1年間走り続けたピノ子
ピノ子の運動会が終わりましたyo!
去年の運動会は、ピノ子ちゃんは「かけっこうまく走れないから。遅いから。」と、練習期間が始まった途端に憂鬱で憂鬱で登園拒否とまでなった曰く付きの(笑)運動会やったわけです。
これ↓
とはいえ、ひとりで乗り越えて行くピノ子を見せてもらって、私はめっちゃ感動してました。
ピノ子は、去年の運動会終わってから「来年のリレーに向けて毎日走る!」と言い出し、幼稚園の行き帰りに走るようになりました。春に名古屋に来て、新しい幼稚園に変わったけどその習慣は続いてて。
そして迎えた今年の運動会。
ピノ子からは、かけっこもリレーもやりたくないというような発言は1回もなく、とてつもなく前向きな気持ちで迎えた運動会でした。その上、開会宣言を言う係を立候補して、毎日お風呂で大きな声を出す練習をしてました。
実は、かけっこはそないに早くなったというわけではなくてね。結果は、真ん中くらいやったかなぁ。
でも、ピノ子はその結果に全くめげてませんでした。ピノちゃん遅かったね!と自分で言うくらい。
ピノ子にとって、「1年間走った」っていう実績と、その達成感が自信となって、結果なんてどうでもいい境地になってたんですよねぇ。
すんげーな、と思いましたよ。感心しかなかったですよ。もはや尊敬だわ。
1年走ったっていうことがやっぱりめっちゃすごい。もちろん暑くて寒くて休む日もあったけど、休みながらも結局は1年続けた。そして前向きに運動会に向き合えた。
この達成感って、自分で決めて遂行したからこそ得られたもので、変えがたい宝物よなぁ。ピノ子を通して私も達成感のおすそ分けもらっちゃったなぁ。
すげーなー、ピノ子。
あとね、子育てって今が永遠では絶対無いって事ですよねぇ。
去年は、毎年運動会のたびにこの憂鬱な日々なのかぁ、と思ってたけど。
ピノ子は日々着々と育ってて、私も日々着々と変わってる。だから安心してもいいってこと。何があっても、まぁ大丈夫なのだな。
来年はどんな運動会になってるやろなぁ。
ピノ子師匠、おつかれさまでした!
⑤バリバリ褒められて上等
ちょっと前に夫と話をしていてふと、
「私だって褒めてほしい。子供達が元気に生きて過ごしてること、普通に家庭を営めてること、当たり前じゃないんやで。
私が居てるおかげだよ、子供達はおかげでいい子に育ってるよ、いい家だよ、ありがとう、よくやってるよ って、そう言って褒めて褒めて私の母親業にOKを出して欲しい。これでいいのかって、不安で不安で毎日やってるんやから」
そんな私の心細い本音を聞きながら、私もビックリしました。私、そんな風に思っていたのか。
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毎日毎日子供達の「ママ見てー」に付き合って、成長を褒めて。
夫が仕事に行って帰って来てくれること、普通の毎日を営めることにありがとうと伝え、時折夫に私はガミガミばかり言って全然褒めない!と言われ。
あー、そうだよねぇ。「当たり前」になってたらあかんな、充分以上に過ごせてること忘れないようにしなきゃ!と、自分を説得して「感謝してる風」な毎日過ごしてました。。。ヤバイやろこれは。
私は外側のことばかり「当たり前にならないように」と、自分を注意深く制して、人のことばっかり褒めてたけどさ、ほんまは、私がやってることを認めてやりたかったんやなぁ。
私のしてることなんて、毎日褒められるようなことではなく、「当たり前」のことだと思ってしまってたわ。
もちろん夫にも言って欲しかったけど、それより私が私にもっともっとOK出して欲しいことなんや。
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休日に子供を連れて公園に行く夫を目撃した人から、「お父さん偉いねぇ」って言われたり、ぐずる子供に寄り添う夫を見た人から、「お父さん優しいね」と言われたり。
そのたびに、言語化できない違和感があって返答に困ってたのよ。
今、初めて言語化すると、
「はー?それ、私がいつもやってることなんですけどー!なんで夫がしたら「えらいねー、優しいねー」で、私がしてても当たり前のことやねん!」だわ。
世の中、お母さんがやってることが「当たり前」になりすぎてるんや。私もそのムードに流されてしまってたわ。
私は私がやってることは当たり前と思いません、めっちゃえらいし、優しいし、素晴らしいことを毎日毎日、それこそコツコツとやり続けております!!ブラボー!
私さえそれを認めてたら、これから同じように言われても「そうやねん、ありがとう〜!」とスカッと言える!
そして、「私もやけどな、ふっふっふー」と心の中で思おう♡
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夫にぽろっと本音の出た日から、寝る前に今日1日をOKする時間を取ってます。毎日のほんの些細なことばっかりで、それがいい。
とは思うけど、自分の思う以上に完璧主義な私は、一言一言に引っかかる。んで、引っかからながらもOKしていくと、なんか自分の完璧主義加減に笑けてきますわ。まぁそれでもいいや。
今日も私、元気に生きた!
今日も夫と子供たち、生きてる!
いい子に育ってる!
子供達は何も心配ない、大丈夫、大丈夫。
布団めっちゃ気持ちいい!
よし、サイコーだ。寝る。
あとは、目の前の子供達を見よっと。
頭であーだこーだ言ってずに、とにかく手と身体動かして、イライラする自分を感じつつ、鬱屈してくる時間も過ごしつつ、金木犀嗅いで、身体ヘトヘトで、今日もよくやりきった!的な1日を過ごしたい。
のです。
のです。
のです。
(多分)終わり。
④家庭を創りたかった
この続き。
別に違う属性にこだわらず、話のできる子育て友達ができたら良くない?私の日常は子育てが占めてるわけで。ほんなら、趣味・考え事の子育て友ができたら面白いやん!
子育て方針とか、子育てを通してどうやって自分と向き合ってるの?とか、井戸端トークじゃ話さない、人生や心にまつわる子育て話を聞いてみたい。そんな場を作ってみるのも面白いかな!
せっかく転勤してきてある意味全国にママ友がいるんやから、興味のある人集ってオンラインでやってもいいし、まずは名古屋でリアルでもいいかも。
そんなことを考えてました。(考えてる時間めっちゃ楽しかった)
あと、町山智浩さんの映画解説を聴いた後に、その映画を観る会をしたい☆余談。
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それから数日して、明け方早くにふと目が覚めると、横で夫も目が覚めていて。ほんならちょっと話聞いてほしい!と、ここ最近思ってることを立て続けに話しまくりました。
ピノコを妊娠してからもう7年間も私ではなくママとして生きて、それがほとほと窮屈になってること、家や転勤に縛られてる感覚で身動きが取れないこと、最近は子供達と離れたいということしか考えていないこと、子供達の世話にほとほと疲れ果ててること、なのに日々孤独で苦しいこと、とてつもない閉塞感に苛まれてること、戦場の感覚で外出してること、すでに引っ越したいと思っていること。
来年から入る幼稚園が決めきらないこと。また1から幼稚園生活するということにうんざりしてること、保育園に入れたいけど自分がどんな仕事をするのか想像もつかないこと、そもそも入れる気がしていないこと、仕事を始めるならそれはそれで不安だということ。
大学生のお友達ができたこと、いきなり人生の話ができて最高にJOYだったこと、はじはたさんと鶴見さんのトークショーに行っていろんな人と話してお母さんじゃない私を少し取り戻したような気がしたこと、同じ属性じゃない人と関わって喜び溢れたこと、はじはたさんのようにお金じゃなくて人がリソースになるようや生き方に憧れること。そして薄っぺらい井戸端トークじゃなくて、人生や心のことを話せる人間関係が欲しいということ。とにかく孤独で閉塞感があるんやーーーー!!!
そんなことをゴジラが口から火を吐くように話して、
夫はとても興味を持って聞いてくれました。そして、
「そんなに孤独感があったなんて知らなかったよ。新しい場所に来て幼稚園のお友達を作って楽しそうにしてると思ってた。そして休みの日に子供達を預かって、やっちゃんのフリータイムを作っているから、やっちゃんは満足だろうとしか思ってなかった。最近そういう話もできなかったもんね、気付かなくてごめんね」
それ聞いて「ええええー!!」と思いましたよ。何がって、私に。こんなに日々囚われてる思考なのに、全然伝えてなかったなんて!きっと、本音は言ってなかったんやろうなぁ。私がどれだけ大変な思いしているのかってアピールしかしてなかったのかもしれない。被害者満開で、夫も聴く耳閉じてたのかもなぁ。
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はじはたさんが、結婚したいと思う前に子供を産み育てたいと思ったからそうした、それだけやで。って言うててね。私はどうやったのかなぁ?と思ったんです。
私、「家庭」を創りたかったんですよ。(「家族」というのとはちょっと感覚が違う)いや、家庭創りに「挑戦したかった」という方が合ってるのかも?
私は私が育った家は安心できる場所じゃないように感じてたから、ほな独立して、人と一緒に、新たに家庭という最小単位の安心できる居場所を「欲しかった」のではなく「創り」たかった。そうやったよねぇと思い出しました。
それなら、夫が転勤族であった理由というのも何となく理解できます。どこに住んでても、外側の環境がどうあっても、家庭が安心できる場所なのだったら大丈夫。そういう家庭の創造の挑戦を今もいつもしてるのかも知れないなぁとすら思いましたよ。
だからこそ転勤による環境の変化に潰されて、家庭までも安心できる場所ではなくしてた。本末転倒でしたわ。家庭を私の基盤にしたかったんちゃうの?
履き心地のいい、足に合う靴を履かないと、外に出かけられないよね?そんな感じ。私は、靴が窮屈だから外に出かけられなーい!と喚いていたけど、それなら靴を見直そうよ。私は靴職人だったじゃないか!的な。(この例えイマイチか)
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夫に話をした途端。
話ができる会したい!とか、違う属性の友達ほしい!とか、仕事したい!とか。そういうことがプスンと抜けた感じがありました。あと、今の家が何となく気に入らなくて引っ越ししたいと物件情報ばかり見てたけど、それもまずはここが安心できる場所になってからでいいのかもと思えました。
隣に共に働く一級の靴職人が居たのに、外にもっともっと良質な靴職人がいるのではないか?でも今の靴が合わないから出かけられなーい!的な喚きだったのか。(靴例え、まだする)
なーんや、夫に聴いてほしかったんやんか。。。
それが分かったら、あれだけ離れたいと思ってた子供達だけど、「私、もうちょっと子供達のこと、見てよう。」そんな風に思いました。
そしたら来年から行きたい幼稚園も明確になったし、仕事するならするでいいよね、その時また考えたらいいし、焦らなくていいよねって思えた。
走るピノ子の横顔に流れる髪の毛を見て嬉しくなって、モチモチの肌のコボちゃんを抱いて優しくなって、3人で金木犀の香りを嗅いで秋を感じ、トイレに成功したコボちゃんの成長をみんなで喜び合う。
新米の美味しさに歓喜し、振り返ったら部屋がご飯粒だらけでうんざりして、広がったプラレールを踏んづけて悶絶して、マシンガンぶら下げながらの買い物を綱渡りでこなし、お弁当作ってる途中にもらしたう◯ちの片付けをしないといけなくて、1人の時間が欲しーと天に叫ぶ。
そんな時間も、まぁええやん。と思えたんですよね。
そんなわけで。私の子育てしながらの日常はまだ続くけど、イライラしながら、時折幸福に満ちながら、その都度その都度、深呼吸して心地よく居れるように選択しながら恐る恐るでいいから進みたい。
ダー!!!
つづく。
③いざとなったら、、、
この続き。
その翌日は、櫨畑敦子さんと鶴見済さんのトークイベントに行ったんです。(この記事長いよ。でも読んでほしー♡)
櫨畑敦子(はじはた・あつこ)・・・『ふつうの非婚出産―シングルマザー、新しい「かぞく」を生きる』著者
大阪在住のシングルマザー。労働者兼養育者。「結婚しないで出産したらどういう子育てのやり方があるか?」を模索し、2017年に「積極的非婚出産」を果たした。現在、大阪市内の路地にある古い長屋で友人たちと第一子を養育中。
鶴見済(つるみ・わたる)・・・『0円で生きる―小さくても豊かな経済の作り方』著者
フリーライター。共同の畑や0円ショップなどで無料経済を実践しつつ、社会不適応者たちが生きやすいオルタナティブを広げることをもくろむ。頑張らず、少なく稼いで、稼ぎを公平に分け、のんびり生きられる社会がいい。日本独特の集団主義、同調圧力も嫌悪。
トークショーと言えど、2人と参加者の距離感がとても近くて、お互いの死にたいとか消えたいとか、生きづらさの問題とか、大事な人に自殺したいと言われたら何と言うかとか、家族は閉じてて長いコミュニティだとか、経済じゃない循環システムの話とか、そんなことを素直に問い合えるような場で。
共同体の中で子育てしてる方や、ほかのお母さんとルームシェアして子育てしてきたお話なんかも聞けて。それはそれはとても貴重な時間でした。
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正直に言うと、鶴見済さんのこと何も存じ上げず参加したんやけども。話の流れで「完全自殺マニュアル」を書いた方だということが分かって。
私、中学の時に読んだんです。それはそれはとても衝撃を受けたし、内容を未だに鮮明に覚えてます。でも読み切らずにはいられなかった当時。その「完全自殺マニュアル」を書いた意図を話してくださいました。
「いざとなったら」いろんな方法で死ねるんだから、それなら今すぐでなくていいんじゃないか?もう少し生きてみてから考えたらどうだろう?という、ある意味、生きるためのお守りのようなつもりで書いた、と。(その頃は社会問題になったらしいですが、実際には、数年間は自殺者数が減少したそうです。)
始まって早々、その言葉に私はとても感動をして。私の思春期を支えてもらった、岡村靖幸の「苦しくて 悲しくて 辛いことばかりなら 諦めてかまわない 大事なことはそんなんじゃない」という歌詞と、共通するものを感じました。(確かここに書いた ↓)
「いざとなったら」あきらめたらいいんだって思えることで、どれだけの救いになっただろうか。衝撃的だったあの本も、そんな優しいものやったんやなぁ。
それで、帰り道ふと思い出したのは、「完全自殺マニュアル」を読んだ後、いざという時は首つりやな。と思ってたんですよ、当時の私。もしかしたらそのカードを心の奥の引き出しにしまって鍵かけて、その鍵をお守りにして生きて来たのかもなぁと思いました。
鶴見さんは、あんな本出すくらいやから気難しくて尖ってるのかと思ったら、とても優しい方でした。一つ一つの質問や問いにゆっくり向き合って、大きく場を包み込む雰囲気の方で。でもチラッと見える反骨魂というか、ロックな雰囲気があって。あの場の「父性」って感じでした。お話できてほんと良かった。
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そしてはじはたあつこさんも、とっても魅力的な人でした。
略歴見て興味が出てね。非婚で出産して、大阪市内にある長屋でお友達と一緒に子供を育てるコミュニティ作りをしてるって?え!どんな人なんやろーと思って行ったのがきっかけかけでした。
でも、話を聞けば聞くほど、特別な「何か」をしているわけではないんだなぁというのが、大きな発見でした。
はじはたさんが言ってた「(家族とか職業とか)形に自分を当てはめようとするから辛くなるんじゃないかな?」って言葉が印象的で。
自分の人生の中での選択を思考停止せずに細やかに丁寧に向き合って、自分が望むのは何なのか?を問い続け、人生をコツコツと創造する。類稀な好奇心や行動力で、自分の中に生まれた仮説をひとつひとつ検証しながら、既存概念や世間体や常識やらなんやらとぶつかって怖いことも、もしかしたらあるんだろうけど、そのつど自分と世界を信じると決めて進んでいるんやろうなぁと思いました。
ほんとにね、チャーミングでステキな方。あとめっちゃオープンハートで、「前から友達でしたっけ?」みたいなムードで話かけてくれてね。なんかそういう、はじはたさんの人柄にとても魅了されました。
本を書いたりメディアに取材されてるような方なのですが、一本筋の通ったオピニオンを持って、社会を変えていこうという意欲に満ち溢れているような豪胆な人、では決してない。むしろとても繊細で、現実と自分の望みをたおやかに表現しながら生きてるといった感じに私は見えた。
でもだからこそ、はじはたさんのあり方は、私は私の日常の中で参考にできるなぁと思えることがいくつもありました。
自分をオープンにする、疑問が湧いたらやってる人知ってる人に聞きにいく、自分は本当はどうしたいのか自らに問う、「どうとでもなるんや!」と信じる、そしてどうにかなった時に頼り合える仲間がいる。困ったときは人に頼り、人がしてくれたことを素直に受け取って、自分も何かできることは最大限する。
それって、別に長屋で友達と子育てしなくても、選択的シングルマザーでなくても、私も在りたい姿やったりするやん?
はじはたさんに「不安は無かったんですか?」と聞いたら、「まぁなんとでもなるやん?!」という答えでした。
私の今の生活では、夫と私どちらも健康であるから子供達の安全な生活が成り立ってるっていう、結構ギリギリの上を走ってる感じがあります。
例えば、(去年のように)私の骨折や、もし妊娠して悪阻で動けなくなったり、出産があった時、速攻で無理ゲーに陥ります。これが夫の身にあてはめても同じ。だからこそ「何かあった時のために」とか思って、お金の不安をそこはかとなく常に感じているというのも正直なところ。
でも、はじはたさんを見てるとお金じゃなく、人がリソースになってて。「いざとなったらあの人」がたくさん周りにいる。それがきっと大丈夫感につながってるんやろうと思いました。
なんて安心できる世界なんだろうか。素直に、羨ましいyo!私もそんな世界に生きたいっ!
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自分が親になって思うのは、家族とか夫婦とか親子とかって、日常の中でかなり重要な位置で人生に関わってくるけど、モデルとなるケースをそれぞれ1つづつしか持ってないんやなぁということです。よそは外側からは見えるけどその実よく分からないでしょ。むやみに良く見えたりするし。だから家族を何も考えずに進めていくこともできるけど、どうありたいのかって考えながらチェックしながら作っていくことが結構エネルギーいるなぁと思ったりして。他のモデルを色々見れたらいいなぁと思うことがあってね。
それを話をしたら、はじはたさんも子供を産む前にいろんな家族を見に行ったそう。泊まり込みで。だから家族交換とか、合宿とか面白くないー?的な話をされてて。
なんか私的には目からウロコでした。そっか、見れないものだと決めつけずに、見にいけばいいんやん。一晩でも泊まって過ごしたら、ちょっとは発見もあるやろう。
おもろいよなぁ!あなたの家族見せてツアーしたいわ。
他にも色々発見多かったです。また追い追い書いていこうとおもいます。
そしてこの本がまためっちゃおもろかった!はじはた節全開。
私も、高校時代baseヨシモトに通ってた!!そして、アサダワタルさんの「住み開き」は私のバイブルだよ!!(今また読み返してる)
そんな共通点も見えて、もっと話きいてみたかったなぁ。先に読んでから行けば良かった。
早速、私にも出来ることあるんじゃないかな?と思った。(とりあえず、ZINE作ってみてる。)
つづく。
②趣味 考え事の友達
この続き。
いわゆる幼稚園のママ友さんとしか交流はなく、いや交流というほどのコミュニケーションもない感じの日々。
なんかおもろい場が無いかなぁと思って参加したのが「実現リモコンZをやってみようぜの会」でした。(実現リモコンZ会 - sunny funny bunny)これが行って大正解の、とても楽しい時間でした。
何が楽しかったのかというと、まずは自己紹介(名前、性別、住んでる場所、家族構成、出身地とか国勢調査で聞かれるようなこと)を話すことなし。
いきなり、日頃なに考えて生きてるかとか、どんなこと思ってるのかという自己紹介から始まるわけです。まずそれにめっちゃ痺れた。あー、これこれって。
帰り道、参加してた大学生の女の子ととっても気が合ってランチ行って、絵画の個展行ってお茶して帰って来たんやけど、隠れ人見知りの私にしては衝撃的な心の開き具合だったわけで。
年代も生活の環境も日常も住んでる場所も全然違うのに、話が止まらない。
彼女もいわゆる「趣味 考え事」の人なんだと思いました。同じ趣味の人って、こんなに属性が違っても話尽きないんだぁという感動すら覚えましたyo!
そいや前に観たDaiGoさんの心理学動画で、人が帰属意識やら親近感を得られる会話ランキングという話があって。確かその1位は、「人生観・世界観」だったような気がします。(動画、探したけれど見つからないのに♪)
とにかく、日常のどうでもいい話とか、子供の話とか、愚痴とかじゃなくて、「私の話」ができた、そして聴けたあの時間が、本当に嬉しくてたまらなかったんですよね。
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そして、一緒に行った個展というのが、井上直久さんの個展でした。
Naohisa INOUE 井上直久 (@iblard_INOUE) on Twitter
井上さんの絵は、耳をすませばという映画の中にも使われているらしくて、知ってる人もいるんじゃないかな?私は知らなかったんやけど、その大学生の彼女に教えてもらって画像検索したら、とても不思議な世界観で、色使いが綺麗で、一目見て惹き込まれました。
会場では井上さんがライブペイントもされてて、それがあまりにも気さくに喋りながら書いてくださるんですよねー。
バリバリの関西弁で、佇まいは近所のおっちゃんみたいでね、高畑勲さんや宮崎駿さんと一緒に作品を創った時のことを中心に話してくださいました。身近に音楽があって、好きな絵を面白い人たちと一緒に描いてて、なんて楽しそうな日々なんだろうかと思いました。
そのエピソードの中で、井上さんが宮崎さんと一緒にお仕事をすることになったきっかけを話してくださったんですよ。
高校の美術教師として働いていた井上さんが、退職して初めて東京で個展を開くという時に、宮崎さんに案内のハガキを送ったそうです。会ったことないけど。共通の友人がいるわけではないけど。ナウシカの原作を読んでたから、きっと宮崎さんは僕の世界観に共感してくれるやろうと思って送ったそうです。そうしたら、宮崎さんが個展に来て意気投合したそうです。
これって普通に聞こえるかもしれへんけど、なかなか出来ないよねぇ。宮崎駿さんはもうその頃すでに有名人やし、面識ないのにハガキ送っても見てくれるなんて思わないから、きっと私なら送らないんじゃないかなぁ。世界の違う人として考えてしまう。
だけど送ってみたら。たまたま宮崎駿さんは高畑勲さんに勧められて、以前に井上さんの絵本を読んだことがあるらしくて、そのハガキが目に留まったらしい。結果的に偶然なのか必然なのか分からないけど。
でも、井上さんの素直さと行動力があったから2人の縁を繋いだわけですよね。そして、認められたい!とか、一緒に仕事したい!とかいう見返りを求めるような気持ちじゃなかったんやと思うんですよ。きっと共感しあえるんじゃないか?という純粋に人間として繋がり合いたい欲求やったように感じました。
もしかしたら私の人生でも、素直な気持ちを抑え込んだり、結果を勝手に先取り予想して行動しなかったことで、実を結ばなかったご縁みたいなものが山ほどあるのではないのだろうか。特に、素直な気持ち(直観というのか)を咄嗟に抑え込んでしまうこと山の如しな私としては、なんだかとてもいい話を聞いたなぁと思いましたよ。
最後に、ピノコへのお土産に井上さんの絵本にサインをしてもらいました。
えへ♡
つづく。
①扁桃体どうかしてるぜ
先日、子供達と買い物から帰ってきて、あまりにもどーーっぷり疲れてて。いや、ここ最近ずっとそうだなぁと思ってね。
私、こんな感覚で外に出てるんだなぁと思ったんですよ。⬇︎
車や、自転車や、迷子や、世間の目や、人さらいなどの、「自分達を傷つけるだろう」砲弾が飛んでくる中、装備もない子供達を連れて砲弾を避けながら歩いてる感覚。
ズバリ「戦場」でしょう。
いくつかの用事を済ますのに、砲弾を交わせる岩を渡り歩き、ようやく自軍キャンプに戻ってくる。
そら、毎度ヘトヘトになりますわなぁ。
こんな中やから、用事済まされないことも多々。で、帰ってきてから「あー、なんでこんなに簡単なことが済まへんねん!」と腐る。
家にいる時は、また外(戦場)に出るために体力を温存したいわけですよ。だから、子供達に構ってる場合じゃない的感覚。
この平成の世でですよ?しかもここはJAPAN〜!
私、どうにかしちゃってる。。。多かれ少なかれこのような感覚はあるかもしれないけど、それにしても極端に出てるわ、最近。限界振り切ってる緊張感の中で毎日を過ごしてるんだなぁ。扁桃体が暴走しまくってます。
波はあれど、衝撃的にイライラしてたり、(無意味に)怒ってばっかりで、子供達は怒られないように察するようになってるなぁ。
そして私は、「とにかくここから解放されたい」と呪いの言葉を延々と唱えてる。怖くて、孤独で、辛くて、不自由で、「閉塞感」の塊の中でもがいている。
またある日、コボちゃんの集団検診の問診票を書きながら、なんで保護者欄に夫の名前を書かなくちゃいけないんだろう?って思った。
子供達を戦場から守っているのは私なのに。連れてくのも私なのに。保護者欄は夫の名前で、私の名前は記録にすら残らない。だから悔しくて私の名前で全部書いた。(といって、夫の名前を書かなくてはいけないなんてどこにも書いてないんやけどな)
私ってなんなんだろう。。。
私ってなんなんだろう。。。
私ってなんなんだろう。。。
が頭をループする。
私を表現して生きれていない感覚があるんです。母親という役割や責任に、「私」が閉じ込められてる(ように感じている)。
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でもね。子供達と過ごす日々の中にもちろん喜びは大いにあって。
走るピノ子の横顔に流れる髪の毛を見て嬉しくなって、モチモチの肌のコボちゃんを抱いて優しくなって、3人で金木犀の香りを嗅いで秋を感じ、トイレに成功したコボちゃんの成長をみんなで喜び合ってる。
そんな時、私ってなんて幸せなんだろうって思うんです。あー、生きてて良かったなぁって思うんですよ。
私ってなんなんだろうと自分が透明になる感覚と、私ってなんて幸せなんだろうと満たされる感覚、この落差が激しくて混乱してしまうんですよ。
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で、思ったのは、もっと自分を表現して生きたい!というわけです。自分を表現するってなんのこと?からスタートなんですけど。
私が考えてること、私が思ってることをそのまま言えたらいいな。言いあって聴き合える相手と、その時間があればいいな。そしてお互いに問い合う場ができたら最高だなということでした。
名古屋に来て、正直薄っぺらい話をする関係性しかできていない日々。別に私じゃなくてもいいんじゃない?って思うことばっかりで、人に会っても孤独感は募る、不完全燃焼さが増すんです。
だからこそ、話しをしたい。話しを聴きたい。(「喋りたい」んじゃないんです)
そんな中、とあるいい出会いがありました。
続く。(長くなるので、世界に心を開いて生きていきたいシリーズにします)
ご機嫌なオカンで居たいねん その1
昨日はね、ブログ書いてちょっとスッキリして、よーし明日は朝からプラネタリウム見に行くぞー!お赤飯も炊くぞー!とか思って、いいムードで寝たんですよ。
でも今朝起きて一転、またドヨーンとした朝を迎えてます。
最近「また朝が来てしまった。。。」と感じている自分に絶望したりします。なーんも生きがいも予定もなく、ただ時間をむやみに潰しながら過ごす1日の、憂鬱な始まり始まり、な感じでね。
そっか、私の中には漫然とした「時間を潰しながら生きてる」感覚があるんやな。
朝起きてすぐ、子供が夜寝るまでの時間を潰そう。新学期まであと数日、何とか時間潰そう。下の子が幼稚園行くまであと1年・・・あと半年。幼稚園はまだ手がかかるから、小学校行くのはあと3年半。小学校も手がかかるから、中学行くのはあと9年半。いや、2人が成人するのはあと何年。。。
そうやって子供が大きくなるまでの時間を潰そうとしてる。いや、もしかしたら。死ぬまでの時間を潰そうとまで思ってるのかも知れない。
もちろん、子供達の成長に喜びを感じるし、子供達と過ごす時間に楽しさもある。自分の気づきも多いし、面白い。
パラレルワールドにあるだろう、子供が居なかった人生を想像してみても、今のこの人生に絶大な価値を感じている。頭では分かってるんですよ。
だけど、私の中のどこかにあるわけです。息を止めて、ただ長い長い時間が過ぎるのを我慢しながら生きる「感覚」が。
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今朝から、とにかくずっと不機嫌です。気分を変えようと、大好きな山ちゃん(山里亮太さん)の著書を読んでも全く気分変わらない。
もうね、私これがすーっごい嫌だったんですよ。幼い頃、なんか知らんけど母親は家庭内ではずっと不機嫌な人でした。外ではとにかく明るいんだけど。
親が不機嫌ってね、子供にとっては薄い毒薬を延々と飲んでるみたいなもんでね。一回で死ぬ訳じゃないけど、溜まりに溜まって致死量になる。その頃には取り返しのつかない「自己否定」という傷が残る。お母さんが不幸そうにしてるのを見るのはキツイよ。
「私と僕と居るお母さんは幸せそうだ。」ってことが、子供にとってきっと一番、存在価値のベースになることだろうから。
でも今なら分かるのは、オカンは余裕がなかったのやろな。そしてその余裕のなさは、決して子供たちに原因はない。
子育てそもそも向いてるタイプでは決してないし、人のお世話なんてやりたくない上に、人のことばっかりで自分のことが何も進まない気になって、時間を無為に潰す退屈な日々やったのかもな。
もしかしたら自分を表現できていないストレスがあったのかもな。役割で生きてしまっていたのかも知れないし、家庭という檻に閉じ込められてる感覚があったのかもな。
ほんまは、自分をもっと表現して、自分のことをもっと自由にさせてあげたかったんじゃないかな。
そんな、「オカン」の部分を「私」に置き換えたらそっくりそのまま当てはまるような同感をしました。(オカンのことは本人に聞いたわけちゃうから知りませんし、まぁ今んとこ別に知らなくてもいいや。)
昔のオカンに自分を投影させてもらいました!(ということは、投影というのは時空を超えるのな!)
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コボちゃんって、とても可愛いやつですが、最近のグズグズがひどくてね。きちんと話せるし、毎度のぐずる理由ははっきり分かるんです。
でも最近の私はといえば、コボちゃん1グズ(ワングズと読む)でイライラの沸点に達する感じで。
聴いたり、尊重したり、折り合いつけたり、説得したり、親の都合と子の要求がすれ違った時のやり方はたくさんあるはずですが、今の私に選択肢は無くなります。「ええから言うこと聞け!」の一本槍。
こないだなんかひどくてね。自転車で、後ろを走るピノ子に、「芝生見に行こう」と声をかけたんです。ピノ子「え?」 私「芝生見に行こう 」ピノ子「え?」 私「だからー!芝生見に行こうって言ってるだけやろがー!なんで一回で聞き取らへんねん!あほ!」とスーパーの前でクソほど大声で叫び散らす始末。スーパー出てきたおばあちゃんがこちらを振り返って見てるのを見て、途端に現実に戻るわけで。
ほんましょーーーもないことでしょ?最近の私は、何回も言わすな。私に労力かけさせるな!がひどい。
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私は、一体、なにをそんなにまで余裕がないのか。(余裕をなくすネタ、ブログに書きすぎや。結局いつも余裕ない人やわ。カテゴリー作ろかな)
夏休みの疲れもありますわな。暑い夏の疲れもあるやろし、転勤の疲れもあるやろし、転勤の恨みが今更ふつふつと湧いてきてるというのもあるやろし、気の合う友達と離れた寂しさもあるやろし、夫婦間のディスコミュニケーションもあるやろし、6年に渡る子育てワンオペ疲れもあるやろし、人を信頼できない生き方にうんざりもあるやろし、罪悪感癖にグロッキーもあるやろし、そもそもミネラルが不足してるのもあるやろね。
ま、原因なんていろいろなんでしょうけど、とにかくどうしたいかと言えば。
ただただ1人っきりになりたい。ひとりっきりで何をするわけでもないけど(胸がチクっ)、ひとりっきりの時間と安心してひとりっきりになれる場所が欲しい。
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もぅ私は、このままだと発狂死するか、虐待親になるか、家出して一生放浪生活になるか、鬱病で引きこもるか、想像もつかない無責任なことをしでかすか、とにかく私、人生のピンチ!やばいよ!!!
と、ついさっきまでは思ってたんですが。ブログを書いたらなんだかご機嫌野郎です。
「書けてるうちは大丈夫」これを屏風に書いて床の間に貼っとこうかな。(あ、床の間無いわ。)
読んでくださった方、お目汚し失礼しました。
お目直しに(お口直しならぬ)、能登の景色でも貼っておきます♡うふふ。
肝っ玉オカン道は続く。