしたら、明るくてふわふわの着ぐるみの中に引きこもらなくても、私は私の繊細さを活かして人を喜ばせ、自分を活かし生きる事もできるんやないかな。

 

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繊細なピノ子。

臆病者とも言えるし、怖がりとも言えるし、根性なしとも言えるけど。

でも、とっても優しい頑張り屋さんなんやって。

そう思えたとき、幼い頃の私が癒えた気がしました。

 

 

だから私はね、

私の繊細さを、「それでええやん」って認められて、「そのまま表現しても良いよ」って見守れる、

そんな私の肝っ玉オカンで在りたいなと思ってます。(怖いけど)

 

 

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いつも私を見せてくれる2人。

 

  

肝っ玉オカン道は続く。

私って何をそんなに我慢してるのか

こんにちは。

 

先日、満月やったらしくて、曇り気味でしたが雲の隙間からピカピカの満月が見えて、美しさに魅了されました。
月を見る永遠にも感じるあの時間がだいぶ好きです。
独身時代は頻繁にしてた、夜の散歩もそろそろ復活したいなぁ

 

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こないだシリーズで書くと宣言したやつ「我慢が暴発してる」の続きです、

お待たせしました!(え?待ってないって??)

 

このごろ、ピノ子にやたらとガミガミしていた私。

こないだ暴発したきっかけは、お昼何食べるー?でした。

うどん食べたい私と、ラーメン食べたいピノ子。(というより、最近のピノ子はママが食べたい物には首を縦に振らないという天邪鬼が見え隠れしてます)

 

何やらかんやらごちゃごちゃ話した結果、

「じゃあ、ピノ子が我慢すればいいんだね?いつもママのしたい事ばっかりして、ピノ子はいーーっつも我慢ばっかり。ピノ子ばーーーっかり我慢してる〜」

と叫ぶピノ子に、ブチーーーン!となりまして。

 

いつもママが好きな事ばかりしてるやとぉー??こちとらいつもいつもどんだけ我慢してくさってると思っとるねん!!うぉー!がぉー!

 と。ま、そんな感じになりまして。

 

しばらく冷静になったあと。

年端もいかない大事な娘に怒鳴り散らす程、一体私は何を我慢してくさってるのだろうか。。。と思いました。

 

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私の中では、漫然とした閉塞感は確かにある。

子供と過ごす毎日は、それなりに充実はしてるよ。いつでもってわけではないけど、それはそんなもんやろ?

夫は、よく稼ぎよく家事や子育てをし、そして私を大事にしてくれる。

 

ねぇ、私は、私に一体何を我慢させてるの?

 

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ある日、街に1人で出る機会があって。

ウィンドーショッピングやらなんやらしながら、ふと目に入った黒のワイドパンツ。試着したらサイズもいいし形もステキ。

 

鏡に映る自分を見ながら、

「でも自転車乗れへんよなぁ」とか。

「どうせ公園行ったら砂で汚れるよなぁ」とか。

「でもこんなワイドやったら何かの時に走られへんよなぁ」とか。

「どうせ幼稚園の送り迎えしかない毎日やからなぁ」とか。

 

とか。とか。とか。

エンドレスに、この気に入ったパンツの「でも」と「どうせ」が頭を流れて来てるんですよね。

 

そっか。

この「でも」「どうせ」の頭の声に支配されて、好きな(着たい)服すら私に着せてあげられてないのかぁ。

 

そしたらね、私の日常は「どうせ」「でも」で溢れていましたわ。

 

どうせ幼稚園行くだけやから、軽めに化粧しよ。

どうせ公園行って汚れるだけやから、汚れても良くて走れるジーンズとボーダーのTシャツ着とこう。(実際自分のクローゼットにボーダーとジーンズだらけでゲンナリするで、しかし)

どうせ誰に会うでもなし、オシャレにしてもしゃあないか。

ちょっとええとこでゆっくりご飯食べたいけも、でも子供達連れては行かれへんし。

外食したいけど、でもお金かかるしやめとこ。

 

「どうせ私なんて」という悪魔の言葉が私を制限してる日常で。

 

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結局、頭の中の「でも」「どうせ」をかき分けて、黒のパンツを買って帰る道すがら。

 

あ、そいや鍼灸行くときこれ履こう。

次の伊泉先生の講座の時これ履こう。

というか、用事ないけど週末これ履いて街に出よう。

 

と思えたら、じわじわ泣くほど嬉しくなって来ました。

 

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私の日常が私を制限してるんじゃないよ。

私が私を「どうせ」な奴にしてしまってるんやなぁ。

 

でも、私は私の「どうせ」に耳を傾けて、その上で私が喜ぶことを選んで生きたい。

ちょっとずつ、ちょっとずつで大丈夫やから、私。

 

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「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇」

 

これチャップリンの名言。最近めちゃくちゃ沁みますわ。

私の我慢が暴発劇場は、この言葉に集約されてるなぁ〜。

 

すごくたくさんのいろんな要素に縛られて動けない、閉塞してる気になってるけど、離れて見たら「どこが?」って事なんやろ、多分。

 

笑っちまえるようになりたいなぁ〜。

 へへへ。

 

そして人生にはユーモアが必要なんだと強く想う。

 私の幸せは、状況に依存しなくてもいい - 肝っ玉オカン道

  

 

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まだまだ我慢のタネが続々。シリーズは続く。

 

 

そして、肝っ玉オカン道は続く。 

今日の分の「悲しい」を味わって生きていきたい

こんにちは。

もう2ヶ月以上前に観た映画のレビュー記事をアップせずに残してたので、

せっかくなので追記してあげようと思います。

鮮度大事と言ったものの、この記事読んでじわじわまた染みたりしてるからヨシ。

 

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久々にブログを書きたくなったのは、

とてもとてもとても美しくて切なくて苦しい、そして優しい、映画の名作を観たからです。

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー

 映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』公式サイト

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苦しくて、悲しくて、やるせなくて、申し訳なくて、堪らなくて、どうしようもなくて、そして心を閉ざした1人の男の話なんですけども。

 

これは、私の今後の人生に残る映画である と言えます。

最近、そんな映画との出会いが多くて幸せです。(以下ネタバレ的なこと書くかも。)

 

 

この映画を観て思い出したことがあります。それは、高校の時私を救ってくれた歌の歌詞です。

 

苦しくて 悲しくて 辛いことばかりなら

あきらめて構わない 大事なことはそんなんじゃない

岡村靖幸 「あの娘僕がロングシュート決めたらどんな顔するだろう」

 

自意識ばっかり過剰で、人の目が怖くて、居場所がなくて苦しかったあの日々。

諦めることも続けることもできなかったけど、寂しくて辛くて苦しい私にそっと寄り添ってただ居てくれる歌でした。

 

こんなことを言ってくれる大人がこの世界には居るんだってだけで、あの頃の私は救われた気がします。

 

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー

もそんな映画でした。

 

苦しくて悲しくて申し訳なくても、そんな自分でも、そっと寄り添ってくれる。

ひとは、必ずしも向き合えない傷があっていいんだよと。

 

苦しみ苦しみ尽くした結果、「向き合えない」と絞り出した言葉に、救いも赦しもないけど、じわじわとこみ上げる癒しがありました。

 

なんて優しい映画なんだろう。

 

向き合うことばかりが解決じゃないな。そして、受け容れることばかりが方法じゃない。

向き合えないことに、向き合えないと諦めることに、どれほどの勇気が必要なんだろう。

 

苦しくて 悲しくて 辛いことばかりなら
あきらめて構わない 大事なことはそんなんじゃない

私は子供たちに何かあった時、こう言ってあげられる親でありたいし、

そして私は私自身にもこうありたいと思うわけです。

 

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以下は追記です。

 

先日から、身体のメンテナンスに通い始めました。

受け容れる器のある鍼灸師さんで、知識も経験も豊富で、その方と話しているとふと心が開いていたりします。

きっとそれがきっかけやったんですけどね。

先日施術の後、自転車漕ぎながらふと口ずさんだのは、

 

川村結花「歌なんて」

信じられない悲しみに ある日突然に出会った

信じ続けてきたもの ひび割れて粉々に壊れた

歌なんて 歌なんて 何の役に立つものか

 

この夜を越えて行きなさい この川を渡って行きなさい

信じ続けてきたのはあぶくみたいな
まやかしみたいな そんな言葉 

歌なんて 歌なんて何の役に立つものか

歌なんて 歌なんてただの絵空事じゃないか

 

気がついたら鼻水垂らして嗚咽上げるほどに泣いてました。

道端で。(人が居なくて良かったー。サングラスしてて良かったー。)

 

そして父が亡くなった事、改めて想いました。

あぁ、もう二度と会えないんやなぁって。そしたらめちゃくちゃ悲しくて、寂しくて、また嗚咽上げて泣きました。

 

父が亡くなってから、何やらかんやらがいろいろあって怒涛の日々だったりして、

もしかしたら、しっかり悲しめてなかったのかもなぁと思いました。

 

 

川村結花さんが「歌なんて」についてこんな事書いてました。

歌なんて|川村結花オフィシャルブログ「日々のサビ」Powered by Ameba

 

以下抜粋

「悲しみは、乗り越えてゆくもの」だと思ってた。
わたしはずっとそう思ってた。それしか知らなかった。
乗り越えようとして、乗り越えて光に変えようとして
もがいてもがいてそれでもかなしみはいっこうに消えなくて
それでもあらがってあらがって越えようとして
5年前のある日「できない、無理だ」とー、降参したのです。
そしてわたしは、生まれて初めて知ったのです。
「抱きしめてゆくかなしみもある」ということを。
そのとき、わたしのすべての景色が変わりました。

 

 

もう亡くなったんやし、もう二度と会えないのは変わりない。

まぁ、子にとって親が亡くなるのって、ある意味順当な出来事やし。

それでもやっぱり悲しいし、悲しんでいいよ。

 

今日の分の「悲しい」をしっかり悲しむ毎日を生きていたい。

そう思いました。

 

 

いい映画、いい歌、大好き。

 

 

肝っ玉オカン道は続く 

罪悪感の幻肢痛

こんにちは。

 

それでね、予定通りコボちゃんを託児所に預けてきました。

そうです、用務員さんが欲しいんです - 肝っ玉オカン道

 

別れ際ちらっと泣いたけどね、10分後にはニコニコで、おもーっきり遊んでたみたいですわー♡

粘土捏ねたり、少し年上のお友達にくっついて言葉を真似してケラケラ笑ったりして。

お弁当も綺麗に食べてきてくれました。

 

家に帰ってもニコニコで、「たんしかったー!」と。

一回り男前になってましたよ。

 

 私はというと、

ついつい貴重な時間やから張り切って海辺のカフェでも行くか?と、

「せっかくやから」な、時間を過ごしそうになりましたが。

 

すぐに思い直し、

家でスタバのラテ飲みながら、大好きな「テラスハウス」を観る時間に変更。

(ちなみにスタバのラテは蛇足やったなー。飲みたかったわけではなく、「せっかくやから」感で選んだから、かもな)

 

テラスハウスを観た後は、布団でゴロゴロ。

とにかくゴロゴロ、ウトウトして過ごしました。

 

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結論。

なんかね、フツーーーーやった。

 

1人っきりの時間を過ごしたい!!!につきましては、

前日早く帰ってきた夫に晩御飯から寝かしつけを任せて、1人っきりで外出して外食して、海まで行ってぼーっとして。。。的な、ゴールデンタイム過ごしてたもんで、実は感動ってそんなになかったわ!

子供達と過ごしている時の、自由で居られないと思ってる時間が、自由時間のスパイスになってるよねぇ。

 

 

で、離れ際泣くコボちゃんに、やっぱりかわいそうかな?とか。ごめんねとか。

コボちゃん預けてテレビ見て布団でゴロゴロする罪悪感とか。

そうそう!これこそ私の過ごしたかった時間よ!といった充実感も。

 

どれも別に無かった。

 

なんか、あんまりにも当たり前の日常の一コマでした。

ちゃんちゃん。

 

で、思ってんけどさ。

まだ1歳のコボちゃんを人に預けて、自分はダラダラ過ごすなんで良くないことだ!

という、自分の思い込みの枠を超えた挑戦!的な、カンブリア宮殿的な そんなていでしたけど。

私にはその壁、とーっくに無かったんかも知れないなぁと思いまして。

 

例えるなら、幻肢痛みたいな。

もう無いのにあるものとして痛んでただけ。

とっくに無いハードルを越えるために足思いっきり上げたけど、するっ?あれ?的な。

 

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だってさ、ピノ子を今の幼稚園に預ける時に散々向き合った傷でしたよ。

 

当時コボちゃんを妊娠中。

3歳のピノ子の相手を毎日1人でするのも苦しくなってきてたし、産前産後どうするかという問題もあって。

3年保育の幼稚園ではなくて、その前1年多く預かってくれる幼稚園にが近くにあって。

 

でも、1年も早く預けていいものか。

ピノ子に寂しい思いをさせるんじゃないか。

仕事してるわけでもない、自分が家に居るのに子供を預けてもいいのか。

本当に安心して預けられる場所なのか。

 

その事を考えるととにかく涙が出てきて感情が揺さぶられて仕方なくて冷静に考えることもできない。

というか、頭ではいいことだろうって分かってるけど、心がまーったく着いてこない。

 

その時は、夫婦で何度も何度も話合って、自分を整理するために個人セッション受けたり、サイコロ振ったりもした。

 

自分の幼少期の寂しさや、自己価値の低さみたいなものに向き合って、

勇気を振り絞って振り絞ってピノ子を幼稚園に預けたんでした。

 

結果、預けてお互いにとって本当に良かったと思えている、大満足の選択やったわけで。

 

その時に私、ハードル越えてたやん。

 

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それでさ。

罪悪感多めのタチという自覚はあるのですが、

今回みたいに、実はもう無いのにあるものとしてる罪悪感が意外とあるのでは無いか?

 

もう無い罪悪感を撫でてることで、

動けなくして、幸せで在ることを選べてないって、あるのかもな。

 

鮮度、大事。

何かしらの反応がでた時に、それってホンマか?的な細やかに見ていこうと思ったわけです。

 

あと、大げさ病も注意 笑

気づきたがりすぎてやしないか?

 

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そんな訳で、

時折はコボちゃん預けてフツーーーーにゴロゴロする時間取ろうと思います〜!

 

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お弁当2つ作るの楽しかったなぁ。

空っぽのお弁当洗うのって幸せ。

 

 

肝っ玉オカン道は続く 

そうです、用務員さんが欲しいんです

こんにちは。

しばらく、「我慢が暴発してる」シリーズで書いてみたいと思います。

 

何を隠そう(隠れてないって)、それはここのところの私です。

「暴発」が一番ぴったりはまる、自分でもいつ爆発するのかわからない爆弾を抱えてる気分でした。(過去形でええかな?)

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先日作った万華鏡。想像以上に魅了されてます。

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先日の私の誕生日に於まして、夫と一悶着があったわけです。

誕生日やったんですよ。 - 肝っ玉オカン道 

 

夫は、私の誕生日にとある企画を考えてくれていたんですが、その企画が私には魅力を感じられず、気持ちが乗らない。

その様子を見た夫が、とてもがっかりして私に言いました。

「あなたはどうせ、僕に用務員さん(家政婦兼ベビーシッター)を求めてるんでしょ?」

 

それを言われてから私、ずっと苦しかったんですよね。

 

だって。

あまりにも図星過ぎたから。

 

そして狼狽しました。

これが「バレたら終わる」と思って。

 

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夫のこと大事に思ってるはずやけど、用務員さん(家政婦兼ベビーシッター)としての要素が強くなってるのは確か。

 

こんなんじゃぁあかん。

夫婦ってそんなんやないやろ?

「便利な人」やったら夫やなくてもええやん。あかん、あかん。

 

と、見て見ぬ振りして、いい子ぶって、夫のことがとても大事で大好き的な空気醸してたんですけど。

 

先日、ピノ子に私の我慢爆弾が暴発して、
もうこのままやったらあかんわと思い、降参して夫に伝えました。

 

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正直に言うと、

あなたが居ないと不便で仕方ないねん。
今は、「寂しい」より、「困る」が強い。
もっと家事やら育児を私の代わりにやってくれる時間が無いと、私は暴発してやばい。。
確かに、あなたに用務員さんを求めてるわ。

そして図星過ぎて参りました。

 

と伝えました。

 

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ここんところ夫は仕事や資格試験やら友人の結婚式やら、忙しくて不在気味。

 

そして1歳コボちゃんの成長著しく、5歳のピノ子の成長も著しく、1人で子供2人の世話をこなすことに限界きてました。
(とはいえ夫は遅く帰って来ても洗い物があれば洗い、洗濯機を回して干してくれる、なかなかの家事育児に参入してる、夫ではあるんですけど)

 

いやこれは、もしかしたら、ピノ子が産まれた5年前からずーっと積もり積もってる、ある感覚が暴発してるだけなのかも。
いやこれは、言うならば、今まで生きてきてずーっと親しんできたある感覚が暴発してるとも言えるか。

 

それは、
どうせ私が 我慢すればいいんでしょ?
私ばっかり我慢させられてる!
私の人生には自由が無い。

ってやつ。被害者意識にどーっぷり浸かってるやーつ。

 

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しかしながら、言ってしまったらとてつもなく楽になりました。

夫は優しく聴いてくれました。
傷つけてしまうかも知れないと思ったけど、夫はすんなりと受け容れてくれました。

 

その後は、早く帰ってきたら「用務員さんが居てくれて嬉しいわ〜♡」

という軽口が叩ける程に気安くなりました。

 

そしたら不思議なもんで、 

夫が居なくて子供の世話が大変、大変。私ばっかり、私ばっかり、私ばっかり、私ばっかりしてて、夫がしてくれてないってことで世界が溢れ返っていたのに。

 

話をした後は、

夫がしてくれてること、夫がしてくれようとしてること、その元にある私を大事に想ってくれてる気持ち、なんかが私の世界に現れ始めましたわ。

 

そしたら、私の中にある夫を大事に想う気持ちも見えてきた。いわば、世界が見違えているわけです。

 

そんな翌日は、夫は急遽予定が変更になって早く帰ってきてくれたりして。

おかげで私は、ここのところずーっと取れなかった念願の、1人でふらっとカフェ的な時間を過ごせたりしているわけです。

 

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それはさておき、どう足掻いても夫は昼間仕事があるわけで。

 ピノ子は幼稚園行くけど(ちなみに今は夏休み)、コボちゃんはずーっと一緒に過ごすわけで。

 

まだまだ手のかかるお年頃。

もちろん可愛くて仕方ないけど、私が私のペースで1日を過ごす事は難しい。

 

好きな時に起きて、好きな時に寝て、好きな時に好きな本を読み、好きな時に好きなテレビを観て、好きな時に料理をして、好きな時に食べて、好きな時にトイレに行くことすら、、、私には叶わないんじゃい!!!!

一日中「見てー」に付き合い、消防車見学に付き合い、ご飯食べさせ、こぼしたご飯を拾い、机と床を拭き、オムツを替え、汗かいたらシャワーを浴びせ、求められたら絵本を読み、あっという間に散らかる部屋にうんざりして、、、

 

とにかく早く寝て!早く寝て!早く寝ろぉ!と頭の中で呪いの言葉を唱えてる毎日。

大好きな可愛い可愛いコボちゃんやのに、イライラしてあたり散らしたり、離れてくれることばかり考えてる。

 

この目の前の現実はどうする?

うごー!!!

 

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と言うわけで、託児を利用してみることにしました。

これは私にはかなりハードルが高い挑戦でした。ある種の強い思い込みで罪悪感が滲み出てくる。

これについてはまた次か、次の次にでも書きます。

なんせ、シリーズにすると宣言したもので。

 

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託児に預ける件は、夫も賛成はしてくれましたが、

「で、1人っきりで何がしたいの?何かしたいことがあるの?」

と聞かれて思いました。

 

とにかく1人っきりで道を歩いて、1人っきりでぼーっと過ごす時間が欲しい。

自分のペースで買い物をしたり、自分のペースで1日を過ごしたい。

子供の世話から解放される時間が欲しい。その隙間ができないと、次に何がしたいなんて出てこない!もう、とにかくゆっくりしたいんやー!うおー!

(ま、次に何がしたいか出てるかどうかなんて副次的なものやし、どっちゃでもええんやろけど。)

 

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明日は、初めてコボちゃんを預けてきます。

用事なんてないけど預けるというのが私にはかなりチャレンジなんですよね。ピノ子の時にはできなかった挑戦。

 

昨晩コボちゃんを寝かしつけしながら、大丈夫かな?寂しい思いさせないかな?本当にこんなことしてもいいのかな?

と胸の中で思ってたら、

 

寝入りのコボちゃんが、

「そうだ。しんぱい ない ねぇ」

 

と、呟きました。何度も。

初めて聞く単語やったので、驚いてコボちゃんに、

「え?ママに言ってくれたん?」と聞くと、微笑んで寝ました。

 

コボちゃん、こういうことよくあるんですけども。

私が挑戦すること、信念のしがらみから自由になろうとすることをいつも応援してくれる、とても優しい我が子。

 

だから勇気出して預けて、勇気を出して思いっきり1人の時間を堪能しようと思います。

 

 

肝っ玉オカン道は続く